ノート:記者クラブ/過去ログ2

最新のコメント:13 年前 | トピック:『記者クラブの利点と弊害』について | 投稿者:Miya

ドイツゲッペルスの記載について 編集

ドイツの記者クラブについての記事を日本の記者クラブの歴史の中に入れるのは問題があると思います。日本の記者クラブとドイツの物との関連性もわかりませんし、現在示されている資料は古い物で日本の記者クラブとの関連について記載されているとは思いませんので、現状の資料の提示だけでは記者クラブに記載するべきではない気がします。ソースとして示されている以下の資料は、どこで閲覧することができますか?国会図書館にも見当たらないのですが。

  • Fritz Sänger, as quoted by J. Wulf, Presse und Funk im Dritten Reich(第三帝国におけるジャーナリズムとラジオ),p79, Guetersloh,1964

以上です。ご意見ください。--Zakinco 2010年8月10日 (火) 16:38 (UTC)

特に意見がありませんでしたので『ドイツ宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは記者クラブを「政府との会見」から「政府の会見」に変更』の項を削除します。--Zakinco 2011年2月20日 (日) 17:22 (UTC)

記者クラブの説明書きに関して 編集

記者クラブの冒頭説明書きに関して、恣意的な削除が行われていますが誠に遺憾です。 記者クラブの制度や歴史、趣旨といった主観的記述も結構ではありますが、客観的に「社会からどのように見える存在か」を記述することも大変重要です。 民主主義の原理原則を踏み外していないか、言論表現の自由が均等に担保されているのか、といった視座から記者クラブを観察した場合の記述も重要です。--以上の署名のないコメントは、Justiceman会話投稿記録)さんが 2011年2月2日 (水) 07:17 (UTC) に投稿したものです(パタゴニアによる付記)。

自分の主張が客観的で公正なものだというなら、信頼できる情報源による2次資料の出典を複数つけてください。きちんとした出典が複数ある記述であるなら、ノートでの合意がない限り除去は出来ないでしょう。もちろん記者クラブを批判している人自身が発表した文章は批判的記述の出典としては使えません。ただし、それなりの人物が発表した文章であれば「だれだれは記者クラブを何々と批判している」という形では使える可能性はありますが、それにしてもノートでの議論が必要でしょう--パタゴニア 2011年2月2日 (水) 07:40 (UTC)
>客観的に「社会からどのように見える存在か」を記述することも大変重要です
『おもに大手メディアが構成している日本最大の排他的利権談合組織』
『世界的にも極めて珍しく、言論・民主主義に敵対的な姿勢』
『権力との癒着こそが既得権益を守る最善の手段との態度を堅持』
『一般言論人や有識者から「言論界の癌」「日本言論界の恥部」として様々な非難を一身に浴びながらも、平然と存在』
これのどこが客観的な記述なんですか? 批判論者の一方的見解でしかないじゃないですか? 少なくとも冒頭に記述する必要はないと思います。--122.215.123.107 2011年2月2日 (水) 07:54 (UTC)
日本の記者クラブに対する批判や問題点などはすでに本文中に述べられているところであり(もちろん出典を明示した上での加筆は歓迎されます)、定義文でこのように扇情的に記述することはまったく不適切です。このノートページの過去ログもお読みください--とん坊 2011年2月2日 (水) 08:23 (UTC)

To パタゴニア 2011年2月2日 (水) 07:40 (UTC) 信頼できる情報源を要求されておりますが、日本人においては「信頼」のクライテリアは個人依存性が強く、社会的合意が存在しません。 あなたが信頼できると判断した情報源を、私が「信頼するに値しない」と添えて却下することができます。 そのような社会状況下において、信頼できる情報源を要求すること自体、無体な要求として却下いたします。

To 122.215.123.107 2011年2月2日 (水) 07:54 (UTC) 客観的な記述です。 私は、様々な方々の発言や記事を土台にして記述してるだけで、そこに私の主観は含まれておりません。 記者クラブによって排除されてる方々の皆さんは、おとなしい方ばかりなので、拝見しててじれったくなってきます。 私であれば、話し合い無しの即訴訟に持ち込みます。それぞれの社の代表取締役を法廷に引きずりだして、被告席に座らせて、その哀れな負け犬の姿を友人にこっそり撮影させて配信します。これが斜陽産業と化したメディアのボス犬の哀れな表情だよ?とコメント添えてね。下っ端の連中相手に話し合いしても時間の浪費にしか過ぎないですからね。

