パーシス・カンバッタ(Persis Khambatta、1948年10月2日 - 1998年8月18日)は、インドモデル女優著作家[1]。 1979年の映画『スタートレック』のデルタ人アイリーア大尉役で有名である。

パーシス・カンバッタ
Persis Khambatta
生年月日 (1948-10-02) 1948年10月2日
没年月日 (1998-08-18) 1998年8月18日(49歳没)
出生地 インドの旗 インド連邦、ボンベイ州ボンベイ
死没地 インドの旗 インドマハーラーシュトラ州ムンバイ
活動期間 1968年 - 1998年
配偶者 Cliff Taylor (1981年 - ?)
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生い立ち 編集

1948年、ボンベイ(現在のムンバイ)でパールシー教徒の中流家庭に生まれる。ボンベイの著名なカメラマンが偶然撮影した彼女の写真が、人気石鹸ブランドのキャンペーンに使われたために名を知られることとなり、その結果カンバッタはプロのモデルになった[1]。1965年にはフェミーナ・ミス・インディア英語版にもなっている[2]

経歴 編集

17歳の時にフェミーナ・ミス・インディアとして、1965年ミス・ユニバース大会に土壇場で購入した既製服を着て出場[2]レブロンなどのブランドのモデルを務める。1967年、ハドジャ・アフマド・アッバス英語版監督の『Bambai Raat Ki Bahon Mein』でボリウッド映画デビューを果たす。映画の主題歌を囁くように歌うキャバレー歌手リリーという役だった。1975年、イギリス映画『軍旗の陰影英語版』と『ケープタウン英語版』に端役で出演[1]。1979年、『スタートレック』で、頭髪の無いデルタ人航宙士アイリーア大尉を演じ、注目された。1980年、インド人としては初めてアカデミー賞の贈呈者を(ウィリアム・シャトナーと共に)務めた。『スタートレック』の演技によりサターン賞主演女優賞にノミネートされた。これは『ナイトホークス』(1981年)、『メガフォース』(1982年)、『近未来戦争/オメガ帝国の崩壊英語版』(1983年) と立て続けの出演に繋がる。ジェームズ・ボンド映画『007 オクトパシー』(1983年) でタイトル・ロール候補となったが辞退し[1]、この役はモード・アダムスが演じた。

1980年、ドイツで自動車事故により重傷を負い、頭部に大きな傷跡が残された。1983年には心臓のバイパス手術を受けた。1985年にボンベイに戻り、ヒンディー語テレビ映画『Shingora』に出演。その後間もなく再びハリウッドに戻り『刑事ハンター』、『冒険野郎マクガイバー』などのテレビシリーズにゲスト出演した。1997年、数人の元ミス・インディアを主演させた大型豪華本『Pride of India』を執筆・出版。この本はマザー・テレサに捧げられ、印税の一部は神の愛の宣教者会に寄付された。1993年、テレビシリーズ『新スーパーマンパイロット版のインド大使役が最後の出演となった。

死去 編集

1998年、胸の痛みを訴え南ムンバイの海軍病院に搬送され、1998年8月18日に心筋梗塞により49歳で亡くなった[2]。8月19日にムンバイで葬儀が行なわれた[2]

主な出演作品 編集

映画 編集

公開年 邦題
原題
役名 備考
1968 Bambai Raat Ki Bahon Mein キャバレー歌手リリー
1969 ヴァーツヤーヤナのカーマ・スートラ
Kamasutra - Vollendung der Liebe
ナンダ
1975 ケープタウン
The Wilby Conspiracy
パーシス・レイ
軍旗の陰影
Conduct Unbecoming
バンダナイ夫人
1977 超能力100万ボルトの瞳
The Man with the Power
プリンセス・シリ テレビ映画
1979 スター・トレック
Star Trek: The Motion Picture
アイリーア大尉
1981 ナイトホークス
Nighthawks
シャッカ・ホランド
1982 メガフォース
Megaforce
ザラ
1983 近未来戦争/オメガ帝国の崩壊
Warrior of the Lost World
ナスターシャ
1988 マッド・フェニックス
Phoenix the Warrior
コバルト 出演・共同製作

テレビシリーズ 編集

放映年 邦題
原題
役名 備考
1986 刑事ハンター
Hunter
Dhari Ziad 1エピソード
冒険野郎マクガイバー
MacGyver
ジア 1エピソード
1987 マイク・ハマー
Mike Hammer
サンドラ 1エピソード

脚注 編集

参考 編集

外部リンク 編集