フランツ・シャルレ(Frantz Charlet、1862年1月21日(もしくは1月29日) - 1928年8月8日)はベルギーの画家、版画家である。

フランツ・シャルレ
Frantz Charlet
シャルレ作「モナコのパレ・ガルニエの遊歩道」
誕生日 1862年1月
出生地 ベルギーの旗 ベルギー,ブリュッセル
死没年 1928年8月8日
死没地 フランスの旗 フランス,パリ
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略歴 編集

ブリュッセルで生まれた。兄に画家のエミール・シャルレ(Emile Charlet:1851-1910)がいて、画家のエミール・ワウタースは親類にあたる。

ブリュッセル王立美術アカデミーで、ジャン=フランソワ・ポルテールに学んだ。同じころ美術アカデミーで学んでいた画家には、テオ・ファン・レイセルベルヘロドルフ・ウィッツマン(Rodolphe Wytsman)がいる。その後パリに移り、エコール・デ・ボザールジャン=レオン・ジェロームジュール・ジョゼフ・ルフェーブルカロリュス=デュランに学んだ。

ブリュッセル王立美術アカデミー出身者の美術家グループが母体となった美術家グループ、「L'Essor(発展)」のメンバーになった。レイセルベルヘ、コンスタンタン・ムーニエダリオ・デ・レゴヨスと1882年から1883年にかけてスペインを旅し、さらにアルフレッド・クリュズナールが加わって、タンジェなどモロッコに旅した。この結果「オリエンタリズム」に分類される作品も描くようになった。

1883年に「L'Essor」が分裂することになると、シャルレはジェームズ・アンソールやレイセルベルヘとともに「20人展」の設立メンバーとなった。「20人展」の展覧会にはジョルジュ・スーラや、カミーユ・ピサロアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックエドガー・ドガクロード・モネといった新進のフランスの画家たちが招待されて作品を出展した。

1885年にはジェームズ・マクニール・ホイッスラーとオランダのマルケン島を訪れるなど、その後もヨーロッパ各地を旅した。1900年からパリで活動し1906年に国際水彩画協会(Société Internationale de la peinture à eau)を設立した。1928年にパリで没した。

作品 編集

参考文献 編集

  • Ary Delen: Charlet, Frantz. In: Ulrich Thieme (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 6: Carlini–Cioci. E. A. Seemann, Leipzig 1912, S. 396–397

外部リンク 編集