To とん坊 2011年2月2日 (水) 08:23 (UTC) 扇情的な記述をしているわけではなく、私が記述した批判がそのまま当てはまる存在なだけです。 私はジャーナリストの方々の発言や記事を土台にして記述しています。 あなた方は、国民から選ばれた政治家たちを批判しているのに(官僚には媚びるくせに)、自身が批判されると何も説明責任を果たせないのですか? 民主主義を担うに足る教育を受けてこなかった、或いは近代社会の価値体系を論理的に消化できる資質を残念ながら持ち合わせていなかったということでしょうね。

To all どうしても私の記述の正当性を担保できる根拠が必要であれば、「記者クラブ」で検索してください。 様々な記事、動画、著書が確認できます。 人物や著書を紹介してあげたいくらいですが、ここで引用してしまうと、当人たちの活動に支障をきたしかねないため、差し控えます。 ちなみに、記者クラブの連中は「ジャーナリスト」を詐称してるみたいですが、ジャーナリストを貶める行為に他ならないため、即刻やめていただきたい。ジャーナリズムの真似事、或いは、ジャーナリズムにまつわる周辺雑務のお手伝いをしている。と名乗ってください。匿名でけっこうです。実名を出せるのはジャーナリストとしての評価を得てからにしてください。あなた方の仕事に実名は不要です。 海外のジャーナリストは皆一様に口をそろえて、記者クラブの連中はジャーナリストではないと主張されております。 自分たちがその程度の存在でしかないことをご認識ください。—以上の署名の無いコメントは、Justicemanノート履歴)さんが 2011年2月3日 (木) 08:50 (UTC) に投稿したものです(あるふぁるふぁによる付記)。


:Justicemanさんへ返答。日本の記者クラブが非常に問題を抱え、所属者以外からしてみれば唾棄すべき存在といえるだろうことはすでに本文中で出典を付けた上で記述されております。一度本文を通読ください。冒頭文ではここまで修飾する必要ありません。加筆前の文章で、表向き・日本特有であること・排他的で批判を受けていることは記述されており、これ以上修飾する必要は無いと思います。ただ<フリーの記者などに対し排他的であるとして近年、批判を浴びている。>のくだりはもう少し強調してもよいかなと思いますが。そして、批判を記述するなら「○○は××の書籍でこのように批判している」などと根拠を明示して記述することをwikipediaは要求しています。

後段に関しては一体どなたに対してのコメントか分かりませんのでノーコメントとします。--とん坊 2011年2月3日 (木) 09:42 (UTC)


冒頭の導入文について 編集

冒頭の定義導入文が先日の編集合戦を経て以前より短くなりましたが、現状の文章では次に示す点で説明不足に過ぎると思いますので加筆を提案します。

  • 名前の似た日本記者クラブ日本外国特派員協会といった本来の意味での「プレスクラブ」とは別の団体であること。
  • 社団法人である前述の団体と異なり私的団体であること
  • 批判を受ける対象であること

以下は編集合戦以前の文章2011年1月23日 (日) 11:34 の版より抜粋です。

記者クラブ(きしゃクラブ)は、公的機関や業界団体などの各組織を継続取材している、おもに大手メディアが構成している組織。英語では「kisha club」ないしは「kisha kurabu」と表記される。日本外国特派員協会などの、大手メディア以外の記者、ジャーナリストも加盟できる「プレスクラブ」とは全く性格を異にするほぼ日本独特のシステムであり、フリーの記者などに対し排他的であるとして近年、批判を浴びている。

これに私なりに修正を加えました。

記者クラブ(きしゃクラブ)は、公的機関や業界団体などの各組織を独占的に継続取材している、おもに大手メディアが構成している任意組織。英語では「kisha club」ないしは「kisha kurabu」と表記される。社団法人である日本記者クラブや、日本外国特派員協会などの、大手メディア以外の記者、ジャーナリストも加盟できる「プレスクラブ」とは全く性格を異にするほぼ日本独特のシステムであり、フリーの記者などに対し排他的であるとして近年、多くの批判を浴びている。

特に、記者クラブと日本記者クラブは似て非なるものであることは明示しておきたいと考えます。

皆様のご意見推敲よろしくお願いします。 --とん坊 2011年2月18日 (金) 14:46 (UTC)

  コメントとん坊さんの加筆案で問題はないと思います。--Zakinco 2011年2月20日 (日) 17:19 (UTC)


冒頭の定義導入文を加筆しましたので大きく改変したい方は改めて提案してください。

『記者クラブの利点と弊害』について 編集

下記の修正・削除を行います。異論反論ある方は一定期間以内にノートに意見を記述してください。

1.「加盟ニュース・メディアにとって」の項目削除
 理由:記者クラブの「利点」と「弊害」は、社会(一般国民)から見た「利点」と「弊害」を記述すべき。
    当事者(記者クラブ、記者クラブ未加入のジャーナリスト)にとっての「利点」や「弊害」を記述する意味はないと考える。
    よって、「加盟ニュース・メディアにとって」の項目は不要と考える。

