パディ・ロウ(Paddy Lowe, 1962年4月8日 - )は、イギリス自動車技術者電子技術者実業家。ゼロ・ペトロリウム社創業者。主にモータースポーツの分野で活動し、F1チームの役職を歴任。特にマクラーレンにて長年に渡り要職を務めた。

パディ・ロウ
Paddy Lowe
ウィリアムズ・レーシング時代(2018年)
生誕 (1962-04-08) 1962年4月8日(62歳)
 ケニアナイロビ
国籍 イギリスの旗 イギリス
教育 (1976-1980) セブンオークス校
(1981-1984) ケンブリッジ大学
業績
専門分野 自動車エンジニア
電子工学
R&Dエンジニア
エンジニアリングディレクター
テクニカルディレクター
勤務先 (2020- ) ゼロ・ペトロリウム
雇用者 (1987-1993) ウィリアムズ
(1993-2013) マクラーレン
(2013-2017) メルセデス
(2017-2019) ウィリアムズ
設計 アクティブサスペンション
ウィリアムズ Head of Electronics
(1991-1993) FW14, 14B, 15C
マクラーレン R&Dエンジニア
(1994-2004) MP4/9MP4-19
    エンジニアリングディレクター
(2005-2010) MP4-20MP4-25
    テクニカルディレクター
(2011-2013) MP4-26, 27, 28
メルセデス テクニカルディレクター
(2015-2017) F1 W06, W07, W08
ウィリアムズ Chief Technical Officer
(2018-2019) FW41, FW42
成果 F1コンストラクターズ 3連覇など

経歴 編集

F1チーム時代 編集

1976年から1980年までセブンオークス校(英語版)に通い、ケンブリッジ大学で工学を専攻、1984年に卒業し修士。トニー・パーネルハンティンドンローラの製品、風洞計装および制御システムや、レースカー用のデータロガー システムの恩恵を受けた技術者群のうちの一人といえる。

電子回路設計部門のチーフとして、1987年にウィリアムズに加入した。チーム内ではフランク・ダーニーの仕事を引き継ぎ、アクティブサスペンション開発の責任者となった[1]

1993年、研究開発 (R&D) 部門のトップとしてマクラーレンに移籍し、その後8年間にわたって同チームの研究開発部門(後に動体技術部門に改称)を統括した。

2001年にシステム開発部門のチーフエンジニアとなり、後にレースにおけるMP4-20の性能・開発の研究開発を行った。テクニカルディレクターのエイドリアン・ニューウェイの離脱を受け、2005年5月にエンジニアリングディレクターに就任し、技術部門の責任者となった。2011年にはテクニカルディレクターに就任し、ティム・ゴス(エンジニアリングディレクター)、ニール・オートレイ(デザイン・開発プログラムディレクター)と共に技術部門を率いる体制となった[2]

 
メルセデスF1チーム時代 (2015年)

2013年2月、メルセデスへの移籍が明らかになった[3]。マクラーレンとの契約上、移籍は2014年になると思われたが、両チームの協議により2013年6月よりメルセデスへ合流して、技術部門を統括するエグゼクティブディレクターに就任[4]。2014年から2016年、メルセデスは3連覇を果たしメルセデスの躍進に大きく貢献した。2017年1月11日、契約満了に伴いメルセデスから離脱することが発表された[5]

2017年3月、古巣のウィリアムズに復帰。チーフテクニカルオフィサーに就任し、チームの株式も保有する[6]。しかし、移籍後の2018年に手がけた最初のマシンFW41が空力に深刻な問題を抱えて[7]コンストラクターズランキング最下位に低迷し、翌2019年FW42の完成が遅れ、プレシーズンテストの2日半を棒に振ったことから、チームは開幕1週間前にロウの休職を発表[8]6月25日に取締役会から退きチームを去った[9]

モータースポーツ離脱以降 編集

2020年に合成燃料企業ゼロ・ペトロリウム社(Zero Petroleum)を共同で設立[10]。同社のCEO(最高経営責任者)に就き、カーボンニュートラル燃料などの開発に従事している[11]

脚注 編集

  1. ^ 「パトリック・ヘッドが語るFW14B誕生秘話」『F1速報PLUS』Vol.8、イデア、2007年、32頁。
  2. ^ "マクラーレンのパディ・ロウが昇進". ESPN F1.(2011年1月27日)2013年3月2日閲覧。
  3. ^ "パディ・ロウ、メルセデスへの移籍が決定". F1-Gate.com.(2013年2月26日)2013年3月2日閲覧。
  4. ^ "メルセデス、パディ・ロウのチーム合流を正式発表". オートスポーツweb.(2013年5月20日)2013年5月20日閲覧。
  5. ^ "メルセデス、パディ・ロウの離脱を正式発表". F1-gate.com.(2017年1月11日) 2017年1月11日閲覧
  6. ^ ウィリアムズF1、パディ・ロウのテクニカルディレクター就任を正式発表”. F1-Gate.com (2017年3月16日). 2017年3月16日閲覧。
  7. ^ 空力問題に苦しむ今年のウィリアムズ、いまだトンネルの出口は見えず”. TOPNEWS (2018年5月17日). 2019年3月9日閲覧。
  8. ^ 苦境続くウイリアムズF1、技術責任者パディ・ロウの休職を発表”. AUTOSPORTweb (2019年3月7日). 2019年3月9日閲覧。
  9. ^ 低迷続くウイリアムズF1、技術責任者パディ・ロウの離脱を正式に発表”. AUTOSPORTweb (2019年6月26日). 2019年6月27日閲覧。
  10. ^ メルセデスF1“最強時代”の元技術責任者パディ・ロウ「当時の我々は今のレッドブルより強かった」F1界を去った今は会社を設立”. TopNews (2023年3月28日). 2024年3月4日閲覧。
  11. ^ パディ・ロウ 自身の会社ゼロを通じたザウバーのスポンサーとしてF1復帰「当時の我々は今のレッドブルより強かった」F1界を去った今は会社を設立”. F1-gate.com (2024年3月4日). 2024年3月4日閲覧。

関連項目 編集