フェイルデンステークス

フェイルデンステークス: Feilden Stakes)はイギリスで行われる3歳の競走。

フェイルデンステークス
Feilden Stakes
開催国 イギリスの旗イギリス
競馬場 ニューマーケット競馬場
ローリーマイルコース
2014年の情報
距離 芝1マイル1ハロン
(約1811メートル)
格付け L[1]
賞金 賞金総額37,000ポンド[1]
出走条件 3歳馬
負担重量 9ストーン(約57.15kg
  • ※牝馬は5ポンド(約2.26Kg)減量
  • ※G1・G2勝馬は8ポンド(約3.62Kg)加増
  • ※G3勝馬は5ポンド(約2.26Kg)加増
  • ※LR勝馬は3ポンド(約1.36Kg)加増
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イギリスやヨーロッパのダービーを目指す馬がしばしば出走する。

概要 編集

4月のニューマーケット競馬場のクレイヴン開催で行われている。

春の早い時期で、距離が1マイル1ハロン(約1811メートル)と、2000ギニーやその前哨戦よりも長い距離で行われることから、ダービーオークスを目指す馬が出走する競走の一つである[2]

この競走からは、ヨーロッパ各地のクラシック戦線の活躍馬が出ている。1994年の出走馬エルハーブはその年のイギリスダービーに勝ち、2013年の本競走の優勝馬アンテロフランスダービーを勝った。

歴史 編集

この競走は1978年に始まった。当初はヒース・ステークス(Heath Stakes)の名称だった[3]

1982年に競走の名前はジェリー・フェイルデン記念ステークス[4]、1987年にフェイルデンステークスに改称した。

2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響により開催取りやめとなった。

記録 編集

最多勝騎手 編集

2名が4勝で並んでいる。

最多勝調教師 編集

歴代勝馬 編集

  • *印は日本輸入馬。(国際競走出走のための一時的なものも含む)
  • 1978: Hawaiian Sound
  • 1979: Ela-Mana-Mou
  • 1980: Running Mill
  • 1981: Kalaglow
  • 1982: Ivano
  • 1983: Zoffany
  • 1984: Trojan Fen
  • 1985: Les Arcs
  • 1986: Flying Trio
  • 1987: Legal Bid
  • 1988: Kefaah
  • 1989: Greenwich Papillon
  • 1990: Lord of the Field
  • 1991: Half a Tick
  • 1992: Twist and Turn
  • 1993: Placerville
  • 1994: Cicerao
  • 1995: Munwar
  • 1996: Storm Trooper
  • 1997: Fahris
  • 1998: Border Arrow
  • 1999: Golden Snake
  • 2000: Pawn Broker
  • 2001: Olden Times
  • 2002: Playapart
  • 2003: Magistretti
  • 2004: Gold History
  • 2005: Rocamadour
  • 2006: Atlantic Waves
  • 2007: Petara Bay
  • 2008: Campanologist
  • 2009: Redwood
  • 2010: Rumoush
  • 2011: Dordogne
  • 2012: Stipulate
  • 2013: Intello
  • 2014: True Story
  • 2015: Golden Horn
  • 2016: Ventura Storm
  • 2017: Khalidi
  • 2018: Mildenberger
  • 2019: Kick On
  • 2021: Highland Avenue
  • 2022: Eydon[5]
  • 2023: Canberra Legend
  • 2024: Jayarebe

※1999年はニューマーケット・ジュライコースで施行。1マイル110ヤード(1709メートル)。

競走名の由来 編集

 
『ヒースのジムクラック』(1765年)では、厩舎の背後にニューマーケットのヒースが広がっている。

ヒース 編集

ヒース(Heath)とは、ニューマーケットの北西郊外の地域の地名である。

ヒースとはもともとはイングランド特有の荒野・原野を表す語で、ニューマーケットの町もこうしたヒース(原野)に囲まれていた。ニューマーケットは競馬の町として発展し、ヒースは競馬や調教、あるいは狩猟の舞台となった。そのうちに、ニューマーケットの郊外の西部地区は「ヒース地区(Heath)」と固有名詞で呼ばれるようになった。

現代のヒース地区の草原は長い年月をかけて人間の手で管理されており、原義の「ヒース」が指すような「原野・荒野」ではない。

ジェリー・フェイルデン 編集

競走名のフェイルデンとは、元陸軍少将のランドル・フェイルデン卿(Sir Randle Guy Feilden、1904-1981[6])のことである。フェイルデン卿は、ジョーッキークラブの会長(senior steward、先任筆頭理事、すなわち会長にあたる[7][注 1])や、共同競馬委員会(Joint Racing Board)の委員長を務め[8]、フェイルデン卿は20世紀のイギリス競馬の運営と近代化を行なった[8]

なかでも特筆すべき功績は、1970年に、スポーツ団体としては初めて、イギリスのジョッキークラブが法人格(Royal Charter,Royal Chaterを受けた組織の一覧も参照)を獲得したことである[7]。成立以来200年以上にわたって競馬に関する数々の紛争を調停し、問題に裁決を下してきたジョッキークラブだったが、それらの根拠は「先例」しかなく、何ら法的な根拠の無いものだった[7]。もしもジョッキークラブの決定に対して不服の者が裁判にうってでた場合には、ジョッキークラブの主張の拠り所がない。フェイルデン卿の尽力によって、ジョッキークラブはエリザベス女王の国王大権に基づく法人格と公認を受け、これ以来、ジョッキークラブの決定には法的根拠が与えられることになった[7]

フェイルデン卿は1981年10月に亡くなったため、1982年から競走名がジェリー・フェイルデン記念ステークス(Gerry Feilden Memorial Stakes)と改められた。

1987年から競走名が短縮され、フェイルデンステークスになった[9]

なお、ニューベリー競馬場では障害戦の「ジェリー・フェイルデン障害(Gerry Feilden Hurdle、またはGerry Feilden Handicap Hurdle)」が行われている[10]

脚注 編集

参考文献 編集

  • Beeting Directory Feilden Stakes Derby Trial
  • 『競馬 サラブレッドの生産および英国競馬小史』デニス・クレイグ著、マイルズ・ネーピア改訂、佐藤正人訳、中央競馬ピーアールセンター刊、1986

注釈 編集

  1. ^ stewardは、日本語で言う「理事」と「裁決委員」の役割を持っている。「開催理事」などと訳す場合もある。(『競馬 サラブレッドの生産および英国競馬小史』p64)

各回結果 編集


出典 編集

  1. ^ a b 2014 International Cataloguing Standards Book2014年12月25日閲覧。
  2. ^ Feilden Stakes Derby Trial2014nen 5月13日閲覧。
  3. ^ 1978年4月20日付 グラスゴー・ヘラルド紙2014年5月13日閲覧。
  4. ^ 1982年4月15日付 グラスゴー・ヘラルド紙2014年5月13日閲覧
  5. ^ 2022年Feilden Stakes”. レーシングポスト (2022年4月14日). 2022年4月18日閲覧。
  6. ^ The Peerage Maj.-Gen. Sir Randle Guy Feilden
  7. ^ a b c d 『競馬資料』1970年3月号,日本中央競馬会,p62-64
  8. ^ a b 『競馬 サラブレッドの生産および英国競馬小史』p230
  9. ^ グラスゴー・ヘラルド紙 1970年2月11日付2014年5月13日閲覧。
  10. ^ Race Of The Day – The Gerry Feilden Hurdle2014年5月13日閲覧。

関連項目 編集