ハイコ・ヘルリッヒ

ドイツのサッカー選手・監督

ハイコ・ヘルリッヒHeiko Herrlich, 1971年12月3日 - )は、ドイツマンハイム出身のサッカー指導者。元サッカー選手元ドイツ代表。ポジションはフォワード

ハイコ・ヘルリッヒ
バイエル・レバークーゼン監督時代(2018年)
名前
ラテン文字 Heiko Herrlich
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1971-12-03) 1971年12月3日(52歳)
出身地 マンハイム
身長 186cm
体重 83kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989-1993 ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン 75 (6)
1993-1995 ドイツの旗 ボルシアMG 55 (28)
1995-2004 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 128 (42)
通算 258 (75)
代表歴
1990-1993 ドイツの旗 ドイツU-21 20 (17)
1995 ドイツの旗 ドイツ 5 (1)
監督歴
2005-2007 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント U-19
2007-2008 ドイツの旗 ドイツU-17
2008-2009 ドイツの旗 ドイツU-19
2009-2010 ドイツの旗 VfLボーフム
2011-2012 ドイツの旗 SpVggウンターハヒンク
2013-2015 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン U-17
2015-2017 ドイツの旗 SSVヤーン・レーゲンスブルク
2017-2018 ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン
2020-2021 ドイツの旗 FCアウクスブルク
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

キャリア 編集

SCフライブルクのユースを経て1989年にバイエル・レバークーゼンにてキャリアデビューを果たす。U-21代表に選ばれるなど、将来を嘱望されていた。しかし、ウルフ・キルステンアンドレアス・トームの影に隠れて不遇の時を過ごす。

1993-1994シーズンより活躍の場を求め、ボルシア・メンヒェングラートバッハに移籍し、8ゴールを挙げる。翌1994-1995シーズンフィオレンティーナから移籍してきたシュテファン・エッフェンベルクスウェーデン代表マルティン・ダーリンらと強力なアタック陣を形成。ヘルリッヒは闘志溢れるプレーと強烈なヘディング、的確なポジショニングと正確なシュートで20ゴールを挙げる大活躍をし、ヴェルダー・ブレーメンマリオ・バスラーと共に得点王に輝く。それまで中位に低迷していたチームをブンデスリーガ5位に躍進させ、DFBポカールにおいても決勝のVfLヴォルフスブルク戦においてゴールを挙げるなど優勝の原動力に。代表デビューも果たし、充実のシーズンを送る。若かりし日のルディ・フェラーを彷彿させ、まだ23歳と若かったヘルリッヒはボルシア・メンヒェングラートバッハの未来を担うと思われていた。

しかし、1995-1996シーズン開幕前にカール=ハインツ・リードレら相次ぐフォワード陣の怪我に泣かされていたボルシア・ドルトムントへ1100万マルクの移籍金(当時のドイツ国内史上最高額の移籍金)で移籍。しかし、この移籍に難色を示していたボルシア・メンヒェングラートバッハとボルシア・ドルトムントの間で法廷闘争にまで発展し、事態を重く見たDFBや当時の代表監督ベルティ・フォクツまで介入する騒動となる。

ボルシア・ドルトムント移籍後は、引退まで9シーズンに渡り42ゴールを挙げ、1997年にはUEFAチャンピオンズ・リーグ優勝、同年のインターコンチネンタルカップでは1ゴールを決め優勝に貢献[1]、また2度のブンデスリーガ優勝などのタイトルを獲得する。しかし、2000年には試合中に視覚障害を訴え、精査の結果、悪性の脳腫瘍が発覚。放射線治療を受け、1年に及ぶ治療の末、シャルケ04とのルールダービーで2001年に復帰を果たす。しかし、かつてのフォームには戻ることはできず、怪我の影響もあり2004年に現役を引退した。

監督 編集

2005年にコーチングライセンスを取得。U-17ドイツ代表を2007年FIFA U-17ワールドカップ準決勝進出に導いた。2008年よりU-19代表の監督に就任。2009年10月DFBとの契約を解除し、マルセル・コラー前監督の後任として、VfLボーフムの監督に就任。しかし、チームを完全に立て直すことは出来ず、2010年4月に途中解任となる。

2017年6月9日バイエル・レバークーゼンの監督に就任した。

個人成績 編集

クラブ 編集

クラブ シーズン リーグ DFBポカール 国際大会 その他 通算
ディビジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
バイエル・レバークーゼン 1989-90 ブンデスリーガ 16 0 1 0 17 0
1990-91 18 3 1 0 3 1 22 4
1991-92 28 3 5 2 33 5
1992-93 13 0 0 0 13 0
通算 75 6 7 2 3 1 85 9
ボルシアMG 1993-94 ブンデスリーガ 23 8 2 0 25 8
1994-95 32 20 6 6 38 26
通算 55 28 8 6 63 34
ボルシア・ドルトムント 1995-96 ブンデスリーガ 16 7 4 1 6 1 26 9
1996-97 23 8 1 1 9 3 33 12
1997-98 21 7 3 2 7 2 3 1 34 12
1998-99 21 6 2 0 23 6
1999-00 22 6 1 0 9 1 1 0 33 7
2000-01 10 7 2 3 12 10
2001-02 10 0 0 0 3 1 13 1
2002-03 5 0 2 0 2 0 9 0
通算 128 41 15 7 36 4 4 1 183 53
総通算 258 75 30 15 39 5 4 1 331 96

代表数 編集

国際Aマッチ 5試合 1得点(1995年)


ドイツ代表国際Aマッチ
出場得点
1995 5 1
通算 5 1

監督成績 編集

2021年4月23日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ボーフム 2009年10月27日 2010年4月29日 22 4 8 10 018.18
ウンターハヒンク 2011年7月1日 2012年5月25日 40 13 8 19 032.50
ヤーン・レーゲンスブルク 2015年12月20日 2017年6月30日 59 28 13 18 047.46
バイエル・レバークーゼン 2017年7月1日 2018年12月23日 64 32 14 18 050.00
アウクスブルク 2020年3月10日 2021年4月26日 42 12 9 21 028.57
合計 226 88 52 86 038.94

タイトル 編集

選手時代 編集

バイエル・レバークーゼン
ボルシア・メンヒェングラートバッハ
  • DFBポカール:1回(1994-95)
ボルシア・ドルトムント
個人
  • ブンデスリーガ得点王:1回(1994-95

脚注 編集

  1. ^ FIFA CLUB WORLD CUP の歴史”. NTV. 2020年6月6日閲覧。