ヘリプレーン1型

複合ヘリコプターの一つ

ヘリプレーン1型(ヘリプレーンいちがた)は、日本の萱場工業(現カヤバ)が試作した「ヘリプレーン」(複合ヘリコプター)。単にヘリプレーンとも呼ばれる。

萱場工業(現カヤバ)が試作したヘリプレーン(複合ヘリコプター)ヘリプレーン1型[1]

概要 編集

1952年昭和27年)3月、萱場工業は、太平洋戦争中に生産していたオートジャイロであるカ号観測機の経験を生かして、オートジャイロとヘリコプターの利点を組み合わせた「ヘリプレーン」の開発を開始した。

この機体の開発のため、国から萱場工業に対して200万円、開発に関与した石川島重工(現IHI)に対して120万円の補助金が交付された。

機体はセスナ 170Bを改造したもので、原型機の主翼は撤去され、機体上部に全金属接着構造の3翅の主回転翼(ローター)が設けられた。また、新たに短い低翼配置の短固定翼が設置されたほか、プロペラは3翅の可変ピッチプロペラに変更され(撮影画像では、セスナ 170Bと同じ木製の2翔・固定ピッチプロペラのまま)、尾翼にも改修が加えられた。

動力は、レシプロエンジンがより高出力のものに換装されたほか、ローターの先端に石川島に開発を依頼したラムジェットエンジン計3基が備えられ、「翼端噴流式」(チップジェット)と呼ばれる独特の回転翼駆動方式が採用された。離陸時にはラムジェットエンジンを用いてローターを回転させ、水平飛行時にはラムジェットエンジンの作動を停止、ローターは自由回転させた上で、オートジャイロと同様にレシプロエンジンとプロペラの推力のみを用いて飛行する予定だった[2]

実機は1機が製作され、1954年(昭和29年)3月にほぼ完成したが、機体構造やエンジンの根本的な改修が必要なことが判明し、さらに同年7月に機体が地上繋止(タイダウン)によるエンジン運転試験中に横転し大破したことを受け、飛行に至らぬまま開発計画は中止された[2]。機体の開発が順調に進めば、市販する計画であり、側面図の断面図による乗客輸送を想定したカタログ向けのイラストも用意されていた[3]

スペック 編集

出典:[4] [5] 

諸元

[7][8] 水平対向6気筒レシプロ(出力180 hp)[6]× 1 

    • 石川島播磨重工業 ラムジェット[9](推力 25 kg ) × 3
  • プロペラ:木製固定ピッチ・2翅 プロペラ。エンジンの地上運転試験時までには3翔の可変ピッチプロペラに変更。
性能(計画値)
  • 最大速度:170 km/h(106 mph; 92 kn)
  • 巡航速度:120 km/h (75 mph; 65 kn)
  • 航続距離:360 km(224 mi; 194 nmi)
  • 実用上昇限度:4,000 m(13,123 ft)
 
国立科学博物館に収蔵されている ヘリプレーン1型のために提供された石川島播磨工業のラムジェットエンジン。その中核部品の拡大写真。
 
国立科学博物館に収蔵されている ヘリプレーン1型のために提供された石川島播磨工業のラムジェットエンジンの全体図。

脚注 編集

  1. ^ 写真提供:KYB株式会社(現カヤバ) 経営企画本部 広報部。
  2. ^ a b c わが国ヘリコプター黎明期の試み - Aviation Now/航空の現代( 日本航空宇宙学会 主催「第37回飛行機シンポジウム」講演草稿の再録)。1999年10月13日2017年2月6日閲覧。
  3. ^ この2つの写真がヘリプレーン構想のカタログであったのか、ポスターのようなものであったのかは不明だが、こんな写真が残されていた。いわば「萱場資郎」社長が見た夢の細目である。資金さえ続けば成功する可能性は十分にあった。
    現代にも通用するコンセプトの航空機であり、現にアメリカでは似たような開発計画が進められていた。
    もし、これが実際に飛んでいたとしたら、コンピューター技術などを付加しつつ、日本独自の航空分野が開拓されていたかもしれない。
    2016年3月1日閲覧。
  4. ^ 一般社団法人 日本航空宇宙工業会 > 日本の航空宇宙工業 50 年 の歩み > 各論; 岡村製作所 N-52 軽飛行機  〜 日本航空機製造 YS-11 > "ヘリプレーン1型" 側面写真 第100頁( PDF 第 2 頁目 ) 2016年2月12日閲覧。コンチネンタル・モータース Continental IO-360 と記載あるが1962年に生産開始の発動機であり、1955年に製造を開始した、ライカミング・エンジンズLycoming O-360 との混同の可能性あり。
  5. ^ 日本航空機辞典 下巻 昭和26年〜平成元年 (1951〜1989)”. www.modelart-shop.jp. 東京: 有限会社 モデルアート社 (Model Art Limited) (1992年). 2017年2月11日閲覧。
  6. ^ a b “Japanese Imperial Army Artillery Unit Ka-go Observation Aircraft-Phantom Autogyro Development Story by Eiji Tamate (陸軍 カ号観測機 - 幻のオートジャイロ開発物語 - 玉手 榮治)”. Ushio shobo - kojin shinsha Co., Ltd(株式会社潮書房光人新社),Eiji Tamate (玉手 榮治): 368-375. (22 March 2020). http://www.kojinsha.co.jp/nf006.html 2020年3月23日閲覧。. 
  7. ^ コンチネンタル・モータースまたはライカミング・エンジンズO-360 とする資料が混在。" Three more examples of Japanese aircraft: from the left, Fuji-Beech T-34A Mentor ( 225 h.p. Continental); Kayaba Heliplane ( 180 h.p. Continental); and Toyo TT-1O ( 135 h.p. Lycoming)."“Re-Rising Sun(英語)”. Flight(航空): 411頁-413頁. (1955年 4月 1日 発行). https://www.flightglobal.com/pdfarchive/view/1955/1955%20-%200412.html 2017年2月11日閲覧。. 
  8. ^ Kayaba's Cessna-based ・ Heliplane ・ compound helicopter 2012年12月5日。2016年2月13日閲覧。より、Continental O-470 - E185系列(E185-1 - E185-11)とする資料もあり。
  9. ^ 型式・型番ともに不詳。

出典 編集

関連項目 編集