ピーター・ヤロー (ヤーロウ)(Peter Yarrow, 1938年5月31日 - )は、米国の歌手で、1960年代を代表するフォーク音楽トリオ、ピーター・ポール&マリーのメンバー。ヤローは、ピーター・ポール&マリーの代表作の一つ「パフ」をレニー(レナード)・リプトンと共作した。ヤローは政治活動家でもあり、ベトナム戦争への反対運動から、NPOオペレーション・リスペクト」の創設まで、様々な取り組みに関わってきた。

ピーター・ヤロー
Peter Yarrow
ピーター・ヤロー(2008年)
基本情報
生誕 (1938-05-31) 1938年5月31日(85歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
ジャンル フォーク
職業 シンガーソングライター
担当楽器 アコースティック・ギター
活動期間 1961年 - 現在
レーベル ワーナー・ブラザース・レコード
共同作業者 ピーター・ポール&マリー
公式サイト Peter, Paul and Mary Official Site

経歴 編集

 
ピーター・ポール&マリー。1967年1月の来日公演。

ニューヨーク州ニューヨーク市出身。両親はウクライナ系ユダヤ人。当時「音楽芸術高校」という名であった現在のラガーディア高校を卒業した。1959年コーネル大学を卒業後、歌手としての活動に入った[1]。程なくしてヤローは、20世紀半ばのフォーク音楽復興運動の中心地であったグリニッジ・ヴィレッジで、ノエル・ポール・ストゥーキーマリー・トラヴァースに出会う。彼らは1962年に、ワーナー・ブラザース・レコードからセルフタイトルのファースト・アルバム『Peter, Paul & Mary』を発表したが、このアルバムはトップ10に10か月間、トップ20には2年間もランクインし続け、200万枚以上を売り上げた。グループは各地をツアーし、ライブ盤でもスタジオ盤でも多数のアルバムをレコーディングした。ヤローは、1969年10月にマリー・ベス・マッカーシーと結婚した。子どもたち2人は既に成人している。2000年、ヤローはNPO「オペレーション・リスペクト」を創設した。

ヤローは、「オペレーション・リスペクト」を代表して、プロボノ活動を香港ベトナムバーミューダクロアチア南アフリカエジプトアルゼンチンカナダなどの各地で実践した。一連の活動を通して、このプログラムは多数の教育関係者と1千万人以上の子どもたちに提供された。このプロジェクトは、米国の初中等学校の1/3近くに相当する2万校以上の学校に、何らかの形で届けられている。

2003年、ヤローと「オペレーション・リスペクト」の業績に対して、米国議会は議会部会において、スタンディング・オベーションによってヤローを讃えた[2]2006年8月、ヤローは35の教育関係団体の代表と会合し、「学術面のみならず、個性、心情、社会/感情面の発達など、子供の全人的な才能を引き出すように、アメリカの教育のパラダイムをシフトさせるため」団結して取り組むとし、「われわれユダヤ人の言い方で言うなら、まず善き人にさえすれば、あとは自ずから上手くゆくものだ」と述べた。

ダライ・ラマ14世が、虐待を受けている子供に向けて書いた『Never Give Up』にピーター・ヤローが曲をつけた[3]

ヤローは、61枚のアルバムに演奏者として参加しており、娘のベサニーによる2003年のCD『Rock Island』にも参加している。

出典 編集

外部リンク 編集