ヒューバート・サムリン

ヒューバート・サムリン(Hubert Sumlin、1931年11月16日 - 2011年12月4日)は、アメリカ合衆国ブルースギタリストシンガー。ハウリン・ウルフのバンドで活躍したことで知られる。個性的なギター・プレイは、ウルフのサウンドに欠かせない存在となった。

ヒューバート・サムリン
ヒューバート・サムリン(2003)
基本情報
生誕 (1931-11-16) 1931年11月16日
米国ミシシッピ州グリーンウッド
死没 (2011-12-04) 2011年12月4日(80歳没)
米国ニュージャージー州
ジャンル ブルース
職業 ミュージシャン歌手
担当楽器 ギター
活動期間 1954年 - 2011年
レーベル チェス・レコード
ブラックトップ・レコード
ブラインド・ピッグ・レコード
JSPレコード
APOレコード
トーンクール・レコード
共同作業者 ハウリン・ウルフ
公式サイト 公式サイト

略歴 編集

米国ミシシッピ州グリーンウッド出身でアーカンソー州ウェストメンフィス郊外の町ヒューズで育った彼は、1954年にシカゴに移住。ハウリン・ウルフの初代ギタリストウィリー・ジョンソンの後任として彼のバンドに加入する。以後、ウルフが1976年に他界するまで、20年以上の長きに渡り彼の相棒を務めた。ウルフの主要なレコーディングで彼の自由奔放なプレイを聴くことができる。特に"Hidden Charms"、"Love Me Darling"あたりのプレイは彼らしい勢いにあふれている。

ウルフ亡き後はソロに転じ、ヴォーカルも取るようになった。ソロ作はブラックトップ、ブラインド・ピッグ、トーンクールなどからリリースされている。

来日公演は、1998年(モントルー・ジャズ・フェスティバル・イン・ジャパンでシカゴ・ブルース・オールスターズの一員として)、2001年ジャパン・ブルース・カーニバル)と2度行っている。

2003年ローリング・ストーン誌の同年8月号カバーストーリー「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第65位[1]、2011年の改訂版では第43位に選ばれている。

2011年12月4日、アメリカ合衆国ニュージャージー州ウェインの病院にて、心臓発作のために亡くなった[2]。80歳没。

ディスコグラフィー 編集

参考文献 編集

外部リンク 編集