バッド (車両メーカー)

企業

バッドカンパニーThe Budd Company )は、かつてアメリカ合衆国ミシガン州トロイに本社を置いていた金属加工メーカー。日本語では「バッド社[2]」の通称が用いられた。

The Budd Company
元の種類
民間企業
業種 鉄道、自動車、航空
その後 破産
後継 ボンバルディア・トランスポーテーション
設立 1912年 (112年前) (1912)
解散 2014年
本社 米国ペンシルベニア州フィラデルフィア
事業地域
全世界
Edward G. Budd Manufacturing Company
フィラデルフィアの製造施設
バッド (車両メーカー)の位置(フィラデルフィア内)
バッド (車両メーカー)
バッド (車両メーカー)の位置(ペンシルベニア州内)
バッド (車両メーカー)
バッド (車両メーカー)の位置(アメリカ合衆国内)
バッド (車両メーカー)
所在地2450 W. Hunting Park Ave., Philadelphia, Pennsylvania, United States
座標北緯40度00分29.6秒 西経75度10分08.7秒 / 北緯40.008222度 西経75.169083度 / 40.008222; -75.169083
面積70エーカー (28 ha)
建設1917
建築家Giffels & Vallet, Inc.; Albert Kahn & Associates
建築様式20th Century Industrial
NRHP登録番号07001328[1]
NRHP指定日December 27, 2007

機械工から鉄道車両製造技術者に転じたエドワード・G・バッド(Edward G. Budd、1870 – 1946)が1912年、フィラデルフィアに設立した。バッドは1913年、世界初の全鋼製自動車ボディを開発したほか、1932年にはステンレス鋼を損傷なく溶接する「ショット溶接」(Shot welding)技術を発明し、第二次世界大戦を挟み数十年にわたり世界各国にステンレス製鉄道車両等を供給した。

1978年ドイツティッセンクルップグループ傘下に入って「バッドティッセン」(BuddThyssen)に改称。鉄道車両製造事業などを売却して自動車用鋼材を中心とする金属加工メーカーとなり、1999年に「ティッセンクルップバッド」(ThyssenKruppBudd)に改称したが、2006年に事業を売却し、2014年に破産申請を行って倒産した。現在は退職者を対象にした年金事業等を行う法人として存続している。

ステンレス製飛行艇「パイオニアI」、「パイオニア・ゼファー」号の機関「パイオニアII」、日本型鉄道車両にも用いられた台車「パイオニアIII」のように、意欲的な新製品を開発するごとに分野に関係なく「パイオニア~」という名を開発順に与えていた[3]

歴史 編集

自動車における先駆者 編集

1912年に創業したバッドは、1916年にはダッジ(アメリカの自動車メーカー)向けの車体を納入する。

鉄道における伝説 編集

バッドは1930年代から1989年まで鉄道車両の製造も行っていた。特に「ショットウェルド」(shotweld, 意訳:スポット溶接)と称するステンレス鋼接合技術を開発したことで有名で、これは鉄道以外の多くの分野にも生かされた。

 
鉄道車両に設けられたバッド社の製造銘板

1934年には輝くステンレス車体とその奇抜な外観で有名なパイオニア・ゼファーを納入した。この車両は流線形ブームの先駆けともなり、現在シカゴ科学産業博物館に収蔵されている。1949年には単行運転が可能で総括制御にも対応した画期的な気動車、レール・ディーゼル・カー(通称RDC)を開発[3]。1950年代にはステンレス車体の客車を大手鉄道会社に納入、エル・キャピタン(El Capitan)やスーパー・チーフ(Super Chief)などの看板列車に使われ、鉄道業界での存在感を示した。

このほか、1964年の東海道新幹線開通に触発されたペンシルバニア鉄道向けとして高速電車メトロライナー[3]も製造している。これは1971年に発足したアムトラックにも引き継がれ、「世界最高速クラスの列車」として初期のポスターに用いられる[4]などアムトラック初期の看板列車となった。