2.「ニュース・ソースにとって 」を「利点」に文言修正する

3.「国民への積極的な情報開示と説明責任を果たす上で役立つ」の項目削除
 理由:記者クラブ制度のない欧米において、政府の情報開示や説明責任が日本より遅れているとは言えない。例えば、沖縄返還における密約は、アメリカ政府が外交機密文書を一定期間後に市民に公開する制度により、公文書館において公開したことにより発覚した。この事実が意味してるところは、情報開示は制度(法)によって担保されるわけであって、記者クラブの存在とは関係ない。またアカウンタビリティに関しても、記者クラブの存在とまったく関係ない。よって、この記述は何ら実証データを伴っていない。

4.「効率的な広報推進システムである。広報すべき情報を迅速に発表できる」の項目削除
 理由:記者クラブ制度のない欧米と比較して、日本の報道が効率的で迅速であると言えるだけの実証データがない。

5.「効率的な発表ができ、手間が省ける。記者会見もスムーズに運営できる」を「一定のルールに基づいた潤滑な記者会見を運営できる」に修正

6.「公的組織と国民をつなぐ「コミュニケーションの回路」「情報ネットワーク」「国家の情報をプールするダム」としての役割を担っており、膨大な情報を蓄積、整理、報道する。記者クラブを廃止すれば、日本の情報システムが麻痺するだろう」の項目削除
 理由:「コミュニケーションの回路」「情報ネットワーク」「国家の情報をプールするダム」等これらは「報道メディア」の存在によって担保されているわけであり、記者クラブ制度とは無関係。

7.「記者クラブが廃止されれば、記者会見が開放されなかった場合、情報を出し渋る権力側を牽制する存在が失われ、国民の知る権利が損なわれる恐れがある(例えば、記者クラブがない労働基準監督署では、情報発信が殆どない」の項目削除
 理由:記者クラブが廃止された事によって記者会見が開かれないといった事態が生じた場合、報道関係者は「権力側が記者会見に応じない」ということを国民に報道すればよいだけであり、そのような政治家(閣僚)に対しては国民が投票において最終判断を下せる政治システムが存在するため、杞憂に過ぎないといえる。

8.「最低限の倫理観すら確保されていない一部のフリージャーナリストを効率的に排除できる。」を削除
 理由:倫理観という基準で言えば、フリージャーナリストよりも記者クラブ連中の方がはるかに倫理観が低く、記述の趣旨に沿って排除を行うのであれば、記者クラブ連中を排除することになってしまいますね。総務省の記者会見において、記者クラブだけが動画撮影でき、それ以外の人には動画撮影を禁止するといったルールは、まさに倫理性に欠けたルールです。
    上記とは別に、国民側からの観点から申し上げると、様々な情報が国民の耳に届くことが国民の利益にかないます。例えば私にとって意味のない、或いは興味のない情報でも、他の人には意味のある、或いは興味のある情報は沢山あります。記者会見に参加しているフリージャーナリストの背後には、その人の記事に金を出すお客様が存在しています。
Justiceman

まず、安易に削除することには反対します。削除してしまうと「記者クラブ」の主張する利点(主観)が解らなくなり、Justicemanさんのおっしゃる「国民の視点」とどれだけ乖離しているか判りにくくなる。 相手の主張を論理だてて論破していかなくては、記者クラブが行っている一方通行の宣伝と一緒ではないでしょうか。記者クラブの利点=国民にとっての弊害、国民にとっての利点=記者クラブにとっての弊害であるならばそのように書くべきだと思います。「様々な情報が国民の耳に届くことが国民の利益にかないます」ので「こんなカッコいいこと言ってるけど実態はこうだ」の方が「実態はこうだ」だけよりベターと思います。まあ、そうなると現状の構成を少しいじる必要はあるでしょう。  5.についてはいいと思います。私個人は「潤滑な記者会見」より「円滑な記者会見」の方がしっくりきます。

追記、Justicemanさんは時刻付きの署名をする方法をまだ御存じないのでしょうか?編集スペースの上にあるツールバーに「時刻付きの署名」というボタンがありますのでそれを押すと書き込みした日付と名前が記入できます。--とん坊 2011年2月25日 (金) 21:04 (UTC)

