元のファイル (2,377 × 1,654 ピクセル、ファイルサイズ: 1.59メガバイト、MIME タイプ: image/jpeg)
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概要
[説明]
江戸時代中期の作成されたと思われている。
この合戦配陣図は天正4年(1576年)5月3日-7月13日の第三次石山合戦の配陣図で、中央左上方に「石山御堂当時門徒四万余籠城」とありその左側、渡辺橋を挟んで「織田信長本陣」との記載が見受けられる。
大阪城天守閣蔵
日本語: 追加解説
地図の方向 上下が東西、左右が北南である。淀川・大和川の流れは、上から下(東から西)へ流れている。地図下は大阪湾である。
地図の範囲 現在の大阪市中心部全て(北端が新淀川~南端が住吉区)が範囲である。
北端の推定は、左下の中洲に3つの陣(赤い四角、一番下が三好陣と読める)があるのが現在の福島区である。その右側に流れているのは現在の堂島川と土佐堀川である。福島区(の中州)の堂島川の岸には、渡辺津と書かれている。
南端の推定は、右上の島に
四天王寺と
天王寺とあり、これは現在の地名と同じ。その南側に
ハリマ塚とあるのは現在の阿倍野区王子町の播磨塚である。その下に山脈のように見えるのは、上町台地の崖であろう。現在も阿倍野区から住吉区にかけて上町台地の崖が存在している。崖の横にある小さな池に
万代池と読める池がある。住吉区帝塚山東の万代池であろう。近辺の住吉大社がこの地図に記載されていないところを見ると、地図の南端は現在の阿倍野区と住吉区を隔てる南港通りあたりであろう。
English: This map describes
Osaka City, end of
Muromachi period.
Add Explanation on 13:39, 18 September 2008 (UTC)
ライセンス
Public domainPublic domainfalsefalse
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現在の版 | 2008年9月17日 (水) 06:34 | | 2,377 × 1,654 (1.59メガバイト) | ブレイズマン~commonswiki | {{Information |Description={{ja|1=石山合戦配陣図}} |Source=~~~~ |Author=投稿者がファイル作成 |Date=20089/17 |Permission= |other_versions= }} [説明] 江戸時代中期の作成されたと思われている。 中央左上方に「 |
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