ピエロ・ヤイエルイタリア語:Piero Jahier1884年4月11日 - 1966年9月10日)は、イタリアジェノヴァ出身の詩人翻訳家ジャーナリスト

代表作は1919年に著された、著者自身が体験した青春期の内面の葛藤を描いた小説少年 (ヤイエル)イタリア語版』だが、イタリアにファシズム体制が確立すると文筆活動を禁止され[1]、その後はボローニャトレニタリア(イタリアの国鉄)に勤務し、監視を余儀なくされた[2]

生涯 編集

1884年4月11日、イタリアのジェノヴァに牧師の子として生まれるが、1897年自殺したために連れられてフィレンツェで過ごした。高校では奨学金を頼りに神学を学んだ。宗教反カトリックヴァルド派を信仰した。

同国出身の作家ジュゼッペ・プレッツォリーニイタリア語版ジョヴァンニ・パピーニイタリア語版らが創刊した雑誌ラ・ヴォーチェイタリア語版』の同人となり、ジーノ・ブランキGino Bianchi)名義で文筆活動を行った。

第一次世界大戦中は将校としてアルプス山脈の前線に赴いた[1]1920年に著された小説『わたしと山岳兵と(Con me e con gli alpini)』はこの頃の体験をもとに書かれたものである。

ファシズム体制が確立すると、執筆から手を引いてボローニャのトレニタリアで働いて過ごし、1966年9月10日にフィレンツェで亡くなった。

ヤイエルは詩人以外にもフランスの作家アンドレ・ジッドポール・クローデルイギリスの作家ジョゼフ・コンラッド中華民国文学者林悟堂の作品を翻訳し、イタリアに紹介したことでも知られる[1][2]

主な作品 編集

  • 1919年、『少年 (ヤイエル)イタリア語版
  • 1920年、『わたしと山岳兵と(Con me e con gli alpini)』
  • 1939年、『Ragazzo e prime poesie
  • 1961年、『Arte alpina

脚注 編集

参考文献 編集

外部リンク 編集