ヘンリー (グロスター公)

イギリスの王族、軍人 (1900-1974)

グロスター公爵ヘンリー王子(英語: Prince Henry, Duke of Gloucester, KG, KT, KP, GCB, GCMG, KCVO, PC 洗礼名: ヘンリー・ウィリアム・フレデリック・アルバート; Henry William Frederick Albert1900年3月31日 - 1974年6月10日)は、イギリスの王族、軍人。グロスター公爵、アルスター伯爵、カローデン男爵。第11代オーストラリア総督(在任:1945年 - 1947年)。

ヘンリー
Prince Henry
グロスター公
1945年頃
在位 1928年3月31日1974年6月10日
続柄 ジョージ5世第3王子

全名 Henry William Frederick Albert
ヘンリー・ウィリアム・フレデリック・アルバート
称号 グロスター公爵
アルスター伯爵
カローデン男爵
身位 Prince(王子)
敬称 His Royal Highness(殿下)
出生 1900年3月31日
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドノーフォーク、サンドリンガム
死去 (1974-06-10) 1974年6月10日(74歳没)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドノーサンプトンシャー
配偶者 アリス・モンタギュー=ダグラス=スコット
子女 ウィリアム英語版
リチャード
父親 ジョージ5世
母親 メアリー・オブ・テック
役職 オーストラリア総督
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生涯 編集

当時ヨーク公だったジョージ王子(後のジョージ5世)と妃メアリーの三男として、1900年にノーフォークのサンドリンガムで誕生した。兄にエドワード8世ジョージ6世、姉にハーウッド伯爵夫人メアリー、弟にケント公ジョージらがいる。

同年5月17日ウィンザー城のプライベートチャペルで、ウィンチェスター大主教であるランドル・デイヴィッドソンによって洗礼を施され、ヴィクトリア女王ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世ベアトリス王女ハノーファー王太子妃テューラノルウェー王妃モードギリシャ王子ゲオルギオスアスローン伯アレグザンダー・ケンブリッジロバーツ伯フレデリック・ロバーツらが代父母となった。

1913年からイートン校で学び、卒業後の1919年には他の兄弟とは対照的にサンドハースト王立陸軍士官学校に入学、陸軍軍人となり、1937年の退役まで第10軽騎兵連隊の将校を務めた。第二次世界大戦が始まると軍に復帰し、首席連絡将校を務めた。1955年には陸軍元帥、1958年には空軍元帥に任ぜられた。

1928年にグロスター公に叙され、1930年にはエチオピア皇帝ハイレ・セラシエの戴冠式に出席するため、アディスアベバに赴いた。

1929年には日本を訪れ、5月5日に靖国神社に参拝したほか、明治神宮陸軍習志野演習場京都神戸などを訪問している。

1936年、長兄エドワード8世の予期せぬ退位で王位についた次兄ジョージ6世は、もし自分に不測の事態が起こり死ぬようなことがあり、まだ年端もいかないエリザベス王女が即位するような事態となったら、摂政として補佐してほしいとヘンリーに頼み、イギリスを離れないように要求していた。

 
オーストラリア総督時代のグロスター公爵夫妻の記念切手(1945年)

1944年、オーストラリア労働党政権の首相ジョン・カーティンと懇意にしていたため、オーストラリア総督就任を依頼された。カーティン自身はかねてより総督職にはオーストラリア人を任じるべきと唱えていたものの、第二次世界大戦中だったため王族が総督になる方が得策であり[注釈 1]オーストラリアのイギリス離れを封じ、オーストラリア守備の必要性から自説を曲げることとなった。元来、他の兄弟と比べて、容姿にコンプレックスを抱いてきたこともあり、内気で人前に出るのが苦手だったヘンリーは、オーストラリア国民に好かれなかったが、公爵夫人アリスは好印象を与え、夫のネガティブなイメージを和らげた。1945年にカーティンが亡くなり戦争が終結すると、1947年3月に任期を残して職を辞し、帰国した。

第二次世界大戦後も、兄王の名代として、1949年に南アフリカを訪問するなど、夫人とともに海外歴訪を含む公務を続け、1954年にはグレイ法曹院の大蔵卿に任ぜられた。だが、晩年は脳卒中に倒れ、1972年長兄ウィンザー公の葬儀にも出席できず、同年8月28日には長男ウィリアムが飛行機事故で急逝するなど、不幸が相次いだ。

1974年6月10日に74歳で薨去[注釈 2]。ジョージ5世の子供たちの中では最も後年まで生きた。グロスター公位は、次男のリチャード王子が継ぐこととなった。

雑記 編集

1935年発行の100カナダドル紙幣に肖像が使用されている。

家族 編集

1935年11月6日、第7代バクルー公及び第9代クイーンズベリー公ジョン・モンタギュー=ダグラス=スコットの娘アリス・モンタギュー=ダグラス=スコットと結婚。妻との間に2男をもうけた[1]

称号・栄典など 編集

称号の変遷 編集

 
グロスター公ヘンリーの紋章
  • 1900年3月31日 – 1901年1月22日
    ヘンリー・オブ・ヨーク王子殿下(His Highness Prince Henry of York
  • 1901年1月22日 – 1901年11月9日
    ヘンリー・オブ・コーンウォール・アンド・ヨーク王子殿下(His Royal Highness Prince Henry of Cornwall and York
  • 1901年11月9日 – 1910年5月6日
    ヘンリー・オブ・ウェールズ王子殿下(His Royal Highness Prince Henry of Wales
  • 1910年5月6日 – 1928年3月31日
    ヘンリー王子殿下(His Royal Highness The Prince Henry
  • 1928年3月31日 – 1974年6月10日
    グロスター公爵殿下(His Royal Highness The Duke of Gloucester

勲章 編集

外国勲章

名誉職 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 元々は、弟のケント公ジョージに就任が打診されていたが、1942年に飛行機事故で急逝したため、総督候補は一度、白紙に戻されていた。
  2. ^ この時、秩父宮妃勢津子(昭和天皇の弟の妃)がたまたま訪英中で、グロスター公妃アリスを弔問している。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage, Clan Chiefs, Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. cxl. ISBN 978-0-9711966-2-9
  2. ^ "Imperial Garter," Time Magazine, 13 May 1929.
  3. ^ 君塚直隆『女王陛下のブルーリボン』〈中公文庫〉2014年、201頁。 
  4. ^ “JAPAN: Imperial Garter” (英語). Time. (1929年5月13日). ISSN 0040-781X. http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,732380,00.html 2017年4月9日閲覧。 
  5. ^ "Henry William Frederick Albert (1900 - 1974); Duke of Gloucester". Record (英語). The Royal Society. 2023年11月25日閲覧

外部リンク 編集

ヘンリー (グロスター公)

1900年3月31日 - 1974年6月10日

官職
先代
初代ゴウリー男爵英語版
オーストラリア総督
1945年 – 1947年
次代
サー・ウィリアム・マッケル英語版
名誉職
先代
コノート=ストラサーン公爵
バス勲章グレート・マスター
1942年 – 1974年
次代
ウェールズ公
先代
初代スウィントン伯爵英語版
首席枢密顧問官英語版
1972年 – 1974年
次代
サー・ヘンリー・スレッサー
イギリスの爵位
爵位創設 初代グロスター公爵
第5期
1928年 – 1974年
次代
リチャード