マイク・マティアビッチ

ミレンコ・マティアヴィッチ(Miljenko Matijevic、1964年11月29日 - )は、アメリカ合衆国ミュージシャンシンガーソングライター。旧名マイク・マティアヴィッチ(Mike Matijevic)。

ミレンコ・マティアヴィッチ
Miljenko Matijevic
オランダ・ヴェールト公演 (2010年7月)
基本情報
別名 Mike Matijevic, Mili
生誕 (1964-11-29) 1964年11月29日(59歳)
出身地 ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビアザグレブ
ジャンル ハードロックヘヴィメタル
職業 ミュージシャン
シンガーソングライター
担当楽器 ボーカルギター
活動期間 1970年代 - 現在
共同作業者 スティールハート
公式サイト Milispage (Milispage) - Facebook

ハードロックバンドスティールハート」のリーダー兼ボーカリスト。非常に広い声域と優れた歌唱力を持ち、多くの楽曲を手がけるコンポーサー。

概要・略歴 編集

1964年ユーゴスラビアクロアチアに生まれ、7歳の時に家族と共に米国コネチカット州グリニッジに移住。

9歳の時には地元に聖歌隊に参加する。11歳でレッド・ツェッペリンと出会い、兄と「Teazer」という名のバンドを結成する。このバンドではレッド・ツェッペリン、ブラック・サバスのカヴァーや、オリジナル曲の演奏をしていたという。13歳の時には4ヵ月間ほどヴォーカル・レッスンを受ける。その後「Teazer」は解散となり、15歳の時に「The Mission」に加入。

1981年、ギタリストのクリス・リゾーラを中心に活動していたバンド、「Red Alert」に加入。熱心な活動を続けたのち「MCAレコード」との契約を結ぶことに成功しメジャー契約。同名のバンドが存在したため「Steelheart」と改名した。1990年セルフタイトルの1stアルバム『Steelheart』でデビューを果たす。同年に初来日。

2ndアルバム『Tangled in Rains』発売後の1992年コロラド州デンバーでのライブ中にマティアビッチはステージ上の照明器具にパフォーマンスとしてよじ登ろうとしたが、器具は適切な固定が成されておらず、その結果器具はマティアビッチの上に落下し、頭蓋骨、鼻、頬骨、顎、そして背骨を骨折するという大事故となった。また、一時的な記憶喪失にも陥った。九死に一生を得たリハビリの末、1996年の3rdアルバム『Wait』で復帰[1]。ライブツアー終了後、バンドは長期の活動停止期間に入る。

2001年、映画『ロック・スター』用に特別結成されたバンド「Steel Dragon」にボーカリストとして参加。ギターにザック・ワイルドニック・カトネーゼ、ベースにジェフ・ピルソン、ドラムにジェイソン・ボーナムというスーパーグループであった。

2006年、10年ぶりに「Steelheart」が再始動。バンドのほとんどのビジネスを手がけ、自主レーベル「Steelheart Records」の設立や、Studio、TV、Wearなどを立ち上げる。2008年に12年ぶりの4thアルバム『Good 2B Alive』を発表。以降、精力的なライブ活動を展開している。2017年、「Steelheart」名義で27年ぶりの来日[2]

現在は、Mike(マイク)から出生名であるMiljenko(ミレンコ)に復名し、「Mili」の愛称で親しまれている。

ディスコグラフィ 編集

スティールハート名義

オリジナル・アルバム

  • STEELHEART (1990年)
  • Tangled in REINS (1992年)
  • Wait (1996年)
  • Good 2B Alive (2008年)
  • Through Worlds Of Stardust (2017年)[3]

脚注 編集

外部リンク 編集