フェルナンド・バルガス

アメリカのボクサー (1977 - )

フェルナンド・バルガスFernando Vargas1977年12月17日 - )は、アメリカ男性プロボクサー。カリフォルニア州オックスナード出身。

フェルナンド・バルガス
基本情報
本名 フェルナンド・ジャビエル・バルガス
通称 Ferocious(凶暴な男)
El Feroz
The Aztec Warrior(アステカ戦士)
階級 スーパーミドル級
身長 178cm
リーチ 178cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1977-12-07) 1977年12月7日(46歳)
出身地 カリフォルニア州オックスナード
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 31
勝ち 26
KO勝ち 22
敗け 5
引き分け 0
無効試合 0
テンプレートを表示

IBF世界スーパーウェルター級王者。元WBA世界スーパーウェルター級王者。トレーナーはエドゥアルド・ガルシア。デビューから1年で15戦全勝15KOでルイス・ラモン・カンパスから世界王座を獲得した早熟のボクサー。破壊力あるパンチとパワフルなコンビネーションで押し切る戦法には人気があり、溢れる若さと持ち前の気性の粗さも相まって多くのヒスパニック系ファンの心を捉えた。オスカー・デ・ラ・ホーヤと雌雄を決した試合やフェリックス・トリニダードとの激闘が有名だが、オスカー・デ・ラ・ホーヤに負けてからはそれまでの勢いに陰りが見え始め、精彩を欠くような試合が増えた。

ファイトスタイル 編集

派手な見た目とは裏腹の正統派で、重く鋭く伸びるジャブやストレート、至近距離でのフックを軸にした強打のコンビネーションでKOを量産した。しかし5敗のうち4つのKO負けが表すように確かなテクニックを持ちながらも、相手に打ち勝ちたいファイティングスピリッツ、常に前に出るスタイルによって余計な被弾を受けるような面もあった。キャリアの早い段階で猛者達と鎬を削ったことで短命なキャリアとなったが、20代前半でスターダムに上り詰めた実績は特筆すべきである。

来歴 編集

アマチュア時代 編集

ジュニアオリンピックでは1992年に2位になり、1993年には優勝を飾っている。

1994年には全米選手権で優勝。

1995年にはパンアメリカン競技大会で銅メダルを獲得している。

1996年アトランタオリンピックに出場、初戦を10-6の判定勝ちを収めるも2回戦で銅メダルを獲得したマリアン・シミオンに7-8の僅差で敗退した。アマチュア戦績は105戦100勝5敗。

プロ時代 編集

バルガスはプロに転向を発表すると、ケーシー・デュバ率いるメインイベンツ社と契約を交わした。

1997年3月25日、ホルヘ・モラレスと故郷でデビュー戦を行い初回56秒高速KO勝ちを収めデビューを飾った。

デビューから1年で王座獲得 編集

1998年12月12日、アトランティックシティのトランプ・タージマハルでIBF世界スーパーウェルター級王者ルイス・ラモン・カンパスと対戦。パワフルなコンビネーションで圧倒し7回終了時棄権によるTKO勝ちを収めデビューからわずか1年で王座獲得に成功した。

1999年3月13日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンでハワード・クラークと対戦し、4回2分29秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。

1999年7月17日、元IBF世界スーパーウェルター級王者ラウル・マルケスと対戦。11回2分TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

1999年12月4日、後の世界2階級制覇王者ロナルド・ライトと対戦し、ライトの技巧と防御に苦戦するが12回2-0(116-112、115-113、114-114)の判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。しかしデビューからの連続KO勝利は17でストップした。

2000年4月15日、元WBA世界ウェルター級王者アイク・クォーティと対戦し、高速ジャブと防御に苦しむも手数で押し切り12回3-0(2者が116-111、114-113)の判定勝ちを収め4度目の防衛に成功した。歴戦の雄であるクォーティを地力で退けたことでバルガスの評価は更に上がった。

2000年8月26日、マンダレイ・ベイ・イベント・センターでロス・トンプソンと対戦し、4回1分7秒TKO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。

