パルマ・ベースボールクラブ

1949パルマ・ベースボールクラブ(1949 Parma Baseball Club)は、イタリアプロ野球チーム。エミリア=ロマーニャ州パルマ県パルマにあるスタディオ・ベースボール・ニノ・カヴァリを本拠地とし、国内リーグの最上位カテゴリであるセリエAに所属する。2018年以降は冷暖房設備の施工を手掛ける地元企業パルマクリマがスポンサーとなっており、チーム名はパルマクリマ(Parma Clima)と表記される。

1949パルマ・ベースボールクラブ
原語表記 1949 Parma Baseball Club
創設年度 1949年
所属リーグ
加盟団体 イタリアの旗 イタリア野球ソフトボール連盟
リーグ セリエA
歴代チーム名
  • 1949パルマ・ベースボールクラブ (2016年 - )
  • パルマ・ベースボール (1949年 - 2015年)
本拠地
ホームタウン
パルマ・ベースボールクラブの位置(イタリア内)
パルマ
パルマ
エミリア=ロマーニャ州の旗 エミリア=ロマーニャ州パルマ県パルマ
本拠地 スタディオ・ベースボール・ニノ・カヴァリ (2010年 - )
過去の本拠地 スタディオ・エウロペーオ (1972年 - 2009年)
永久欠番
1・8・9・20・22・24・27・29
獲得タイトル
リーグ優勝0(10回)
1976年・1977年・1981年・1982年・1985年・1991年・1994年・1995年・1997年・2010年
コッパ・イタリア0(6回)
1969年・1971年・1993年・1994年・1996年・2000年
欧州チャンピオンズカップ0(15回)
1977年・1978年・1980年・1981年・1983年・1984年・1986年・1987年・1992年・1995年・1998年・1999年・2021年・2022年
球団組織
会長 イタリアの旗 ルカ・メリ
GM イタリアの旗 マッシモ・フォキ
監督 イタリアの旗 ジャングイド・ポーマ

概要 編集

球団創設は1949年。イタリア球界における古豪チームであり、1970年代、1980年代、1990年代にそれぞれ複数回(90年代には4度)、国内タイトルを獲得している。さらに、欧州チャンピオンズカップでも最多となる15回の優勝を誇る。2010年から2017年にかけては、旧セリエAを改編したプロリーグであるイタリアンベースボールリーグ(IBL)に参加していた。2000年代以降はリーグ内で中堅程度の成績にとどまっていたものの、2021年2022年には欧州チャンピオンズカップで連覇を果たした。

歴史 編集

設立 編集

1949年、バール「チェントラーレ」に出入りしていた数人がリヴォルノの市場へ出かけて野球用具を購入し、市内の芝生広場でプレーしたのがチームの起源である。その様子を見た若者たちが未知のスポーツである野球に興味を示し、6月15日には公証人のもとでパルマ・ベースボールが正式に設立された。学校教師のマルティーノ・ザニケリが初代会長を務め、教え子たちを指導して1950年シーズンのセリエAに参加したが、ルールの知識や技術が不足していたこともありセリエBへ降格してしまう。1952年には、大学スポーツセンターの支援のもとで市内に別の新たなチームが設立された。このチームには、のちに国際野球連盟(IBAF)の会長を務めるアルド・ノタリらが選手として在籍していた。1954年、香水店ラ・ドゥカーレがスポンサーとなって両チームが合併し、1958年にセリエAへの昇格を果たした。当時監督を務めていたニノ・カヴァリは、ヴィチェンツァヴェローナ米軍基地を訪ねて有望な若手選手を引き抜くなど、チームの強化を積極的に推し進めた[1]

1960年代〜1970年代 編集

1960年代初頭には、タナラがチームのスポンサーとなった一方で、市内にはバー・モリスと呼ばれる別のチームが誕生し、セリエCに参加した。数年間にわたってパルマに2つのチームが共存することとなったが、タナラの監督に就任したトゥーロ・マッセラが主導して両チームは合併した。その効果はすぐに現れ、1964年に再びセリエAへの昇格を果たすと、1966年には2位、1968年には3位と着実に結果を残していった。そして1969年、コッパ・イタリアを制して念願の国内タイトルを獲得した。会長となったノタリは県内の優秀な選手を1つのチームに集めたいと考え、ベルナッツォーリ・アストラを吸収合併し、1972年からスタディオ・エウロペーオを新たな本拠地とした。1976年、チームはジェルマル・パルマと改称し、ジュリオ・モンタニーニの指導のもとで初のリーグ優勝を果たすと、翌1977年のヨーロピアンカップ(現在の欧州チャンピオンズカップ)でも初優勝を飾った[1]

