バブ・エル・マンデブ海峡

バブ・エル・マンデブ海峡(バブ・エル・マンデブかいきょう、英語:Bab el-Mandeb Strait、Bab-el-Mandeb Strait、Bab el Mandeb Strait等)は、アラビア半島南西部のイエメン東アフリカエリトリアジブチ国境付近の海峡で、アラビア語で「嘆きの門、悲嘆の門」を意味する。

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この海峡で紅海アデン湾を分け、その先のアラビア海へと続いている。マンデブ海峡 (Mandeb Strait) と呼称されることも多い。

概要 編集

海峡の幅は30kmほどしかなく、しかも東部にはペリム島(イエメン領)、西部にはサワビ諸島(ジブチ領)があり、航路はさらに限られる。

世界の航海海運地政学上の重要な海峡(チョークポイント)であり、イギリスフランスイタリアが競って周囲を植民地にしていった。第四次中東戦争中はエジプト海軍駆逐艦2隻を同海峡に派遣し、(当時友好国同士であった)イランからイスラエル向け石油の流通を海上封鎖した。この海峡に面するジブチには現在も、フランスやアメリカ合衆国日本中国などが部隊派遣や拠点展開を行っている。

2018年7月26日サウジアラビアで原油の積み出しを行ったタンカー2隻がイエメン沖で反政府勢力フーシからの攻撃を受けた。このためサウジアラビア政府は、安全を確保するため翌月8月5日まで海峡を通過する石油輸送の停止を行った[1]

自衛隊の派遣 編集

この海域は海賊などの活動が見られ、2019年6⽉には⽇本関係船舶「コクカ・カレイジャス」号の被害が発⽣。日本からはかねてより日本関係船舶保護の目的で自衛隊が派遣されており、ジブチを拠点として

  • 海上部隊(200名)と護衛艦による護送や海域の監視
  • 航空隊(60名)によるP-3C哨戒機を使った監視と日本国ならびに他国船舶への情報提供
  • 支援隊(120名)によるサポート

が行われている[2][3]

ジブチに拠点を置く自衛隊はソマリアの海賊対策だけでなくスーダン紛争を受けての法人待避[4]、2023年11月に発生したタンカー乗っ取り事件にも対応[5]。バブ・エル・マンデブ海峡を始めとする周辺海域での活動を続けている。

なお活動対象海域はバブ・エル・マンデブ海峡以東のイエメン沖、オマーン沖付近[6][7]となっており、紅海は含まれない。ジブチ派遣は海賊多発海域における日本船舶の警備に関する特別措置法施行令によるものであることから、2023年11月19日に紅海で発生したフーシ派による日本郵船運行貨物船の拿捕事件[8][9]を機に、紅海も含めての体制となるかどうかが議論されるようになった[10]

名称 編集

意味 編集

バブ・エル・マンデブは原語であるアラビア語の発音に含まれる長母音を含まない当て字だが、1910年代の書籍[11]でも同様の「バブ・エル・マンデブ」となっているなど100年以上使い続けられてきたカタカナ表記となっている。

アラビア語表記مَضِيقُ بَابِ الْمَنْدَبِ

文語アラビア語発音:Maḍīq Bāb al-Mandab(マディーク・バーブ・アル=マンダブ, 実際には途切れず発音するためマディーク・バーブ・ル=マンダブとなる)

口語アラビア語発音:Maḍīq Bāb el-Mandeb(マディーク・バーブ・エル=マンデブ, 実際には途切れず発音するためマディーク・バーブ・ル=マンデブ、マディーク・バービ・ル=マンデブ等となる)

文語アラビア語における発音と各部の意味:

  • مَضِيق(maḍīq, マディーク):【場所名詞語形】(1)狭い場所、狭まっている場所(2)海峡[12]
  • بَاب(bāb, バーブ):【名詞】(1)戸、扉、ドア(2)門[13]
  • اَلْـ(al-, アル=):【定冠詞】英語の the に相当[14]
  • مَنْدَب(mandab, マンダブ):【動詞(نَدَبَ, nadaba, ナダバ, 「死者の死を悼んで嘆く・号泣する」の意)に由来する場所名詞語形】嘆き、死者を想って泣くこと、死者を追悼して号泣すること[15][16]
  • بَاب الْمَنْدَبِ(bāb al-mandab, バーブ・アル=マンダブ, 実際の発音:bābu-l-mandab(バーブ・ル=マンダブ)):【名詞・被属格支配+名詞・属格支配の複合語】嘆きの門、悲嘆の門

