フクイティタン学名Fukuititan)は、約1億2500万年前[注 1]中生代白亜紀前期(前期白亜紀)の半ばにあたるバレミアン[1]後期)のアジア大陸の中緯度・東岸部[注 2]の東岸部に棲息していた植物食恐竜竜盤目竜脚形亜目真竜脚類マクロナリアティタノサウルス形類に分類される。F. nipponensis の1(ニッポネンシス種)のみが知られている。

フクイティタン
Fukuititan
生息年代: 125.0 Ma
フクイティタンの化石
フクイティタンの化石
地質時代
約1億2500万年前[注 1]
バレミアン[1]後期(中生代白亜紀前期〈前期白亜紀〉半ば)
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 爬虫綱 Reptilia
亜綱 : 双弓亜綱 Diapsida
下綱 : 主竜形下綱 Archosauromorpha
上目 : 恐竜上目 Dinosauria
: 竜盤目 Saurischia
亜目 : 竜脚形亜目 Sauropodomorpha
下目 : 竜脚下目 Sauropoda
階級なし : 真竜脚類 Eusauropoda
新竜脚類 Neosauropoda
階級なし : マクロナリア Macronaria
階級なし : ティタノサウルス形類 Titanosauriformes
: (未特定のクレード
: フクイティタン属 Fukuititan
学名
Fukuititan
Azuma et Shibata, 2010 [1]
和名
フクイティタン
下位分類(
  • Fukuititan nipponensis
    Azuma et Shibata, 2010 [1]

化石は、日本の福井県勝山市北谷町にある北谷層で福井県立恐竜博物館2007年(平成19年)夏に実施した恐竜化石発掘調査で産出した。

名称 編集

学名 編集

Fukui-titan 編集

属名 Fukuititan の "Fukui" は、産出地が属する県の名でもある地名「福井ふくい)」から採っている。"titan" のほうは、ギリシア神話に登場する巨人族(巨大な神族)"Τιτάνラテン翻字: Tītān日本語音写例〈以下同様〉: ティーターン)" か、そこから派生した「巨人」を意味する普通名詞から採っており、合わせて「福井巨人」を意味している[3][4]

nipponensis 編集

種小名 nipponensis(ニッポネンシス)は、日本原産種や日本産出の絶滅種に当てられることが多いラテン語主格形容詞で、「日本産の」を意味する。本来は長母音を省略しない "nipponēnsis(ニッポネーンシス)" であるが、分類学では長母音を省略する慣習がある。構成要素である "nippon" は、対象生物種の産地である日本の日本語名「日本にっぽん)」のことで、これを「…産の」を意味するラテン語接尾辞 "-ēnsis(エーンシス)" [5]組み合わせた混種語である。

福井巨龍 編集

中国語では Fukuititan を「福井巨龍簡体字: 福井巨龙)」、Fukuititan nipponensis を「日本福井巨龍簡体字: 日本福井巨龙)」と漢訳している。

歴史 編集

 
本種や他の恐竜を産出した北谷層の層序区分図 / 本種の位置は上部層で、「FPDM-V8461」と記してあるフクイヴェナートルと同じ層。
 
フクイティタンの生態復元型モニュメント / 恐竜広場JR福井駅西口広場)にある恐竜の像の一つ[6][7][8][9]。全高約6m[6][9]、全長約10m[6][10][9]cf. [11][12][13]

福井県立恐竜博物館2007年(平成19年)夏(7月19日-8月31日)に行った第3次恐竜化石発掘調査[14][15][16]で、竜盤類の部分骨格化石が発見された[3]。産出地は、手取層群北谷層英語版(福井県勝山市北谷町杉山 恐竜化石発掘現場[15])であった。

2010年(平成22年)、日本の古生物学者で先の博物館の館長である東洋一と同館研究員の柴田正輝によって記載された[4]。記載論文を掲載したのは、中国地質学専門雑誌である『地質学報』の英語版『Acta Geologica Sinica』(ジョン・ワイリー・アンド・サンズ刊行)の第84巻第3号であった[1][3]

科学的知見 編集

ホロタイプ(正基準標本)は FPDM-V8468。採取された化石は、1個体のものとみられる関連した部分骨格化石標本 FPDM-V8468 のみである。

分類 編集

本種は、戦後の日本国内(第二次世界大戦後の日本領)で初めて見付かった比較的良質なティタノサウルス形類であり、あまり知られていない日本のティタノサウルス形類について光を当てている[1]

形質 編集

発見部位が少ないため、本種の全容については分からない[3]

