ピム・ミュリエオランダ語: Pim Mulier1865年3月10日 - 1954年4月12日)は、オランダ出身のジャーナリスト。元国際スケート連盟会長。

ピム・ミュリエ
生誕 ウィレム・ヨハン・ハーマン・ミュリエ
(1965-03-10) 1965年3月10日
オランダの旗 オランダウィットマルスヌ
死没 (1954-04-12) 1954年4月12日(89歳没)
ハーグ
職業 ジャーナリスト
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生涯 編集

1879年イギリスからフットボールを持ち帰り、ハールレムでオランダ初のサッカークラブとなるロイヤル・ハールレムシェ・サッカークラブ (Koninklijke HFC)を創設。また英国留学中に携わったアイスホッケーバンディテニスなどのスポーツをオランダで普及させることに尽力した[1]

1892年に発足した国際スケート連盟の初代会長に就任し、1895年まで務めた。また、オランダにおけるスポーツのパイオニアとして、1912年のオランダオリンピック委員会の設立に大きく貢献した[2]

1954年4月12日、死去。没後、ミュリエの名前を冠ったピム・ミュリエ競技場(Pim Mulierstadion)が1963年に建設された[3]

脚注 編集

  1. ^ Captain van Jong Holland: een biografie van Pim Mulier, 1865-1954”. University of Groningen. 2023年3月23日閲覧。
  2. ^ 120-jaar-bandygeschiedenis-in-Nederland”. bandybond. 2023年3月23日閲覧。
  3. ^ Pim Mulier”. Olympians. 2023年3月23日閲覧。