ブライアン・ヘフロンBrian Heffron1973年5月18日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーニュージャージー州アトランティックシティ出身。ブルー・ミーニーThe Blue Meanie)のリングネームで知られる[1]

ブルー・ミーニー
ブルー・ミーニーの画像
プロフィール
リングネーム ブルー・ミーニー
ブルー・ボーイ
ダ・ブルー・ガイ
ブルーダスト
本名 ブライアン・ヘフロン
ニックネーム アイスクリーム・ボーイ
身長 185cm
体重 125kg
誕生日 (1973-05-18) 1973年5月18日(50歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州アトランティックシティ
トレーナー ハードコア・ホーリー
アル・スノー
デビュー 1994年
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来歴 編集

1994年アル・スノーが主宰するオハイオボディスラマーズ・プロレスリングジムにてトレーニングを積み、プロレスラーデビュー。1995年ECWにてリングネームを現在でも使われているブルー・ミーニーThe Blue Meanie)として参戦。スティービー・リチャーズとコンビを組み、レイヴェンの部下として活動。1996年nWoパロディユニット、bWoを結成。スコット・ホールのパロディであるダ・ブルー・ガイDa Blue Guy)として活動。

1998年WWFへ移籍し、11月22日Heatにてデビュー。ECWにて共に行動したアル・スノーを中心としたユニットであるジョブ・スクアッドJ.O.B. Squad)に加入し、ゴールダストと抗争を開始。ことあるごとにゴールダストを挑発し、ユニットのメンバーであるギルバーグをサポートし、ゴールダストから勝利(WWFデビュー後初勝利)へと貢献したり、試合後のゴールダストに青のペンキを頭から浴びせたり、果てには自身がブルーダストBluedust)へと変身。1999年2月のPPVであるIn Your House 27: St. Valentine's Day Massacreにて直接対決を行うも惨敗を喫し、抗争は終焉を迎えた。ユニット解散後はゴールダストのマネージャーを務めるも短期間で終わるが、後にWWFに移籍してきたスティービー・リチャーズと共に行動。2000年よりリチャーズがRTCのメンバー入りをしたため出番は次第になくなりリリースとなった。

 
2005年、インディーにてベルベット・スカイと踊るミーニー

その後ECWに復帰するも、ECWは間もなく崩壊。インディーでの活動をすることになるが、2005年WWE ECW's One Night StandにてbWoが再結成され、WWEへ復帰。SmackDown!へと移籍し、7月7日の収録においてJBLとノー・DQ・マッチを行いbWoのメンバーとバティスタの助力を得ながらも勝利。そしてメキシクールズと抗争を開始し、同月PPVであるグレート・アメリカン・バッシュにてメキシクールズに敗れると、bWoの活動は停止。そのまま出番はなくなり再びリリースとなった。

再び活動の場をインディーへと移すが同時にタレント活動を始め、様々な映画・テレビへの出演をするようになった。ECWのリユニオンショーにも参加し、2007年5月にはWWEにてスポット参戦。2010年8月にTNAのPPVであるECWリユニオンイベント、Hardcore Justiceにて参戦する予定であったが諸事情が重なって参加することができなくなったため、体型が似ていたビッグ・ティリーが代役となり、ブルー・ティリーとして登場した。

その他 編集

得意技 編集

フィニッシャーとして使われる。巨漢ながら大きな弧を描くようにしなやかに飛ぶ。
ピープルズ・エルボーのパロディ。インディーに活動を移してから使われることが多い。
インディーに活動を移してから使われるようになった
  • ブルーライト・スペシャル
bWoで共闘したノヴァとの合体技。ミーニーのフェイスバスターからノヴァのインパクトDDTへと繋げる。

獲得タイトル 編集

NWA
  • NWA世界ライトヘビー級王座(ニュージャージー版) : 1回
MCW
CWS
  • CWSタッグチーム王座 : 1回(w / ノヴァ
その他
  • ハードコア殿堂:2014年

他、米インディ団体を中心に多数のタイトルを獲得。

脚注 編集

  1. ^ Blue Meanie”. Online World of Wrestling. 2014年10月19日閲覧。
  2. ^ Monster Factory Pro Wrestling”. Monster Factory Pro Wrestling. 2015年3月26日閲覧。

外部リンク 編集