まず、安易に削除しようとしてるわけではないことを冒頭に申し上げておきます。
『記者クラブの利点と弊害』を一読してまず思ったのが、「文章の構成」も「記述内容」もちぐはぐですね。
大項目:記者クラブの利点と弊害
中項目:利点
小項目:加盟ニュース・メディアにとって
小項目:ニュース・ソースにとって
中項目:弊害
となっているが、「弊害」は大項目に即して”社会にとって”の弊害を記述しているが、「利点」には”加盟ニュース・メディアにとって”の利点と”ニュース・ソースにとって”の利点が記述されています。文章の対応関係がおかしいですね。さらに、「情報発表に消極的な公的機関に記者クラブが記者会見を求めて実現させてきたという歴史がある」等のそれぞれの箇条書き項目は、その上位タイトルから脱線してる内容が多いですね。
よって、文章の構成から作り直すか、上位タイトルから脱線してる記述を削除するかした方がいいと考えます。私は文章の構成から作り直したいです。ご意見願います。
あと、記者クラブに良く似たアナロジーとして「談合」があると思いますが、当事者の立場に立った談合の利点なんて記述する内容ではないですよね?社会の側に立った利点や弊害を記述するのが一般感覚だと思います。申し訳ないですが、とん坊氏の反論を受けてもなお、「加盟ニュース・メディアにとって」のタイトルは適切ではないと思います。当事者の利益・不利益など、どうでもいい情報だと思います。社会にどう関係してくるのか、あるいは、社会の中においてどういった存在なのか、が記述価値ある情報だと思います。
ある程度先読みできるとん坊氏であれば、削除した後の『記者クラブの利点と弊害』の欄を想像されていると思います。
利点の欄にはほとんど記述がない。弊害の欄には沢山記述がある。そういう状態になります。
それが、記者クラブの実態を正直に表している姿だと思います。
利点の欄に、弊害の欄と同じ数だけ記述がなされている現状は、適切な記述状態とは思えません。
--Justiceman 2011年2月26日 (土) 02:12 (UTC)
こんにちは。一つずつにコメントします。
1) 除去に反対です。ウィキペディアには、複数の立場があればその両方の観点からの記述をすべしという大原則があります。Wikipedia:中立的な観点をお読みください。「加盟ニュース・メディアにとって」という観点は、なぜ記者クラブが批判を受けてもなくならないかを理解するのに有益です。
ただし出典が明示されていないものがあれば、それについてはWikipedia:検証可能性に抵触するため、削ることに反対しません。--miya 2011年2月26日 (土) 00:14 (UTC)
2) 書き換えに反対です。「ニュース・ソースにとって 」の「利点」は「国民全体にとって」の利点とまったく同じでしょうか?郵便不正事件などの報道を見ていると、そうとは思われません。
3) 除去に反対です。そのセクションは「記者クラブに対して挙げられている利点と弊害」を列挙したものだと明示されています。それが妥当であるかないかをウィキペディア編集者が個人的に判断するのは独自研究に当たるでしょう。信頼できる情報源に「関係ない」「実証データを伴っていない」という批判があれば、もちろんそれを記述することに反対しません。
4) 除去に反対です。理由は3に同じ。「記者クラブに対して挙げられている利点と弊害」の一つです。
5) 反対しません。「円滑」のほうがわかりやすいかなとは思います。
6) 現時点での除去には反対です。「記者クラブに対して挙げられている利点と弊害」の一つですから、それぞれの主観的主張であり、その妥当性はウィキペディアが判断することではなく読者が判断すべきことです。出典が提示されていますので、それを読んで、もしそういうことは書いていないというのであれば、改めてこちらで提起してください。
7) 現時点での除去には反対です。理由は上の 6 に同じ。
8) この除去には賛成です。8は出典が示されていませんのでWikipedia:検証可能性がありません。執筆者の個人的意見ならWikipedia:独自研究は載せないに抵触します。除去の前段階としてTemplate:要出典範囲を貼っておきました。--miya 2011年2月26日 (土) 00:14 (UTC)
まず、個別の議論に入る前にお願いがあります。
原点(記者クラブに関する記述がない状態)から考えていただきたい、ということです。
もし、私が削除希望してる項目が記述されていない状態(原点)で、誰かが”今ある記述”(私が削除が適切と提案してる記述)を加えたとします。あなたは、今ある記述内容に異論はありませんか?
--Justiceman 2011年2月26日 (土) 02:28 (UTC)
(追記)それぞれの見解に対して、ウィキペディア編集者の個人的見解を反映することは容認できませんが、もし信頼できる情報源による批判が見つかるなら、「記者クラブに対して挙げられている利点と弊害を記述し」に続けて「あるものについては事例や批判を示す」として、その見解への批判を出典付きで記述するのがよいと思います。たぶん、上杉さんの著書を探せば見つかるんじゃないでしょうか。--[[利用者:|miya]] 2011年2月26日 (土) 00:37 (UTC)
  コメント
3)については保留 出典として記者クラブ側自身のものでは弱いです。しかし、出典に基づかない理由で削除することにもためらいがありますので保留
8)除去に賛成 出典がありません
1.2.4.5.6.7)については反対。出典のある記述を出典に基づく根拠無く除去はできません。出典の問題を指摘するか、現在の出典以上に広くに支持されるであろう出典に基づく見識でもって除去を求めてください。出典の無いあなたの意見のみでは除去に反対です--パタゴニア 2011年2月26日 (土) 01:48 (UTC)
それとタイムスタンプの無いサインでもって、「異論反論ある方は一定期間以内に云々」という姿勢はいかがなものか?Justicemanさん一人だけがいつもサインの仕方が他の人と違うのに気が付いてください。サインは編集画面で上にある「時刻印付きの署名」というボタンを押すだけです。サンドボックスで練習してみてください--パタゴニア 2011年2月26日 (土) 01:48 (UTC)
