ハートリッジ・スクール

ハートリッジ・スクールは(The Hartridge School for Girls)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州プレインフィールドにあった女子校である。

この学校は1884年にスクリブナー・ニュートン・スクールとして創立され、1903年にエメリン・B・ハートリッジが校長兼オーナーになったのに伴ってハートリッジ・スクールと改名した。

ハートリッジ・スクールは長年にわたって、男子校のウォードロー・スクール(1960年代まで同じくプレインフィールドにあった)と、お互いに他校の生徒をダンスに招待したり、演劇活動を共同で行うなど密接な関係にあった。1971年にウォードロー・スクールと合併して共学のウォードロー・ハートリッジ・スクール(Wardlaw-Hartridge School)となった。

1924年大正13年)から1928年昭和3年)まで、日本人・白洲正子が留学していたことでも知られる。