ペテル・ボーゲ(Peter Waage, 1833年6月29日 - 1900年1月13日)は、ノルウェー化学者である。日本では名がペーテルまたはペーター、姓はワーゲと表記されることもある。

ボーゲ(右)と義兄グールベリ(左)

1864年から1879年にかけて、化学者・数学者の義兄カトー・グールベリCato Maximilian Guldberg, グルベルグまたはグルベアとも表記される)と共に質量作用の法則を発見、確立した。

生涯 編集

ノルウェーのフレッケフィヨール船長であった父のもとで生まれ、1854年にグールベリと共にクリスチャニア大学に入学した。当初は医学を3年間学んだが、化学鉱物学も学び、1858年酸素ラジカルに関する論文でノルウェー皇太子金賞牌を受賞した[1]。卒業後の1859年ドイツハイデルベルク大学に留学し、ロベルト・ブンゼンの指導を受けた。

帰国後の1862年、グルベルグと共にクリスチャニア大学の教授となり、1864年に「化学親和力に関する研究」(Studies concerning affinity) を発表するものの、ノルウェー語で書かれていたため反響がなかった。1867年フランス語で同名の論文を発表した[2]

ボーゲとグールベリは1862年に発表されたフランスの化学者・医師であったクロード・ルイ・ベルトレー化学平衡に関する実験結果に興味を持ち[2]、1864年より研究を始めた。

1868年から1869年にかけてノルウェー工科学会 (Polytechnic Society) の会長を務め、1880年にはYMCAノルウェー支部の初代会長を務めた。

1870年、ボーゲはグールベリの妹と結婚し、これによってボーゲとグールベリは義兄弟の関係となった[3]

1879年、ボーゲとグールベリは化学平衡と化学反応速度に関する論文を発表し、質量作用の法則を確立することに成功した。

1900年1月13日、クリスチャニア(現オスロ)で死去。

脚注 編集

  1. ^ ボーゲ - Yahoo!百科事典日本大百科全書、2012年10月2日閲覧。
  2. ^ a b 植村琢崎川範行桜田一郎水島三一郎 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 15 化学』(初版)小学館日本大百科全書〉(原著1974年10月20日)、672頁。 
  3. ^ ボーゲとは - コトバンク、2012年10月2日閲覧。