追記、合意ができたというのは提起から最低1週間以上たってからが概ねwikipediaのコンセンサスでしょう。ご参考までに--パタゴニア 2011年2月26日 (土) 01:59 (UTC)
人の考えはインプットパラメータによって変遷しますので、急いで削除しようとは考えておりません。
具体的反論は、とん坊氏への記述とかぶりますが、
「1」はタイトルと記述内容がずれています。タイトルから脱線した記述であれば、タイトルを変えるか、記述内容を削除するかしたほうがいいと考えます。ゆえに出典不要と考えます。
「2」も同様です。タイトルと記述内容がずれています。
「4-7」に関しては、削除するのに果たして出典が必要なのでしょうか。編集者は著書を明示されてはいますが、それは著者の主観であって、おそらく探せば反対の主張をしてる著書もあるでしょう。これが意味していることは、記述内容の正当性は著書ではまったく担保されないということです。客観的文書(公文書、学術書)でもない限り、出典を引用したところで、それは別の人の主観でしかないわけであって、結局のところ、誰かの意見を借りて自分の意見を主張してるだけです。ノートにおける議論は出典の有無ではなく、主張内容に照準を定めるべしと考えます。
--Justiceman 2011年2月26日 (土) 03:17 (UTC)
>おそらく探せば反対の主張をしてる著書もあるでしょう・・・その著書が中立的で確かな著者によるものなら両論併記が適当でしょう。ただし、記者クラブに入れず記者クラブに怨念を抱ているようなフリージャーナリストや中小メディアの著作では中立的とも思えません。地位を得た社会学者あたりの分析なら受け入れられるでしょう。ところでwikipedia:検証可能性を読んでみてください。wikipediaでは事実かどうかよりも信頼できる情報源による出典によって検証できるかどうかなのです。当然Justicemanさんの考えは「事実より上位である出典」の下位になります。出典付きの記述を自分の考えで削除しないでください。--パタゴニア 2011年2月26日 (土) 10:32 (UTC)
まず、先の問いかけの「1」と「2」に対する回答をお願いします。
「4-7」については、学者の分析でないと中立的とは言えないとのことですが、現時点において記者クラブを研究対象に見据えてる社会学者は日本にはいません。世界にもいません。かつて援助交際といった社会現象を研究テーマにされていた社会学者はいましたが、それは援助交際なる動機がどこから生まれているのかといった学問的分析であって、研究価値があったからです。記者クラブのような閉鎖的特権制度は、かつてはどこの社会にも様々な場面において存在したし(むしろ人権概念が存在する以前は、特権まみれの社会)、なぜそういった閉鎖的特権制度が生まれるかは、既に説明がなされています。今更、記者クラブを研究対象にしたところで新しい発見は生まれません。
議論を進めて行きたい気持ちなんだが、本当に困ってしまいました。
記者クラブに関する学者の文献なんて、探してもまずないです。
池田信夫さんあたりであれば、記者クラブに多少は触れた記述をしてそうだが、池田さんのマスメディア批判の照準は「電波利権」に絞られてるから、出典としてはちと厳しいものがありますねー。どうしたものやら。。。
なお、フリージャーナリストという時点で中立的でないと断言できる根拠をお示しください。偏見や思い込みで意見されていては、合意形成は難しいです。
--Justiceman 2011年2月26日 (土) 20:36 (UTC)
ここでは「社会」を中心に据えるとかえってうまくいかない気がします。「社会」は記者クラブや取材対象もひっくるめて「社会」なのですから混乱しているのではないでしょうか。「記者クラブにとっての利点と弊害」「取材対象にとっての利点と弊害」「国民(一般市民)にとっての利点と弊害」が並立して述べられた後に、「では社会全体としてどうなのか」となるような構成になるなら良いと思います。構成の組み換えには反対しません。Justicemanがおっしゃっているのは結局「国民(一般市民)にとっての利点と弊害」という「特定の立場」の意見になっている様に見えます。
「当事者の利益・不利益など、どうでもいい情報だと思います。」→「当事者」に利益があるから問題になっているのでしょう。いわば「当事者の存在理由」を述べずに「当事者」を非難できないと思いますが。--とん坊 2011年2月26日 (土) 19:44 (UTC)
先のレスでも記述しましたが、Wikipediaに記述する価値ある情報は「それが社会においてどういった存在なのか」に尽きると思います。社会には様々な利害関係当事者が存在します。そーいった様々な立場の人から見た利点や弊害を列挙することは、大多数の閲覧者にとってまったく意味はありません。領土問題のような対立構図(登場人物が2者)で理解すべきアーティクルであれば双方の主張を載せるべきでしょうが、ここは記者クラブ(登場人物は1者)なるものについての説明書きの中の「利点と弊害」欄です。
>「当事者」に利益があるから問題になっているのでしょう。
捉え方が完全に間違っています。1次的には非加盟社やフリージャーナリストの取材権を不当に剥奪してることが問題です。2次的には、そのことにより国民の知る権利が侵害されていることです。
あと、「国民(一般市民)にとっての利点と弊害」は「特定の立場」との見かたは、物事を歪曲しています。個人や団体を特定していない大多数(非当事者)の立場なわけですから「一般的な立場」となります。
文章構成に関しては、とん坊氏の意見と私の意見を混ぜると、
大項目:利点と弊害
中項目: 社会(一般国民)にとって
中項目: 加盟社にとって
中項目: 加盟社以外(非加盟社、外国記者、フリージャーナリスト)にとって
といった構成になるのでしょうか。まーこれでも”現状よりはマシ”だと妥協できます。
ところで、弊害と同じ数程度の記述が利点の欄に記述されてる現状は、記者クラブを知らない第三者が取得する情報として(Wikipediaが提供する情報として)、妥当なものでしょうか?
--Justiceman 2011年2月26日 (土) 20:36 (UTC)