トリニダードとの統一戦 編集

2000年12月2日、WBA世界スーパーウェルター級王者フェリックス・トリニダードと王座統一戦を行い初回にトリニダードの左フックで2度ダウンを奪われるが、4回には逆にバルガスが左フックでダウンを奪い返す。その後もシーソーゲームが続くが、徐々にトリニダードのなかば強引な攻勢に押され、最終12回に3度のダウンを奪われ、1分33秒TKO負けを喫した。6度目の防衛とWBA王座獲得に失敗した。なおスコアは(100-103、100-104、99-104)だった。

2001年5月5日、ウィフレド・リベラと対戦し、2回にダウンを奪われたが盛り返し6回39秒TKO勝ちを収め再起に成功した。

2001年9月22日、フェリックス・トリニダードがミドル級転向に伴い空位になったWBA世界スーパーウェルター級王者並びにIBA世界同級王座決定戦をホセ・フローレスと行い、7回2分39秒KO勝ちを収め王座返り咲きに成功した。

暴行と監禁罪で懲役90日を言い渡される。

デ・ラ・ホーヤとの統一戦 編集

2002年9月14日、マンダレイ・ベイ・イベント・センターWBC世界スーパーウェルター級王者オスカー・デ・ラ・ホーヤとの統一戦が開催される。試合は期待に違わぬ熱戦に、初回にデ・ラ・ホーヤのバランスを崩させロープ外に半身が出たところをラッシュするなど、上々の滑り出しを見せるも、2回からはラウンドごとにシーソーゲームな展開に。スピードと賢さで上回るデ・ラ・ホーヤの巧者ぶりに手を焼き、10回終了間際にデ・ラ・ホーヤの集めた連打でダウン寸前の大きなダメージを負わされると、続く11回に左フックでロープ際に吹っ飛ぶダウンを奪われた。立ち上がるも畳み掛けられ、11回1分48秒TKO負けを喫し王座統一に失敗した。10Rまでのコスアは1-2(2者が94-96、97-94)だった。かつてない身体の仕上がりを見せながら、敗れたバルガスは試合後にドーピング検査にてアナボリックステロイドスタノゾロールの陽性反応が出たため[1]、2002年11月20日に9ヶ月の出場停止処分が下される。

2003年12月12日、試合で勝利を収めるも、試合中に椎間板を負傷、1年3ヶ月のブランクを作る。

2005年3月26日、レイムンド・ジョバールと対戦し10回3-0(98-92、96-94、97-95)の判定勝ちを収めた。バルガスは初めてスーパーミドル級に転向。急激に階級を上げたことでパワーやコンビネーションにサビがつく結果になった。

2005年8月20日、後の世界2階級制覇王者ハビエル・カスティリェホと対戦し10回3-0(2者が97-92、98-92)の判定勝ちを収めた。

2006年2月15日、シェーン・モズリーとWBAスーパーウェルター級王座挑戦者決定戦で対戦。しかし10回1分22秒TKO負けを喫し、王座挑戦権を逃した。スコアは1-2(2者が85-86、86-85)でわずかの接戦だった。

2006年7月15日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでシェーン・モズリーと再戦するが、一方的に試合を支配され6回2分38秒TKO負けを喫しリベンジに失敗した。デ・ラ・ホーヤ戦同様、明白なスピード差に後手を踏み、攻勢の手がかりを掴めなかったことが敗因となった。

2007年11月23日、リカルド・マヨルガとWBCアメリカ大陸スーパーミドル級王座決定戦を行った。試合前の会見は異例のアクリル板で仕切られた形で行われ罵倒合戦になった(公式プレゼンでマヨルガがコメント中にバルガスを罵倒した為関係者を巻き込んだ乱闘騒ぎになっていた)[2]。12回0-2(113-113、112-114、111-115)の判定負けを喫し王座獲得に失敗し、3連敗となり現役を引退した[3]

