パリシーナ・マラテスタ

パリシーナ・マラテスタParisina Malatesta1404年 - 1425年5月21日)は、15世紀前半のフェラーラ侯爵ニッコロ3世・デステの2度目の妻。

パリシーナ・マラテスタ
Parisina Malatesta
フェラーラ侯妃

出生 1404年
死去 1425年5月21日
配偶者 フェラーラニッコロ3世・デステ
子女 ルチーア
ジネヴラ
アルベルト
家名 マラテスタ家
父親 チェゼーナ領主アンドレア・マラテスタ
母親 ルクレツィア・オルデラフィ
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マラテスタ家は武名高く、格式もある名門であった。彼女の伯父カルロ・マラテスタは高名な武将であり、父はチェゼーナ領主であった。15歳で20も年の離れたニッコロ3世の後妻となり、息子を二人産む。しかし4年後、19歳で夫とその亡き愛人ステッラ・トロメイの長男で、1つ年下であったウーゴ・デステ不倫関係になる。2年後、それはついにニッコロ3世に知られ、二人は城内の別々の塔に閉じ込められ斬首された。パリシーナは21歳の若さであった。

『パリシーナ』(ジュゼッペ・ベルティーニ画)