(インデント戻します)>Wikipediaに記述する価値ある情報は「それが社会においてどういった存在なのか」に尽きると思います。・・勝手に「wikipediaはなんであるか」のマイルールを持ち込まないで下さい。wikipediaはあなたの主義主張を書くところではありません。wikipediaに書くべき事は中立的で信頼できる情報源による2次資料の言及なのです--パタゴニア 2011年2月26日 (土) 23:40 (UTC)

申し訳ないですけど、国語の授業をやりたくはないんですよねー。。。
「それが社会においてどういった存在なのか」 と 「中立的で信頼できる情報源による2次資料の言及」 はレイヤーを異にしてる話なので両立します。それぞれが打ち消しあうような関係ではありません。
Wikipediaのルールを否定して、独自ルールを上書きしてるような受け止め方は、私の言を完全に誤解しております。
あと、私の会話ページに「ウィキペディアは規則主義ではありません 」を貼り付けています。気が付きましたか?
あなたのような人のために貼り付けているわけです。
ところで、本題に戻しますが、「1」と「2」は、タイトルと記述内容がずれています。タイトルを修正するか、タイトルから脱線してる項目を削除するかの修正が必要ですが、あなたの案も出していただけないですか?とん坊氏は文章構成の修正に1票いれてくれてますが、どのような構成にするかはこれから合意形成していかなくてはなりません。miya氏は回答なしの状況です。
--Justiceman 2011年2月27日 (日) 00:33 (UTC)


  • 「捉え方が完全に間違っています。1次的には非加盟社やフリージャーナリストの取材権を不当に剥奪してることが問題です。2次的には、そのことにより国民の知る権利が侵害されていることです。」について、それが私の言う「ひっくるめて」の部分です。「非加盟社やフリージャーナリストの取材権を不当に剥奪してること」は記者クラブにとっては利益です。取材対象側にとってもある程度利益です。そして一般国民や非加盟者にとって弊害です。それぞれの立場においての利点と弊害をまず最初に明示すべきと考えます。Justicemanさんには意味がなくても普通の人には判断材料が必要です。

構成についてはこのように提案します。

大項目:利点と弊害
中項目: 一般国民にとって
中項目: 加盟社にとって
中項目: 加盟社以外(非加盟社、外国記者、フリージャーナリスト)にとって
中項目: 取材対象側にとって
中項目: まとめとして社会全体としての利点と弊害を分析したもの(信頼のおける文献に依る記述)(結局ここを客観的に書くのが難しいのですが) 

