バニー・リー(Bunny Lee、本名エドワード・オサリヴァン・リー(Edward O'Sullivan Lee)、1941年8月23日 - 2020年10月6日[1])、またの名をバニー・ストライカー・リー(Bunny "Striker" Lee)は、1970年代に成功を収めたジャマイカの音楽プロデューサー。

バニー・リー
基本情報
出生名 エドワード・オサリヴァン・リー
別名 バニー・ストライカー・リー
生誕 (1941-08-23) 1941年8月23日
出身地 ジャマイカの旗 ジャマイカ
死没 (2020-10-06) 2020年10月6日(79歳没)
ジャンル レゲエ
ダブ
職業 音楽プロデューサー
レーベル Jackpot, Third World, Lee's, Striker Lee

1960年代後半から既にヴァージョンを量産していて、エンジニアのキング・タビーと共に実験的なダブワイズ作品を多くリリースする。シングルのB面に必ずヴァージョンを入れるようにしたのはバニー・リーが最初と言われる。ダブを量産した張本人とも言える。

1972年にキング・タビーが自分のミキシング専用スタジオ、「キング・タビーズ」を開いた頃、もっとも彼とよく仕事をしたのがバニー・リーだった。バニー・リーのハウスバンドであったアグロベーターズのドラマー、サンタ・デイヴィスが刻むハイハットを強調したサウンドは、「フライング・シンバル」と呼ばれた。1970年代後半までに、スタジオ・ワントレジャー・アイルの古典的なリディムをリメイクして、DJ物を量産した。

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