1980年代〜1990年代 編集

1980年からはパルマラット1984年からはワールドビジョントラベルとスポンサーが相次いで交代し、1985年には会長もノタリからフランコ・カソリへ交代するなど大きな変化を経験したものの、チームは1986年から1988年にかけてヨーロピアンカップ3連覇を達成するなど、イタリア国内および欧州で好成績を収め続けた。1990年代に入ると、マイナースポーツに対するスポンサーやメディアの関心の薄れがチームに影響を及ぼし始め、1991年のシーズンはメインスポンサーを持たずにパルマ・エンジェルスという名前で活動することになった。この年のセリエAでヴェローナを破り6度目の優勝を果たしたことで新たなスポンサーの獲得に成功し、ジャンフランコ・ドンゼッリ会長のもとでカッサ・ディ・リスパルミオ・ディ・パルマとして再出発した。1992年にはヨーロピアンカップ、1993年にはコッパ・イタリアとCEBスーパーカップ、1994年にはコッパ・イタリア、1995年にはセリエAとヨーロピアンカップでそれぞれ優勝を果たすなどチームは黄金期を迎えたが、ドンゼッリは売却を決定。消滅の危機に瀕したチームは大学スポーツセンターの支援で何とか存続されることになったものの、リミニネットゥーノといった強豪の台頭によって、パルマの野球は徐々に輝きを失うことになる[1]

2000年代〜現在 編集

2000年のセリエAにおいてプレーオフの準決勝で敗退すると、翌年から3年連続でプレーオフ進出を逃す。カンティーネ・チェーチがスポンサーとなり、アメリカ人のクリス・カタノーソが監督に就任した2004年はレギュラーシーズンで3位に入りプレーオフに進出するも、準決勝でボローニャに敗れた。カリパルマがスポンサーとなった2007年には新監督ジルベルト・ジェラリのもとでレギュラーシーズンを1位で終えたものの、イタリアン・ベースボール・シリーズでグロッセートに敗れた。この年から新球場の建設が始まり、2009年のシーズンをもってスタディオ・エウロペーオの歴史は幕を閉じた。カヴァリの名を冠した新たな本拠地で始動した2010年は、この年発足したIBLのレギュラーシーズンを1位で通過し、準決勝を突破して進出したイタリアン・ベースボール・シリーズで13年ぶりの優勝をかけてボローニャと対戦した。先に2勝を許す苦しい展開ながら、2勝3敗で凱旋した本拠地での第6戦・第7戦に連勝し、4勝3敗で念願の優勝を果たした。ところが、パルマの野球が再び全国の頂点に立つという幻想は数ヶ月しか持続せず、翌年からは厳しい戦いを強いられる。2013年に監督がオルランド・ムニョスへ交代し、2015年にはジェラリが復帰するもリーグ優勝には手が届かず、財政上の問題も顕在化したことで主力選手の放出を余儀なくされる事態に。再びチームは消滅の危機に瀕したが、2018年からはパルマクリマが新たなスポンサーとなり、ジャングイド・ポーマが監督に就任。2021年には、パルマクリマ社長のルカ・メリが球団会長に就任した[1]