あと私は「記者クラブ」と「日本記者クラブ」の違いも知らなかった雑市民ですので改稿する際の内容の正否については判らない、と逃げておきます。--とん坊 2011年2月27日 (日) 05:53 (UTC)

構成についてはとん坊さんのご提案に賛成します。尚、Justicemanさんへの直接の返事は後日にさせていただきます--パタゴニア 2011年2月27日 (日) 09:05 (UTC)
最後の「まとめとして社会全体としての利点と弊害を分析したもの」は、適切な言葉が思い浮かばないってことでしょうか?
現時点の利点・弊害の記述を振り分けたとき、この項目に該当するものがなければ、いらないと思います。
私は新たに何かを書き加える予定はないので、現状の記述を適切なタイトルの中に振り分けることだけを考えております。
--Justiceman 2011年2月28日 (月) 20:38 (UTC)

  コメント

1、私が難しいと思うのは「信頼のおける文献」を元に「客観的に書けているだろうか」という所です。参考文献が特定の意見になっていないか、参考文献の選択にウィキペディアンの主観が入り込まないか、が難しいです。タイトルとしては「社会全体として」とかでしょうかねえ?
2、現状を振り分けたときに該当なしであればそれは確かに書きようがないですね。しかしあえて繰り返しますが、現状記述を削って項目無しにしてしまってはいけません。

追記:Justicemanさんはいちいち一言余計だと思います。他人にレッテルを貼るのは自分の心中に留めておいてください。公言すれば名誉棄損の罪に問われることもあるのですから。「無意味に人を疲労させること」を自ら体現しています。--とん坊 2011年3月1日 (火) 05:57 (UTC)

>1
ステークホルダー双方、及び国民全般を含めた<社会全体のレベルで記述できる何か>があれば記述をするってことで、タイトルを「社会全体として」にする。と解釈してOKでしょうか?
なお、記者クラブに関してもっとも情報発信を行っているのは、フリージャーナリストだと思います。
記者クラブの連中自身が、自分たちのことを情報発信するわけがないですからねw
ですので、参考文献もおのずとそーいった現実の上に立って信頼性を妥協しなければ、何も記述することができないと考えます。
プリキュアを記述するのに中立的で信頼のおける学者の文献などあるわけがありません。Cproのようなやつに書かせておけば、それで百科辞典として用が足せます。
>2
たぶん、どこにも該当しない項目が出てくると思いますが、まー振り分け作業の時に検討しましょう。
話変わりますが、合意形成をするには人数不足と思いましたので、議論参加の呼びかけをコメント依頼で出しておきました。
しばらく据え置いてから、具体的な振り分け作業開始でどうでしょうか?
--Justiceman 2011年3月1日 (火) 07:34 (UTC)
  • Justiceman氏の提案の中で1点だけ
   ・情報発表に消極的な公的機関に記者クラブが記者会見を求めて実現させてきたという歴史がある[16]。
   ・「言論・報道の自由」と、国民の知る権利のために培われてきたシステムである[32]
はタイトルと記述がずれているとのことなので、上の2文を『情報発表に消極的な公的機関に記者クラブが記者会見を求めて実現させ「言論・報道の自由」と、国民の知る権利のために培ってきたシステムである』にすればいいのでしょう(文章の細かいところは直してください)--パタゴニア 2011年3月1日 (火) 14:35 (UTC)

