ボーロマコート王(สมเด็จพระเจ้าอยู่หัวบรมโกศ 1680年 - 1758年)は、タイアユタヤ王朝の王の一人。先々王スリエーンタラーティボーディーの息子で、先王プーミンタラーチャーの弟。

ボーロマコート王
สมเด็จพระเจ้าอยุ่หัวบรมโขษฐ์
ボーロマラーチャーティラート3世
บรมราชาธิราชที่ ๓
在位 1733年 - 1758年
全名 ボーロマコート王
別名  
王朝 アユタヤ王朝34代目
家系 バーンプルールワン家
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生涯と業績 編集

「プラ・バントゥーラノーイ」と称して副王の地位にあった。ターイサ王が病むと、アパイ王子に位を譲ろうとしたため、副王だった彼はこれを不服に思い、アパイ王子と衝突し、見事勝ったことから、王となった。後期アユタヤ朝の黄金時代を築いたとも評価されるが、1734年には中国系勢力による王宮襲撃を受け、1746年頃にも反乱が発生した。晩年は宮廷内での権力闘争が激化するなど、衰退の徴候もみられていた。

ボーロマコートは、スリランカへの仏教布教という業績を残した。そもそもスリランカ(セイロン島)では上座部仏教が盛んであったが、16世紀以降ポルトガルとオランダの進出にともなって、仏教が衰退していた。そのためキャンディ王国に使節を派遣し、タイの仏教の教義を特色とする上座部仏教の宗派サヤームニカーイ(シアム・ニカーヤ派)の基礎が築かれることになった。

関連項目 編集