関係者 編集

主要な研究者
(1949- )  日本人古生物学者。本種の記載者の一人(筆頭著者)。日本における恐竜研究の第一人者。発見時(2007年)および記載当時(2010年)は福井県立恐竜博物館館長(※その後、特別館長に就任している。)。ほか。
(1975- )  日本人。古生物学者。専門は古脊椎動物学、特に恐竜。本種の記載者の一人(共著者)。勝山市の発掘現場から産出した鳥脚類を中心に研究。記載当時(2010年)は福井県立恐竜博物館研究員。

記載論文 編集

参考文献 編集

雑誌、広報、論文、ほか

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ a b 発掘調査に関する当事者発信の一般向けニュースでは調査した地層の年代を「約1億2000万年前」としているが、この数値では地質時代「バレミアン」から産出したというこれもまた当事者発信の情報と矛盾するため(その年代ではバレミアンより後になってしまう)、本項では、バレミアン末の年代とされている約1億2500万年前と書き換えている。
  2. ^ 現在とは様相が異なる"当時のアジア大陸"の、その中核部分である安定地塊シナ地塊英語版」の東岸部[2]
  3. ^ 柴田 正輝 < スタッフ紹介”. 公式ウェブサイト. 福井県立恐竜博物館. 2021年5月11日閲覧。
  4. ^ Shibata Masateru” (English). Fukui Prefectural University. 2021年5月11日閲覧。
  5. ^ 柴田 正輝”. researchmap. 科学技術振興機構 (JST). 2021年5月11日閲覧。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f Azuma et Shibata, 2010.
  2. ^ DPF.
  3. ^ a b c d FPDM news-20100608.
  4. ^ a b FPDM info-20100608.
  5. ^ -ensis”. 英辞郎 on the WEB. アルク. 2021年5月10日閲覧。
  6. ^ a b c 福井県 総合政策部 交通まちづくり課. “福井駅「恐竜広場」事業概要書” (PDF). 福井県. 2021年5月12日閲覧。
  7. ^ 福井県 交流文化部 ブランド課 (2018年10月1日最新更新). “福井駅「恐竜広場」のご案内”. 福井県. 2021年5月12日閲覧。
  8. ^ 高島昌俊「恐竜壁画に動く巨大恐竜像…まるで“ジュラシックパーク”な駅に行ってみた」『日刊SPA!』株式会社 扶桑社、2020年2月11日。2021年5月12日閲覧。
  9. ^ a b c papiliollo (2018年4月26日). “恐竜あらわる!?福井駅”. icotto(イコット). 株式会社カカクコム. 2021年5月12日閲覧。
  10. ^ 福井駅西口広場の恐竜2体若返る 設置当時の明るい色に塗り直し」『福井新聞』株式会社 福井新聞社、2021年3月27日。2021年5月12日閲覧。
  11. ^ kaeruchannel (20 March 2015). JR福井駅前 動く恐竜 フクイティタン 恐竜ロボット 恐竜オブジェ 福井駅前恐竜広場 Dinosaur Robots@Fukui (動画共有サービス). YouTube. 2021年5月12日閲覧■施工時の様子を捉えた音声付き動画。恐竜が吠えている。
  12. ^ 福井新聞 (2017年8月11日). “名前は「フカチュー」でいい? 恐竜広場にモニュメント3体”. 北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ. 福井新聞社ほか. 2021年5月12日閲覧。※フクイサウルスの足元に小さな哺乳類(2014年に化石が発見された多丘歯類)3体を追加で設置したというニュース。
  13. ^ 松葉純一「氷河期が到来してる...? 寒波に襲われた福井駅があまりにも「デイ・アフター・トゥモロー」だった」『Jタウンネット』株式会社ジェイ・キャスト、2021年2月24日。2021年5月12日閲覧。
  14. ^ 第三次恐竜化石発掘調査 < 福井県の恐竜発掘”. 福井県立恐竜博物館. 2021年5月12日閲覧。
  15. ^ a b 2010年度 第3次恐竜化石調査産出化石報告 < 恐竜博物館の調査研究情報”. 福井県立恐竜博物館 (2011年4月22日). 2021年5月12日閲覧。
  16. ^ 『福井県立恐竜博物館紀要 7』 (2008).

関連項目 編集

外部リンク 編集

当事者発信
関係者発信
他者発信
※中生代の北半球を描いたCG動画を本種の棲息した時代のものとして表示しているが、実際にはずっと後の時代である新生代初期から中期にかけて(中新世の前後)の様子になっている(日本列島がすでに形成され始めており、日本海は一旦できあがっている。)ので注意。前期白亜紀でこれは考えられない。ただ、世界の大陸の配置は大きくは変わらないことから、一応の参考にはなる。