「記者クラブ」と「記者クラブ問題」を分ける案 編集

  •   コメントひょっとするとJusticemanさんがやりたいことは「記者クラブ」ではなく「記者クラブ問題」なのではないかと思いました。ちょうど靖国神社靖国神社問題が別であるようにです。であるならば分割して立項することも手かなと思います。--とん坊 2011年2月27日 (日) 18:54 (UTC)
あー、なるほど。やっぱり他者と意見を出し合うと、色々気づかせてくれることが出てきて有意義ですね。
「記者クラブ」と「記者クラブ問題」を分けるのも<あり>ですね。というかその方がいいですね。
ただ私は報道関係者ではないので、記者クラブ問題の発生の経緯とかまったく存じ上げないので、周辺マターに詳しい人がいてくれないと別項とするのは難しいかも。
それに、今ある記者クラブの記述を全部振り分ける作業が発生するし、両方にまたがってるような内容の記述とかあるとやっかいそうなんで、気が進まないですねー。欧米人のようにテンポよく議論が展開するなら結構なんですが、日本人の場合は些細なことでも合意調達の道のりにくたびれてしまいますからねー。日本人の宿痾なんでしょうが、お互いに無意味に人を疲労させることに労力を費やしてることが、日本社会の弱点なんでしょうねw
とにもかくにも、私が今やりたい事として提案してるのは下記の2点だけです。
1.諸外国を参照する限りにおいて、記者クラブが存在していることによって担保されているとは思いがたい事項が、記者クラブの利点として記述されてる現状の不適切さの是正
2.タイトルから脱線してる箇条書きを削除、もしくは新規タイトルを設けてそこへ移行させる
--Justiceman 2011年2月27日 (日) 21:24 (UTC)
とん坊氏が提案された「記者クラブ問題」を新たに設置することに、Miya氏とパタゴニア氏が賛同されています。私は既に述べた理由により不参加とします。どうせ彼ら二人は無責任な放言を行ってるだけでしょうから、実質振り分け作業はなされないと思いますので、議論を戻したいと思います。なお、パタゴニア氏の一連の行動は、議論に積極的でしょうか?ただ妨害したいだけであれば、議論の場から退いていただきたいと思うので、以降は「建設的な投稿ない限り」私から彼らへの返信は差し控えます。
--Justiceman 2011年2月28日 (月) 20:30 (UTC)
↑Justiceman氏のこの発言は自分の気に入る意見以外は対話拒否する宣言ですね、Justiceman氏は合意成立を自ら放棄したわけです--パタゴニア 2011年2月28日 (月) 22:59 (UTC)


「記者クラブ」と「記者クラブ問題」を分ける案に賛成です。今の記者クラブの状態がベストとは思っていませんが、出典もある情報を削るかどうかで押し問答するよりも、一から「記者クラブ問題」を執筆していただいた方が建設的です(それにJusticemanさんのお書きになる記事を私も読んでみたいです)。 報道関係者でないことは執筆の妨げにはなりません。記者クラブ#参考文献に挙がっている本に目を通していただければ、記者クラブの歴史がある程度把握できるはずです。『記者クラブの利点と弊害』については、見出しの直下に{{main|記者クラブ問題}}と書けば

と表示されます。

ところでいささか苦言になりますが、「記者クラブ問題の発生の経緯とかまったく存じ上げない」とのこと。記者クラブの改稿議論に積極的に参加なさる以上、そのあたりの経緯はちゃんと把握したうえで意見を述べていただきますようお願いいたします。--miya 2011年2月28日 (月) 07:36 (UTC)

非常に腹立たしい思い上がりなので、ここだけ特別に返信いたします。
記者クラブの改稿議論に積極的に参加なさる以上、そのあたりの経緯はちゃんと把握したうえで意見を述べていただきますようお願いいたします。」
あなたの言葉を借用すると、そのあたりの経緯をまったく知らない<あなた>が、なぜこの場にいらっしゃるのでしょうか?
なお、意見を差し挟む前に回答すべきことがあるのではないでしょうか?
この議論の場で、一体あなたは「何をやりたい」のでしょうか?議論に参加したいのでしょうか?あなたの立ち位置を明確にしていただけないと、あなたをどう扱って良いのか困惑してしまいます。
--Justiceman 2011年2月28日 (月) 21:08 (UTC)
私の会話ページでも少し書きましたが、こちらにも書いておきます。Justicemanさんのコメント「記者クラブ問題の発生の経緯とかまったく存じ上げない」で、Justicemanさんは記者クラブの歴史を把握しないまま出典のある記述を除去するよう主張しておられるのだと思い込み「記者クラブ#参考文献に挙がっている本に目を通していただければ」と申し上げました。もし、めぼしい参考文献はあらかたお読みになった上でのことでしたら、私の早とちりですので、この点につきましてはお詫びします。申し訳ありません。ただ、上でJusticemanさんは「記者クラブに関する学者の文献なんて、探してもまずないです」と書いておられましたが、ローリー・アン・フリーマン『記者クラブー情報カルテル』は記者クラブを真正面からとらえております。これを出典とすれば今以上の客観的批判が可能になるでしょう。この本を翻訳なさった橋場義之さん(上智大学文学部新聞学科教授)と天野勝文さん(元日本大学法学部新聞学科教授)の共著『新 現場からみた新聞学』もご参考になると思います。--miya 2011年3月10日 (木) 23:32 (UTC)
記者クラブ」と「記者クラブ問題」を分ける案に私も賛成します。ただし記者クラブ問題記事にも載せていいのは、あくまでも中立的で信頼できる情報源による出典に基づく記述だけです。記者クラブ問題記事でもこんなことを書いてはいけません。--パタゴニア 2011年2月28日 (月) 12:23 (UTC)
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