ポール・リチャーズ(Paul William Richards、1964年5月20日-)は、ペンシルベニア州スクラントン出身のアメリカ合衆国の技術者、アメリカ航空宇宙局宇宙飛行士である。2001年にスペースシャトルのミッションで宇宙を訪れた。

ポール・リチャーズ
NASA宇宙飛行士
国籍 アメリカ人
現況 Retired
生誕 (1964-05-20) 1964年5月20日(59歳)
ダンモア (ペンシルベニア州)
他の職業 技術者
宇宙滞在期間 12日19時間49分
選抜試験 1996 NASA Group
ミッション STS-102
記章

教育 編集

1982年にペンシルベニア州ダンモアのダンモア高校を卒業した。ドレクセル大学機械工学の学士号を取得し、そこで1987年にシグマ・ファイ・フラタニティに入会した[1]。1991年にメリーランド大学カレッジパーク校で機械工学の修士号を取得した。

リチャーズは、アメリカ機械学会全米プロフェッショナルエンジニア協会アメリカ航空宇宙学会アメリカ海軍技術者協会アメリカ海軍予備役のメンバーである。

初期のキャリア 編集

1983年から1987年まで海軍の艦艇システム技術ステーションに勤め、1987年にNASAのゴダード宇宙飛行センターに移った。NASAでは、検証、電気機械、ロボット、誘導制御等を担当する部署で働いた。ハッブル宇宙望遠鏡のプロジェクトでは、船外活動器具開発のシニアエンジニア、プロジェクトマネージャー、プログラムマネージャーを務め、予算、スケジュール、設計、分析、校正、試験や、ブレッドボード、WETF/NBS、飛行ハードウェアの統合、書類、レビューのプロセス等に責任を負った。リチャードは、ピストルグリップツール(PGT)の発明者である。PGTは、自己充足型、コンピュータ制御、バッテリー駆動式の3/8インチの駆動力装置で、ピストル型のハンドルがついたものである。ミッション固有のツールには、トルク、速度、回転の多数の制限をプログラムできる。発光ダイオードディスプレイで、トルク、速度、回転の状況が把握できる。また、エラーメッセージも表示される。トルクの範囲は、2-25フィート重量ポンド、速度は5-60回転/分、回転数は0-999である。マニュアルモードでは、トルクは38フィート重量ポンドである。全ての留め具の仕様は、各ミッションの前にPGTにプログラムされており、PGTは船外活動中に実際のデータをログに記録する。PGTは、1996年以来、NASAの全ての船外活動で使用されている。

NASAでのキャリア 編集

1996年4月にNASAにより宇宙飛行士に選ばれ、1996年8月にジョンソン宇宙センターに入ったと言われている。2年間の訓練と評価を終え、ミッションスペシャリストとしての資格を得た。当初はコンピュータ部門に配属され、スペースシャトル及び国際宇宙ステーションのソフトウェアを担当した。次に宇宙飛行士室で、ペイロード用汎用コンピュータとシャトル航法電子装置組立実験室を担当した。STS-102で宇宙を訪れ、6.4時間の船外活動を含む307時間、宇宙に滞在した。第7次長期滞在では、バックアップ乗組員を務めた。個人的な興味を追及するため、2002年にNASAを退職した。

2004年に、GOESの観測マネージャーとして、ゴダード宇宙飛行センターに戻った。GOES-Rシリーズは、アメリカ海洋大気庁がNASAと共同開発した次世代の気象衛星だった。2014年には、レーザー通信実験装置LCRDプロジェクトの副責任者に昇進した。LCRDは、レーザー技術を用いた次世代の通信衛星であった。2018年、衛星通信ナビゲーションシステム(SCaN)プログラムの責任者として、NASA本部に派遣された。2019年にNASAを退職した[2]

宇宙飛行 編集

国際宇宙ステーションを訪れたスペースシャトルの8度目のミッションとなった2001年3月のSTS-102では、第2次長期滞在第1次長期滞在の乗組員を入れ替え、多目的補給モジュール「レオナルド」を持ち帰った。リチャードは、6時間21分の船外活動を行った。ミッションの期間は、307時間49分だった[2]

出典 編集

  1. ^ Notable Alumni”. Sigma Pi Fraternity, International. 2022年6月23日閲覧。
  2. ^ a b PAUL WILLIAM RICHARDS, NASA ASTRONAUT (FORMER)”. NASA (2019年10月). 2021年6月24日閲覧。  この記事にはパブリックドメインである、アメリカ合衆国連邦政府のウェブサイトもしくは文書本文を含む。