命名の由来 編集

バブ・エル・マンデブ(バーブ・エル=マンデブ)自体はイエメンの海沿いにある投錨地・停泊地、海岸、湾の名称。

由来についてはいくつかの説[17][18][19][20]がある。

  1. 海峡の幅が狭くまた潮の流れが急であること、毎年11月から数ヶ月ほどは季節風が強くインド洋の方向から地中海の方へ向けて吹くこと、サンゴ礁や小島が点在することからインド洋-紅海を往来する帆船には常に座礁や沈没の危険がつきまとった。この海域で溺れ死に命を落とした船乗りたち、行方不明になったまま帰還しなかった夫たちを悼み彼らの妻らが浜辺で嘆き悲しんだことが命名の由来だとする説。
  2. アラビア語の「嘆きの門、悲嘆の門」という意味ではなくそれよりも古いヒムヤル語での呼び名「من ندب أي」(渡る、通過する)だとする説。
  3. アビシニア(現エチオピア付近にあったアクスム王国)と最後のヒムヤル王ズー・ヌワース軍が交戦した際にアビシニア側の人間が敗走して海を渡りイエメン側に渡航。自軍の死者らを悼み嘆き悲しんだことから「嘆きの門、悲嘆の門」と命名されたとする説。
  4. アラブ人が海向こうのアフリカに略奪を仕掛けていた時代、現地の人々は奴隷としてアラビア半島に連行された。捕虜となったアフリカ人の母親たちが子を奪われ失った悲しみから嘆き涙にくれたことが由来とする説。
  5. アジア大陸とアフリカ大陸とが分離した時の大地震により溺れ死んだ大勢の人々にちなむとする説。

ヤークート・アル=ハマウィーによる地名解説 編集

中世の資料では単に اَلْمَنْدَب(al-Mandab, アル=マンダブ)の名前で「ザビード向かいにある、見下ろしがきく山に接した投錨地・停泊地」として登場するなどしている[21]。西暦1220年頃に刊行されたヤークート・アル=ハマウィー著『مُعْجَم الْبُلْدَانِ』(Muʿjam al-Buldān, ムウジャム・アル=ブルダーン, 「諸国辞典、諸国集成」の意)[22]では、嘆き・悲嘆という意味合いは登場せず「派遣場所、派遣先」が由来だと説明されている。

イエメンの王らがこの海の難所を敵軍を沈没させるための戦略的拠点と考え、この地点にアクセスするための経路を作らせるべく配下の者たちを"派遣した(نَدَبَ, nadaba,「派遣する」の意で「死者の死を悼んで嘆く・号泣する」と同綴同音意義)"ことがこの地名「アル=マンダブ」の意味だという。

別名 編集

この海峡には「嘆きの門、悲嘆の門」と関連した別名が存在する。

  • بَوَّابَة الدُّمُوعِ(Bawwābat al-Dumūʿ, バウワーバト・アッ=ドゥムーウ, 実際の発音:bawwābatu-d-dumūʿ(バウワーバトゥ・ッ=ドゥムーウ)):涙の門[23]
  • مَضِيق الدُّمُوعِ(Maḍīq al-Dumūʿ, マディーク・アッ=ドゥムーウ, 実際の発音:maḍīqu-d-dumūʿ(マディーク・ッ=ドゥムーウ)):涙の海峡[19]

出アフリカ 編集

約20万年前に東アフリカ大地溝帯で誕生した現生人類は、約7万年前の最終氷期の始まりにより気候が乾燥化し、草原および狩りの獲物が減少したために移住を余儀なくされ、海水準が降下したためにバブ・エル・マンデブ海峡の幅が11kmほどに縮まった時に、海峡を通じてアラビア半島南部へ渡ったとする仮説がある。

当時もアラビア半島内陸部には砂漠が広がり、人類の生存に適していなかった一方で、海水準の低下によりアラビア半島南部沿岸は今よりも陸地が広く、インド洋モンスーンを水源とする、淡水の湧くオアシスが点在し、それを頼りに海岸沿いに移動したとされる。現在のイエメンからオマーンにかけての陸地に、約7万年前から約1万2000年前までの間、人類が住んでいた痕跡がある。オマーンには現在でも当時の名残を思わせるドファール山地が存在する。アラビア半島を海岸沿いに反時計周りに移動すれば、ペルシャ湾へと到達する。ペルシャ湾は現在平均水深50mほどの浅い内海で、当時はホルムズ海峡のあたりまで、周囲から河川が流れ込む水と緑の豊かな陸地(峡谷)だったと考えられている。人類はそこからさらにメソポタミアヨーロッパアジアオーストラリア南北アメリカに拡散したとされる。約1万2000年前に氷期が終わり、海水準の上昇により海中に没したそれらの陸地を、「エデン」に比定する仮説もある。

