株式会社フェリーいきつきは、かつて長崎県生月町に本社を置き、フェリー航路を運営した会社である。本項では、運航した航路を中心に、生月・舘浦漁業協同組合運航の時期を含めて解説する。

株式会社フェリーいきつき
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
長崎県北松浦郡生月町舘浦38-17
業種 海運業
事業内容 一般旅客定期航路
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概要 編集

平戸島の二次離島である生月島と平戸島を連絡する航路は、戦後1955年(昭和30年)に生月運輸株式会社から生月漁業協同組合に譲渡された[1]後、25年に渡って漁協による運営が行われ、舘浦漁業協同組合を経て、1980年(昭和55年)に運航会社として株式会社フェリーいきつきが設立[2][3]された。

旅客船時代は、長く生月島の壱部浦、舘浦と平戸島の平戸港、九州本土の田平港を結ぶ航路であったが、1970年(昭和45年)に薄香港(平戸島)発着の航路を開設、1972年(昭和47年)にフェリーが就航し、1977年(昭和52年)に平戸大橋が開通すると、平戸・田平に代わって、航路距離の短い薄香発着が主力となった。しばらくは田平発着便も残されたが、1980年頃に廃止された[4][5]

1991年(平成3年)に生月大橋が開通し、生月島が平戸島と陸路で結ばれたのに伴い、航路は廃止された。生月島には、その後も野母商船の博多 - 五島航路が舘浦に寄港していたが、2007年(平成19年)に東行便を最後に抜港となり、定期旅客航路は皆無となっている。

航路 編集

廃止時点の航路 編集

  • 薄香(平戸島) - 壱部浦(生月島) - 舘浦(生月島)
航路距離15.7km、所要時間35 - 45分(直航)。
生月島の2港は便によって発着順序の前後、寄港有無があった。

過去の航路 編集

  • 田平 - 平戸 - 壱部浦 - 舘浦
航路距離27.6km
最終的には平戸抜港、一日1往復となっていた[4]

船舶 編集

フェリー 編集

  • フェリーいきつき[6]
1972年7月31日就航、前畑造船建造。船舶整備公団共有。
299.20総トン、全長37.30m、型幅8.20m、型深さ3.10m、ディーゼル2基、機関出力1,500ps、航海速力13.90ノット。
旅客定員407名、10tトラック1台・乗用車2台または乗用車8台。
  • 第二フェリーいきつき[6]
1967年6月竣工、1977年買船、中村造船鉄工所建造。船舶整備公団共有。もと東日本海フェリー「奥尻丸」。
327.61総トン、全長40.50m、型幅9.20m、型深さ3.10m、ディーゼル2基、機関出力1,000ps、航海速力12.9ノット。
旅客定員300名、大型バス1台・乗用車3台または乗用車15台。
  • 第三フェリーいきつき
1969年8月進水、1980年3月15日就航(買船)。もと中倉商店の田平 - 平戸貨物フェリー「第八弘丸」。
72.91総トン、ディーゼル1基、機関出力230ps、航海速力9.00ノット。
旅客定員50名、乗用車8台。
  • 第五フェリーいきつき[7]
1974年12月竣工、1986年2月2日就航(買船)。臼杵鉄工所建造。もと国鉄仁堀航路瀬戸丸」。
496総トン、全長44.10m、型幅10.20m、型深さ3.50m、ディーゼル1基、機関出力2,000ps、航海速力12.8ノット。
旅客定員297名、乗用車12台。
  • 第八フェリーいきつき[7]
1974年10月竣工、福本造船所建造。もと鷹島汽船「フェリーたかしま」。
198.80総トン、全長33.64m、型幅8.40m、型深さ2.90m、ディーゼル1基、機関出力700ps、航海速力10.3ノット。
旅客定員126名。
航路廃止後、竹山運輸に売船[8]

旅客船 編集

1948年10月進水、木造。
83.43総トン、焼玉機関、機関出力170ps、旅客定員89名。
1955年11月進水。
79.90総トン、ディーゼル1基、機関出力270ps、旅客定員77名。
引退後、大島村に売船、「大島丸」に改名。

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ 『運輸審議会半年報』昭和30年7-12月,運輸大臣官房審理官室,1956. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2473095 (参照 2024-04-04)
  2. ^ 『旅客船 : 機関誌』(134),日本旅客船協会,1980-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2811017 (参照 2024-04-04)
  3. ^ 『旅客船 : 機関誌』(133),日本旅客船協会,1980-08. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2811016 (参照 2024-04-04)
  4. ^ a b 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和55年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1980]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065572 (参照 2024-04-04)
  5. ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和56年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1981]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065733 (参照 2024-04-04)
  6. ^ a b 『日本船舶明細書 1983』日本海運集会所、1983年。 
  7. ^ a b 『日本船舶明細書 1990』日本海運集会所、1990年。 
  8. ^ 『日本船舶明細書 1993』日本海運集会所、1993年。 
  9. ^ 『旅客定期航路事業現况表』,日本定期船協会,[1955]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1694423 (参照 2024-04-04)
  10. ^ 『旅客定期不定期航路事業現況表』,日本旅客船協会,[1959]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2493516 (参照 2024-04-04)

関連項目 編集