ボールドラッド (1964年生まれの競走馬)

ボールドラッドBold Lad、1964年 - 1986年)は、アイルランドサラブレッド競走馬種牡馬。1966年のミドルパークステークスなどで勝利し、3歳で引退するまでに9戦5勝の戦績を挙げた。

ボールドラッド
欧字表記 Bold Lad
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1964年
死没 1986年
Bold Ruler
Barn Pride
母の父 Democratic
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 Lady Granard
馬主 Lady Granard
調教師 Paddy Prendergast
競走成績
生涯成績 9戦5勝
獲得賞金 24,790ポンド
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経歴 編集

  • 当時はグループ制未導入。

出自 編集

アイルランドにおいて、グラナード伯爵夫人ベアトリス・フォーブスに生産されたサラブレッドの牡馬である。生産者であるグラナード伯爵夫人はアメリカ合衆国の出身で、ボールドルーラーを所有していたホイートリー牧場英語版グラディス・ミルズ・フィップス英語版と双子の姉妹であった。ボールドラッドは、体高が16ハンドほどあり、額に小さな白いがついているのが特徴的であったという[1]。ボールドラッドはアイルランドのカラ競馬場近郊に厩舎を構えるパディ・プレンダーガスト英語版調教師のもとに送り込まれて訓練を受けた。

1966年(2歳時) 編集

ボールドラッドのデビュー戦は地元アイルランドでのヤングスターズステークスで、ここで初勝利を挙げている。それからすぐにボールドラッドはイギリスへと送られ、アスコット競馬場コヴェントリーステークスに出場、のちのダービー馬であるロイヤルパレス英語版らを破って勝利した[2]

続くドンカスター競馬場でのシャンペンステークスではそれまで無敗を誇っていたリボッコ英語版を破って優勝、プレンダーガストはボールドラッドをこれまでに訓練した中で最高の2歳馬だと語った[3]。同年の最後の競走は9月のニューマーケット競馬場で迎えたミドルパークステークスで、これを勝利してこの年を無敗で締めくくった。

ボールドラッドはタイムフォームのフリーハンデキャップにおいて、2歳としては破格の133ポンドが与えられた[4]。年度代表馬選考においてもボールドラッドの名は挙がり、3歳馬のシャーロットタウン英語版ソディウム英語版に次ぐ得票数3位であった[4]

1967年(3歳時) 編集

ボールドラッドの3歳初戦は、アイルランドのカラ競馬場で行われたテトラークステークス英語版で、これに勝利している。その後再びイギリスに送られ、ニューマーケットの2000ギニーステークスに出走、ロイヤルパレスとともに100/30(約4.3倍)のオッズで1番人気タイであった。しかし進路を塞がれてきれいに走れず、結果ロイヤルパレスが勝つ一方で着外に終わった[5]。その後、ボールドラッドはニューベリー競馬場ロッキンジステークスに出走、ここでも1番人気に据えられたが、アイルランドの4歳馬ブルーララに3/4馬身差で敗れた[6]。その後アスコットでのセントジェームズパレスステークスで3着に入ったのを最後に引退した[5]

種牡馬入り後 編集

引退後のボールドラッドは種牡馬となり、初年度の種付け料は400ギニーに設定されていた[7]。初年度産駒から1000ギニー優勝馬のウォータールー英語版を出すなど好調な成績を収め、このほかにリッチモンドステークス優勝馬のパーシャンボールドロッキンジステークス優勝馬ボールドボーイ英語版ジュライカップ勝ち馬ネヴァーソーボールド英語版などを出した[8]

血統表 編集

ボールドラッド血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ボールドルーラー系
[§ 2]

Bold Ruler
アメリカ 黒鹿毛 1954
父の父
Nasrullah
イギリス 鹿毛 1940
Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
父の母
Miss Disco英語版
アメリカ 鹿毛 1944
Discovery Display英語版
Ariadne
Outdone Pompey英語版
Sweep Out

Barn Pride
アイルランド 栗毛 1957
Democratic
栗毛 1952
Denturius Gold Bridge
La Solfatara
Light Fantasy Signal Light
Last Act
母の母
Fair Alycia
イギリス 栗毛 1952
Alycidon Donatello
Aurora
Fair Edwine Fair Trial
Edvina
母系(F-No.) 2号族(FN:2-e) [§ 3]
5代内の近親交配 Pharos・Fairway 4×5×5 = 12.50%, Blenheim 4×5 = 9.38% [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ[9], netkeiba.com[10]
  2. ^ netkeiba.com[10]
  3. ^ JBISサーチ[9], netkeiba.com[10]
  4. ^ netkeiba.com[10]


参考文献 編集

  1. ^ Hugh McMahon. “Bold Lad”. Sporthorse-data.com. 2014年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月14日閲覧。
  2. ^ [ Displaying Abstract ] (2012年6月10日). “A NEW BOLD LAD SCORES AT ASCOT”. New York Times. https://www.nytimes.com/1966/06/15/archives/a-new-bold-lad-scores-at-ascot-irishtrained-2yearold-takes-coventry.html 2012年6月14日閲覧。 
  3. ^ “Bold Lad to maintain unbeaten record”. Glasgow Herald. (1966年9月29日). https://news.google.com/newspapers?id=aN89AAAAIBAJ&pg=6540,4947572&dq=bold-lad+middle-park&hl=en 2012年6月14日閲覧。 
  4. ^ a b Morris, Tony; Randall, John (1990). Horse Racing: Records, Facts, Champions (Third ed.). Guinness Publishing. ISBN 0-85112-902-1 
  5. ^ a b Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1978). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane’s. ISBN 0-354-08536-0 
  6. ^ Down The Years.”. Thefreelibrary.com (2005年6月3日). 2012年6月14日閲覧。
  7. ^ “Mill Reef, now it's up to his sons and daughters”. The Age. (1972年11月21日). https://news.google.com/newspapers?id=9ihVAAAAIBAJ&pg=7041,4945809&dq=bold-lad+middle-park&hl=en 2012年6月14日閲覧。 
  8. ^ Bold Lad Offspring”. Pedigreequery.com. 2012年6月14日閲覧。
  9. ^ a b 血統情報:5代血統表|Bold Lad(IRE)”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2022年6月5日閲覧。
  10. ^ a b c d Bold Ladの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2022年6月5日閲覧。

外部リンク 編集