北ルート説と南ルート説 編集

約6万年前に、現生人類がアフリカから出て拡散したルートは、エチオピアからバブ・エル・マンデブ海峡を渡ってアラビア半島に到達したとする上記の「南ルート説」の他に、エジプトからシナイ半島経由の「北ルート説」が提唱されており、考古学上の論争となっている。

脚注 編集

  1. ^ サウジが紅海からアデン湾への石油輸送再開”. AFP (2018年8月5日). 2018年8月6日閲覧。
  2. ^ 中東地域における⽇本関係船舶の安全確保に関する政府の取組”. 2023年11月28日閲覧。
  3. ^ 2022年 海賊対処レポート(ソマリア沖・アデン湾における 海賊対処に関する関係省庁連絡会)”. 内閣官房. 2023年11月28日閲覧。
  4. ^ 在スーダン共和国邦人等の輸送の終結について”. 防衛省・自衛隊. 2023年11月29日閲覧。
  5. ^ 日本放送協会 (2023年11月28日). “アデン湾 タンカー乗っ取り 海自護衛艦の周辺に弾道ミサイル | NHK”. NHKニュース. 2023年11月28日閲覧。
  6. ^ 自衛隊、中東独自派遣へ 首相検討指示 有志連合参加せず:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2023年12月15日閲覧。
  7. ^ 自衛隊が「領海侵犯やテロ」に対抗しにくい根因”. 東洋経済オンライン (2020年1月28日). 2023年12月15日閲覧。
  8. ^ イエメン・フーシ派が貨物船を拿捕、イスラエルは自国船ではないと 日本郵船が運航」『BBCニュース』。2023年12月15日閲覧。
  9. ^ 日本放送協会 (2023年11月20日). “フーシ派 日本郵船運航の貨物船を乗っ取りか | NHK”. NHKニュース. 2023年12月15日閲覧。
  10. ^ 海賊対処行動の活動範囲拡大か 商船保護強化で米国と協議|防衛省 - 防衛日報デジタル|自衛隊総合情報メディア”. dailydefense.jp. 2023年12月15日閲覧。
  11. ^ 『亜細亜大観』黒竜会出版部、1918年、991頁。 
  12. ^ المعاني (عربي-إنجليزي) - مضيق”. 2023年5月21日閲覧。
  13. ^ المعاني (عربي-إنجليزي) - باب”. 2023年5月31日閲覧。
  14. ^ المعاني (عربي-إنجليزي) - ال”. 2023年5月31日閲覧。
  15. ^ 日本では「涙の門」という訳で「マンダブ=涙」と紹介されていることが多いが、正しくは涙ではなく「嘆き、悲嘆、死者追悼の号泣」の意味。死んだ人を悼んで悲しみ嘆くことを指す。
  16. ^ المعاني (عربي-إنجليزي) - مندب”. 2023年5月31日閲覧。
  17. ^ باب المندب” (アラビア語). www.aljazeera.net. 2023年5月31日閲覧。
  18. ^ لماذا سمي باب المندب بهذا الاسم” (アラビア語). موضوع. 2023年5月31日閲覧。
  19. ^ a b Maen.Albayari. “باب المندب.. الجغرافيا والاسترانيجيا واستهداف الحوثي ناقلات نفط سعودية” (アラビア語). https://www.alaraby.co.uk/. 2023年5月31日閲覧。
  20. ^ Naji, Mustafa (2020年5月30日). “باب المندب، غرائبية الاسم ولعنة الموقع” (アラビア語). Al-Madaniya Magazine. 2023年5月31日閲覧。
  21. ^ معنى شرح تفسير كلمة (مندب)”. www.almougem.com. 2023年5月31日閲覧。
  22. ^ ص209 - كتاب معجم البلدان - مندب - المكتبة الشاملة”. shamela.ws. 2023年5月31日閲覧。
  23. ^ حكاية مضيق.. بوابة الدموع.. شريان حياة أم ساحة حرب؟.. باب المندب من أطماع فاسكو داجاما إلى أحلام إيران”. مصرس. 2023年5月31日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯12度35分 東経43度20分 / 北緯12.583度 東経43.333度 / 12.583; 43.333