ピーター・ブルック

イギリスの演出家 (1925 - 2022)

ピーター・スティーヴン・ポール・ブルックPeter Stephen Paul Brook CH CBE1925年3月21日 - 2022年7月2日)は、イギリス演出家演劇プロデューサー映画監督コンパニオン・オブ・オナー勲章 (CH) と大英帝国勲章 (CBE) の叙勲者。

Peter Brook
ピーター・ブルック
ピーター・ブルック(2009)
生誕 (1925-03-21) 1925年3月21日
イギリスの旗 イギリス ロンドン
死没 2022年7月2日(2022-07-02)(97歳)
フランスの旗 フランス パリ
国籍 イギリスの旗 イギリス
職業 映画監督
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来歴 編集

ロシアから亡命したユダヤ系の両親のもと、ロンドン西部に生まれる[1][2]ウェストミンスター・スクールモードリン・カレッジに学ぶ。

1946年、シェイクスピア記念劇場(現・ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー (RSC))の最年少招待演出家となる。

1952年俳優ローレンス・オリヴィエプロデュースにより映画『三文オペラ』(The Beggar's Opera) で長編映画監督デビュー。

1960年フランス資本でマルグリット・デュラス原作・脚色の『雨のしのび逢い』を監督する。

1962年から、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー (RSC) を基盤に活動。

1971年国際演劇研究センターCIRT)をパリに設立、1974年から主宰を務める。

1983年、再びフランス資本で映画『カルメンの悲劇』(La tragédie de Carmen) を監督する。

1989年、『マハーバーラタ』(The Mahabharata) の舞台化を映像に収録して公開した。

2022年7月2日、パリで死去[2]。97歳没。

人物 編集

アントナン・アルトーから影響を受けるとともに、初期には、伝統的な演出を排するかたちでの『ファウスト』などのグランド・オペラの演出や、イギリスの文学界、ならびに演劇界に強い影響を与えたアングリー・ヤング・メンの先駆的な作品である Saint's Day (1951)の演出などもしている。また、ジャン・コクトーグレアム・グリーンとも交友があった。

革新的な演出で知られるが、怒鳴る、暴言を吐くなどの威圧的な行為を好まず、俳優に自信をもたせる演出方法をもちいた[3]

評価 編集

初期においては、伝統を重んじる、ブルックス・アトキンソンらの劇評家たちからの批判も多かったが、『シェイクスピアはわれらの同時代人』などを著わしたヤン・コット、自らのプロジェクトに招聘したジャン・ルイ・バローなどからは高く評価され、1970年のRSCの『夏の夜の夢』のころには、マスメディアからの評価も好意的なものが多くなった[4]

受賞歴 編集

舞台 編集

RSC 編集

RSC以外 編集

映画 編集

著書 編集

  • なにもない空間 The Empty Space (1968年)高橋康也, 喜志哲雄 訳 晶文社 1971 (晶文選書) ISBN 4794921675
  • 殻を破る―演劇的探究の40年 The shifting point (1989年) 高橋康也他訳 晶文社 1993
  • 秘密は何もない There Are No Secrets (1993年) 喜志哲雄, 坂原真里 訳 早川書房 1993 ISBN 4152078243
  • ピーター・ブルック回想録 Threads of Time: Recollections (1998年)河合祥一郎 訳 白水社 2000 ISBN 4560035628

脚注 編集

  1. ^ 山口宏子「(惜別)差異の美 包み込む深い探求」『朝日新聞』、2022年9月3日、夕刊、5面。
  2. ^ a b “【訃報】 イギリスの舞台演出家、ピーター・ブルックさん死去 戦後演劇界に多大な影響 [Peter Brook: British stage directing great dies aged 97]”. BBC NEWS JAPAN. (2022年7月4日). オリジナルの2022年12月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221217123749/https://www.bbc.com/japanese/62032635 2022年12月17日閲覧。 
  3. ^ Thread of Time. Methuen. (1998). p. 58 
  4. ^ J.C. Trewin ”Peter Brook". Macdonald & Co. Ltd, London. (1971). p. P188 

外部リンク 編集