所属選手 編集

2016年シーズン。公式サイト参照。括弧内は二重国籍。

投手
# 選手名
4   フィリッポ・ベルトリーニ (Filippo Bertolini)
6   アレッサンドロ・ペトラリーア (Alessandro Petralia)
50   ホセ・サンチェス (José Sanchez)
52   グメルシンド・ゴンザレス (Gumercindo Gonzalez) ( )
54   マニュエル・サンタナ (Manuel Santana) ( )
58   ミシェル・ポンポーニ (Michele Pomponi)
74   ロナルド・ウビエド (Ronald Uviedo)
捕手
# 選手名
5   ロレンソ・マエストリ (Lorenzo Maestri)
23   アレッサンドロ・デオット (Alessandro Deotto)
内野手
# 選手名
2   マニュエル・ピアッツァ (Manuel Piazza)
12   チャーリー・ミラバル (Charlie Mirabal)
18   ダビデ・ベネッティ (Davide Benetti)
25   ロレンソ・グラダリ (Lorenzo Gradali)
32   アルベルト・フォッサ (Alberto Fossa)
44   アドルフォ・ゴメス (Adolfo Gomez) ( )
47   マリオ・マルティネス (Mario Martinez)
外野手
# 選手名
15   ニコラ・ガーベラ (Nicola Garbella) ( )
31   ミシェル・ジェラーリ (Michele Gerali)
33   グイド・ジェラーリ (Guido Gerali)
57   レオナルド・ジレーリ (Leonardo Zileri)
監督・コーチ
役職 # 選手名
監督 34   ジルベルト・ジレーリ (Gilberto Gerali)
ベンチコーチ 26   ジャングイド・ポーマ (Gianguido Poma)
投手コーチ 13   ステファノ・ボルゾーニ (Stefano Bolzoni)
打撃コーチ 35   マリオ・マスチテッリ (Mario Mascitelli)
コーチ 14   ジオバンニ・フォッサ (Giovanni Fossa)
コーチ 31   ミシェル・ジェラーリ (Michele Gerali)
コーチ 37   フェデリコ・バッシ (Federico Bassi)
開発部長 30   ジュリオ・モンタニーニ (Giulio Montanini)

年度別成績 編集

レギュラーシーズン ポストシーズン カップ戦
フェーズ 順位 試合 勝利 敗戦 勝率
セリエA1(2007年-2009年の名称はイタリアンベースボールリーグ)
1991 - - 3位 36 26 10 .722 優勝(6)
1992 - - 1位 36 29 7 .806 ヨーロピアンカップ優勝(10)
1993 - - 1位 36 29 7 .806 コッパ・イタリア優勝(3)
1994 - - 2位 48 34 14 .708 優勝(7) コッパ・イタリア優勝(4)
1995 - - 2位 54 42 12 .777 優勝(8) ヨーロピアンカップ優勝(11)
1996 - - 1位 54 43 11 .796 コッパ・イタリア優勝(5)
1997 - - 2位 54 38 16 .704 優勝(9)
1998 - - 4位 48 29 19 .604 ヨーロピアンカップ優勝(12)
1999 - - 4位 42 23 19 .548 準決勝敗退 ヨーロピアンカップ優勝(13)
2000 - - 2位 48 33 15 .688 準決勝敗退 コッパ・イタリア優勝(6)
2001 - - 6位 54 23 31 .426
2002 - - 5位 54 30 24 .556
2003 - - 6位 54 23 31 .426
2004 - - 3位 54 32 22 .593 準決勝敗退
2005 - - 4位 54 33 21 .611
2006 - - 7位 48 22 26 .458
2007 - - 1位 42 28 14 .667 準決勝敗退
2008 - - 5位 42 22 20 .524
2009 - - 4位 42 24 18 .571 準決勝敗退
イタリアンベースボールリーグ(IBL)
2010 - - 1位 42 30 12 .714 優勝(10)
2011 - - 3位 42 28 14 .666 準決勝敗退
2012 - - 5位 42 21 21 .500
2013 - - 5位 36 24 12 .666
2014 1次 B 1位 20 12 8 .600
2次 - 4位 18 4 14 .222
2015 - - 8位 28 6 22 .214
2016 - - 5位 36 18 18 .500
2017 - - 5位 34 16 18 .471
セリエA1
2018 - - 3位 28 16 12 .571 準優勝
2019 - - 4位 23 12 11 .522 準決勝敗退
2020 - - 3位 27 16 11 .593
セリエA
2021 1次 A 1位 12 12 0 1.000 欧州チャンピオンズカップ優勝(14)
2次 A 2位 11 6 5 .542
2022 1次 A 1位 14 14 0 1.000 準優勝 欧州チャンピオンズカップ優勝(15)
2次 A1 2位 30 21 9 .700

カップ戦の結果は優勝年のみ記載している。括弧内は各大会の優勝回数を表す。

脚注 編集

  1. ^ a b c d www.parmabaseball.it”. www.parmabaseball.it. 2022年11月1日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集