2011年4月16日、ザ・ジョイントでヘンリー・ブキャナンとの対戦で復帰予定だったが[4]、結局立ち消えになった。

2014年、家族でリアリティ番組へ出演した。

戦績 編集

  • プロボクシング:31戦26勝(22KO)5敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1997年3月25日 勝利 1R 0:56 KO ホルヘ・モラレス   メキシコ プロデビュー戦
2 1997年4月26日 勝利 2R 1:24 TKO クラウド・スターテン   アメリカ合衆国
3 1997年6月7日 勝利 2R 2:29 KO ビル・ブルデン   アメリカ合衆国
4 1997年6月20日 勝利 1R KO ミゲル・アヤラ   アメリカ合衆国
5 1997年7月12日 勝利 1R 1:42 KO エウゲネ・ロペス   アメリカ合衆国
6 1997年8月19日 勝利 1R 1:47 TKO ケルビン・ペイン   アメリカ合衆国
7 1997年10月4日 勝利 6R 2:53 TKO アレック・キロガ   キューバ
8 1997年11月22日 勝利 1R TKO ホセ・ミゲール・エルナンデス   アメリカ合衆国
9 1997年12月13日 勝利 2R KO エドゥアルド・マルチネス   メキシコ
10 1998年3月13日 勝利 2R 0:40 TKO ダン・コノーリー   アメリカ合衆国
11 1998年4月14日 勝利 2R 1:56 TKO ロマリンス・エリス   アメリカ合衆国
12 1998年5月9日 勝利 4R 2:40 TKO ロン・ジョンソン   アメリカ合衆国
13 1998年6月23日 勝利 5R 2:33 TKO アンソニー・ステファンズ   アメリカ合衆国
14 1998年8月22日 勝利 6R 2:57 TKO ダーレン・マシウンスキー   アメリカ合衆国
15 1998年12月12日 勝利 7R 終了 TKO ルイス・ラモン・カンパス   メキシコ IBF世界スーパーウェルター級タイトルマッチ/IBF王座獲得
16 1999年3月13日 勝利 4R 2:29 TKO ハワード・クラーク   イギリス IBF防衛1
17 1999年7月17日 勝利 11R 2:00 TKO ラウル・マルケス   アメリカ合衆国 IBF防衛2
18 1999年12月4日 勝利 12R 判定2-0 ロナルド・ライト   アメリカ合衆国 IBF防衛3
19 2000年4月15日 勝利 12R 判定3-0 アイク・クォーティ   ガーナ IBF防衛4
20 2000年8月26日 勝利 4R 1:07 TKO ロス・トンプソン   アメリカ合衆国 IBF防衛5
21 2000年12月2日 敗北 12R 1:33 TKO フェリックス・トリニダード   プエルトリコ WBAIBF世界スーパーウェルター級王座統一戦/IBF王座陥落
22 2001年5月5日 勝利 6R 0:39 TKO ウィフレド・リベラ   プエルトリコ
23 2001年9月22日 勝利 7R 2:59 KO ホセ・フローレス   メキシコ WBA・IBA世界スーパーウェルター級王座決定戦
24 2002年9月14日 敗北 11R 1:48 TKO オスカー・デ・ラ・ホーヤ   アメリカ合衆国 WBA・WBC世界スーパーウェルター級王座統一戦/WBA王座陥落
25 2003年7月26日 勝利 6R 2:32 TKO フィッツ・バンデルプール   トリニダード・トバゴ
26 2003年12月12日 勝利 7R 終了 TKO トニー・マーシャル   ガイアナ
27 2005年3月26日 勝利 10R 判定3-0 レイモンド・ジョバール   オランダ
28 2005年8月20日 勝利 10R 判定3-0 ハビエル・カスティリェホ   スペイン
29 2006年2月25日 敗北 10R 2:34 TKO シェーン・モズリー   アメリカ合衆国 WBA世界スーパーウェルター級指名挑戦者決定戦
30 2006年7月15日 敗北 6R 2:38 KO シェーン・モズリー   アメリカ合衆国
31 2007年11月23日 敗北 12R 判定0-2 リカルド・マヨルガ   ニカラグア WBCアメリカ大陸ミドル級王座決定戦
テンプレート

獲得タイトル 編集

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

前王者
ルイス・ラモン・カンパス
IBF世界スーパーウェルター級王者

1998年12月12日 - 2000年12月2日

次王者
フェリックス・トリニダード
空位
前タイトル保持者
フェリックス・トリニダード
WBA世界スーパーウェルター級王者

2001年9月22日 - 2002年9月14日

空位
次タイトル獲得者
サンティアゴ・サマニエゴ