パリシイ族(Parisii、別名:Quarisii)[1]とは、鉄器時代ケルト民族の1つである。紀元前3世紀中頃からローマ時代までガリア地方のセーヌ(ラテン語:Sequana)河岸に住んでいた。紀元前52年、パリシイ族はスエシオネス族(Suessiones)と共にカエサルに対するウェルキンゲトリクスの反乱に協力した(ガリア戦争)。

紀元前1世紀のパリシイ族の金貨(パリキャビネ・デ・メダイユ - 国立図書館メダル陳列室)
紀元前1世紀のパリシイ族の硬貨:馬が描かれている表面(パリキャビネ・デ・メダイユ
パリシイ族の硬貨(ニューヨークメトロポリタン美術館

彼らの代表的なオピドゥム(oppidum、城壁町)は、ルテティア・パリシオルム(ルテティア)にあった。ルテティアはローマのガリア・ルグドゥネンシス属州における重要な都市となり、最終的には現代のパリとなった。

バリー・カンリフ(Barry Cunliffe) は『ブリテンの鉄器時代共同体』(1974年)p.45 の中で、プトレマイオスの記述に基づき、ナンテール-パリ地域のパリシイ族とブリテン(イギリス)に移住したパリシイ族とを区別している。

脚注 編集

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