ピエール=ナポレオン・ボナパルト

ピエール=ナポレオン・ボナパルト(Pierre-Napoléon Bonaparte, 1815年10月11日 - 1881年4月7日)は、フランス第二帝政期の皇族。

ピエール=ナポレオン・ボナパルト
Pierre-Napoléon Bonaparte

出生 (1815-10-11) 1815年10月11日
死去 (1881-04-07) 1881年4月7日(65歳没)
配偶者 エレオノール=ジュスティーヌ・リュフラン
子女 ロラン
ジャンヌ
家名 ボナパルト家
父親 リュシアン・ボナパルト
母親 アレクサンドリーヌ=ジャコブ・ド・ブレシャン
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リュシアン・ボナパルトの息子で、ナポレオン・ボナパルト百日天下が終わったすぐ後に生まれた。粗暴な性格で世間の評判も悪く、第二帝政成立後も疎んじられた。1870年1月に共和派のジャーナリスト、ヴィクトール・ノワールとトラブルを起こし、ノワールを射殺する事件を起こした。この事件は、ナポレオン3世に対する攻撃の口実となり、各地で共和派の大規模なデモが発生した。

子女 編集

エレオノール=ジュスティーヌ・リュフラン (Éléonore-Justine Ruflin) と結婚し、1男1女をもうけた。

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