ノート:金剛 (戦艦)

最新のコメント:9 年前 | トピック:第一次改装の期間について | 投稿者:Prism11 VYB05736


艦名の由来について 編集

艦名の由来にある「第二次世界大戦が終わるまで」というのは正しくありません。記事にある以外にも規定の変更はありました。KZY 2004年7月10日 (土) 09:14 (UTC)返信

それでは訂正をよろしくお願いします。例えば下記ではいかがでしょう。Miya.m 2004年7月10日 (土) 23:14 (UTC)返信
提示いただいた案に加筆してみました。ただ、本記事には最初の一文だけ記載するのが本来の形かもしれません。現在は命名慣例についての記事がないので現状で良いかと思いますが...--KZY 2004年7月12日 (月) 16:19 (UTC)返信

旧日本海軍は日露戦争以後第二次世界大戦が終わるまで、巡洋戦艦を含む一等巡洋艦に山の名前を付すことを慣例とした。巡洋戦艦金剛はこの慣例に従い、大阪府にある金剛山にちなんで命名された。

旧日本海軍の艦船の命名慣例 編集

旧日本海軍の艦船の命名慣例には、

  • 戦艦に旧国名
  • 巡洋戦艦を含む一等巡洋艦に山の名前
  • 二等巡洋艦に川の名前
  • 航空母艦には瑞象となる空想上の飛行生物名(後に旧国名・山名を追加)
  • 一等駆逐艦には天象・気象・地象・海象名(二等駆逐艦が建造されなくなった後に草木名も使用された)
  • 二等駆逐艦には草木名

などがある。ただし、艦種が変更になっても艦名はそのまま引き継ぐ場合も多い。また、日露戦争以前の艦では、戦艦富士や戦艦三笠、装甲巡洋艦出雲等などこの慣例と異なる命名も多かった。


写真 編集

あの写真はレイテ沖海戦に録られた写真ではありません。 あの写真の艦も金剛ではありません、榛名です。

あの写真が撮られたのは1944年6月20日のマリアナ沖海戦二日目、 追撃を受ける小澤部隊前衛部隊です。

中央に移っている艦は榛名、その右斜め上で回避行動をしているのが 航空母艦千代田です。 変更をするべきだと考えます。

参考文献 写真太平洋戦争 第四巻 マリアナ沖海戦 63ページ

金剛の沈没位置について 編集

本項で「基隆北方」とされている金剛沈没位置ですが、バシー海峡とする資料もあり、位置的には台湾島を挟んで正反対になります。果たしてどちらが正しいのでしょうか? --126.197.153.52 2013年10月6日 (日) 12:20 (UTC)返信

改装後の金剛型の水線装甲について 編集

すみません、質問があります。 主要諸元の金剛型の改装後の水線装甲を305mmと記載されていますが、『歴史群像太平洋戦史シリーズ65 決定版 金剛型戦艦』p133では203mm、『日本戦艦物語1』p346では水線最大装甲厚は8インチ+4インチと表記されています。 金剛型は改装でバーベットの垂直部などの装甲を強化したというのは見たことがありますが、水線装甲を305mmにしたという記述はまだ見たことがありません。 よろしければ出典の併記をお願いいたします。--Zhelanie会話2014年12月8日 (月) 14:17 (UTC)返信

改装時に煙路についてはVC甲鈑8inとなっていますが、金剛級のバーベット部は改装時にも特に強化はされていません。従来のKC甲鈑9inのままです。

改装後の金剛級の安全戦闘距離は三年式14in徹甲弾に対して扶桑級と同等の20,000m〜25,000mとされています。扶桑級の舷側は水線VC甲鈑9in〜12in(約228mm〜299mm or 300mm)、上甲板側面VC甲鈑8in、傾斜部NVNC甲鈑2 8/5in(約66mm)ですが、扶桑型の場合機関部と第三砲塔、第四砲塔にかけての12in部分については傾斜部がありませんので、その部分は舷側水線12in、中甲板側面8inのみです。それに対して金剛級は水線部〜中甲板側面KC甲鈑8in(200mm)、上甲板側面KC甲鈑6in(約152mm)、弾火薬庫中甲板傾斜部NVNC甲鈑4in(約101mm)となっています。このため、単純に合計すれば扶桑級の水線部は294mm〜299mm or 300mm 金剛級は水線部約301mmになりますが、扶桑級や金剛級は大和型のような1層防御ではありませんので、第一装甲はあくまでそれぞれ9in〜12inと8inのみです。第一装甲を穿突した砲弾がどのような状態と存速で第二装甲に直撃するのか不明ですし、その際の計算式も分かりませんので第二装甲の効果についてはなんとも言えませんが、元々九一式式徹甲弾の穿突力が距離20,000mでは300mmを越えるのに対して、三年式徹甲弾では同距離では193mm程度の穿突力しかありませんので、三年式徹甲弾の場合はVC甲鈑8inでも第一装甲で十分砲弾の穿突を防げる事になります。そのため扶桑級と金剛級の安全戦闘距離は同等になります。しかし、これは結局扶桑級の水線部が9inでしかない事と、穿突力の低い三年式徹甲弾を使用しているため8inの金剛級の安全戦闘距離が扶桑級と同等となっているだけですので、金剛級の水線部を300mmとするのは正しいとは言えません。また、砲弾が九一式徹甲弾の場合では扶桑級と金剛級では大部分は1inの差しかありませんのでそこまで極端な差はないでしょうが、水線の一部が12inの扶桑型と比べた場合8inの金剛級ではその部分に命中する可能性自体は低いものの30,000m〜25,000mの間でも舷側水線部を穿突されますし、予備浮力自体も扶桑級よりも金剛級の方が小さいため金剛級の方が戦闘能力を喪失するのは実際には扶桑級よりも早いと思われます。とはいっても水線部VC甲鈑299mm、中甲板側面VC甲鈑199mm、傾斜部NVNC甲鈑68mm〜120mmの伊勢級で漸く九一式徹甲弾に対する安全戦闘距離が決戦距離の25,000m〜20,000mになりますので、どの道扶桑級や金剛級の防御は不十分ではあります。--樹雨会話2014年12月28日 (日) 15:09 (UTC)返信

改装後の金剛型の水線部は305mmではなかったのですね。質問に答えてくださり、ありがとうございます。--Zhelanie会話2014年12月29日 (月) 11:24 (UTC)返信

第一次改装の期間について 編集

6.2 第一次改装の節についてです。
「1928年(昭和3年)10月より1929年(昭和6年)9月15日まで」とありますが、1929年は昭和6年ではありません。その下に「1931年(昭和6年)6月1日付けで戦艦に艦種変更された。」とありますが、これも「1929年(昭和6年)」となっていたので、単純なミスと思い修正しました。
9 艦歴の節や、他のインターネット上の資料を見ると、第一次改装も1931年(昭和6年)の表記ミスかと思われますが、この期間について原典資料が提示されており、資料を確認できない私には修正することが出来ません。どなたか修正出来る方がおられましたら、修正をお願いします。--Sith-c会話2015年1月4日 (日) 03:19 (UTC)返信

ご指摘ありがとうございます。確認の上で訂正しましたが、遺漏等お気になる点ございましたらお気軽に仰って下さい。--プリズム11会話2015年1月4日 (日) 05:59 (UTC)返信
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