プロゴフ (Plogoff、ブルトン語:Plougoñ)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン

Plogoff


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏
(département) フィニステール県
(arrondissement) カンペール郡
小郡 (canton) ポン=クロワ小郡
INSEEコード 29168
郵便番号 29770
市長任期 モーリス・ルメトル
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Cap-Sizun
人口動態
人口 1374人
2008年[1]
人口密度 人/km2
住民の呼称 Plogoffiste
地理
座標 北緯48度02分15秒 西経4度39分53秒 / 北緯48.0375度 西経4.664722度 / 48.0375; -4.664722座標: 北緯48度02分15秒 西経4度39分53秒 / 北緯48.0375度 西経4.664722度 / 48.0375; -4.664722
標高 最低:m
最高:m
面積 11.73km2
Plogoffの位置(フランス内)
Plogoff
Plogoff
公式サイト Site de la commune
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由来 編集

プロゴフの-ffは、古い二重音字で、ブルトン語の名称であるPlougoñのñを置き換えたもので、先行母音の鼻音化を意味している。プロゴフとはエポニムである。ブルトン語で小さな教区を意味するplouと聖人の名の組み合わせである。

地理 編集

ラ岬はコミューンの西端にあたり、ラ・ド・サンに向かって伸びている。その途中には古い灯台がたっている。腕木通信も岬にある。まちには小型船のみアクセス可能な小さな港が3つある。

歴史 編集

1970年代後半、フランス政府はプロゴフに原子力発電所の建設を計画した。この計画には圧倒的多数のプロゴフ住民、その他ブルターニュのみならずフランス全土の反原発支持者たちが反対した[2]。対立はしばしば暴力的になり、1980年に頂点に達した。プロゴフ事件の名で知られる反対運動は、1980年に起きた大事件で、1970年代のフランスの原子力政策に対する重要な事件となった。1981年にフランソワ・ミッテランが政権をとると、彼はプロゴフを環境保護の象徴とし、プロゴフ原子力発電所計画を撤回した[3]

原発建設計画への反対派の努力は、数冊の本や2本の映画の原案となった。

ラ岬に1970年代に建てられたショッピングセンターは、壊された。見返りとして新しいレセプション・エリアがつくられたが撤退し、現在協同組合が管理している。

経済 編集

沿岸漁業、農業、伝統的なビスケット製造、観光が主体である。

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
2569 2547 2359 2131 1902 1563 1410 1335

参照元:1999年までEHESS[4]、2000年以降INSEE[5][6]

ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ Populations légales 2008 de la commune : Plogoff sur le site de l'Insee
  2. ^ ORTF (14 Fevrier 1980). "Le nucléaire contesté à Plogoff". L'Ouest en mémoire (INA). 23 June 2011閲覧 {{cite web}}: |year=の日付が不正です。 (説明)
  3. ^ ORTF (28 Mai 1981). "Annulation du projet de centrale nucléaire à Plogoff". L'Ouest en mémoire (INA). 23 June 2011閲覧 {{cite web}}: |year=の日付が不正です。 (説明)
  4. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=27171
  5. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  6. ^ http://www.insee.fr