東急車輛製造とのライセンス提携 編集

バッドはそのオールステンレス車両の技術が世界中で注目されたことにより、世界各国の鉄道車両メーカーがその技術を採用するために同社とライセンス提携を結んだ。以下にそれを示す。

このうち、日本の東急車輛製造とは1960年代初めにライセンスを交わし、1962年(昭和37年)にはその成果として東京急行電鉄向け7000系電車を落成。台車にも同社の「パイオニアIII」型が用いられ[5]、日本のオールステンレス車体時代の始まりにもかかわっている。この7000系以後、東京急行電鉄では路面電車玉電を例外として[6]専らこのライセンスに基いてオールステンレスカーを投入し続け、「東急のステンレスカー」を特集した『鉄道ファン 1979年5月号』でも、バッド社が与えた影響の大きさについて編集後記コーナー「カレチ」で「東急の車両を変えてしまったといっても過言ではない」と評している[7]。これは日本国内向けにとどまらず、台湾国鉄向けのDR2700形気動車[8]などの東急車輛製造による海外向け輸出車輌にもおよんだ。

航空機への挑戦 編集

バッドは1930年代に航空機の研究をしていたことでも知られている。同社は「パイオニアI」と名づけた飛行艇を試作し、ステンレスによる航空機製造の可能性を模索した[3]。同社製品は第二次世界大戦のときにごく少数ではあるがアメリカ海軍に納入している。

斜陽 編集

その後、バッドは1964年より1965年にニューヨーク市地下鉄のR32形、1968年にフィラデルフィアPATCO用電車、1969年より1970年にかけシカゴ・L用2200形、1981年から1987年に同2600形などの通勤電車を製造。 1975年から1983年にかけてはアムトラック向けにアムフリート客車[3]を製造し、1977年にこれを基にしたRDCの後継機「SPV2000形気動車英語版」の構想を発表する[9]。しかしながらこの頃には西ドイツの鉄鋼企業ティッセンによる買収が取り沙汰されるなど徐々に先行きが不透明になり[10]、果たして1978年に買収されるに至る[11]

鉄道車両の製造終了 編集

1980年代半ば、業績の悪化していたバッドは鉄道車両製造部門を改組し「トランジット・アメリカ」と名づけた。 これはシカゴ交通局のシカゴ・L用2600形後期製造車などの製造銘板にも銘記されたものの、この取り組みは業績回復にはつながらなかった。 1987年4月3日をもって、フィラデルフィア北東部に位置したレッド・ライオン工場での操業を停止。同社の保有する車輌設計はボンバルディアに売却された。

主な製品 編集

自動車 編集

航空機 編集

鉄道車両 編集

バッド社独自で製造した主な車両 編集

バッド社のライセンスによって製造された主な車両 編集

脚注 編集

  1. ^ National Park Service (13 March 2009). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  2. ^ 西尾『鉄道ファン』1979年5月号 P.122
  3. ^ a b c d e 西尾『鉄道ファン』1979年5月号 P.124
  4. ^ National Railroad Passenger Corporation 2011 P.24
  5. ^ 宮田『鉄道ファン』1979年5月号 P.19
  6. ^ ステンレスは車体破損時の修復が難しく、交通事故に遭遇する危険性が高い路面電車の材質としては不向きである。
  7. ^ 『鉄道ファン』1979年5月号 P.146
  8. ^ 車体中央屋上部の巨大なラジエーターなど、前述のバッド社製RDCの影響が強く窺える。
  9. ^ 西尾『鉄道ファン』1979年5月号 P.127
  10. ^ 西尾『鉄道ファン』1979年5月号 P.129
  11. ^ アーカイブされたコピー”. 2015年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月25日閲覧。

参考文献 編集

  • 鉄道ファン』(交友社)1979年5月号「バッド社のディーゼル動車」西尾源太郎
  • 『鉄道ファン』(交友社)1979年5月号「東急ステンレスカー20周年 5200から8400まで」宮田道一
  • National Railroad Passenger Corporation (2011). Amtrak:An American Story. Washington, D.C. Amtrak. ISBN 978-0-87116-444-5

関連項目 編集

外部リンク 編集