マオー・ド・シャティヨン

マオー・ド・シャティヨンフランス語:Mahaut de Châtillon, 1293年 - 1358年10月3日)は、サン=ポル伯ギー4世・ド・シャティヨンとブルターニュ公ジャン2世の娘マリーとの間の娘。

マオー・ド・シャティヨン
Mahaut de Châtillon

出生 1293年
死去 1358年10月3日
配偶者 ヴァロワ伯シャルル
子女 マリー
イザベル
ブランシュ
ルイ
家名 シャティヨン家
父親 サン=ポル伯ギー4世・ド・シャティヨン
母親 マリー・ド・ブルターニュ
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マオーのシール

生涯 編集

1308年フランス王フィリップ3世と王妃イザベルの三男で[1]フィリップ4世の弟ヴァロワ伯シャルルと結婚した[2]。シャルル自身はそれまで2度結婚しており、1307年に2度目の妃カトリーヌが死去していた。マオーとシャルルの間には4人の子供が生まれた。娘のうちイザベルはブルボン朝の先祖となり、ブランシュはドイツ王妃となった。

夫シャルルは1325年に死去し、マオーはその33年後の1358年に65歳で死去した。

子女 編集

脚注 編集

  1. ^ Henneman 1971, p. xvii.
  2. ^ Russell 2013, p. 299.

参考文献 編集

  • Henneman, John Bell (1971). Royal Taxation in Fourteenth-Century France: The Development of War Financing, 1322–1359. Princeton University Press. ISBN 0-691-05188-7 
  • Russell, Delbert W. (2013). “The Cultural Context of the French Prose "remaniement" of the Life of Edward the Confessor by a nun of Barking Abbey”. In Wogan-Browne, Jocelyn. Language and Culture in Medieval Britain: The French of England, C.1100-c.1500. Boydell & Brewer