マクベス (スコットランド王)

マクベタッド・マク・フィンレック(Mac Bethad mac Findlaich, 現代ゲール語:MacBheatha mac Fhionnlaigh, 1005年 - 1057年8月15日[2])は、スコットランド王(在位 : 1040年 - 1057年)。ウィリアム・シェイクスピア戯曲の題名にもなったマクベスMacbeth)の通称で世界的に知られる。マルカム2世の次女ドウナダ(Donada)とマリ領主フィンレック(Findlaich)の間に生まれた。異父兄にオークニー伯トールフィン(ソーフィン)がいる。マクベスの名は、ゲール語で「生命の子(マク・ベーサ)」の意味である[3]

マクベス
Macbeth / Mac Bethad mac Findlaich
スコットランド国王
在位 1040年 - 1057年

出生 1005年
スコットランド王国の旗 スコットランド王国、ディングウォール[1]
死去 1057年8月15日
スコットランド王国の旗 スコットランド王国、ランファナン
埋葬 スコットランド王国の旗 スコットランド王国アイオナ
配偶者 グロッホ
子女 (継子)ルーラッハ
家名 アルピン家
王朝 アルピン朝
父親 マリ領主フィンレック
母親 ドウナダ
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生涯 編集

1040年8月14日、従兄のダンカン1世を殺害し、王位を奪った。マクベスは、反対勢力や王位継承の可能性のある者たちを次々と抹殺していった[4]1043年に共にアルピン王家の血を引くバンクォウを殺害、1045年にはダンカン1世の父でアサル領主英語版クリナン英語版と戦って彼を殺害した[4]

マクベスは統治能力に優れた人物と言われ、17年と当時としては長期間在位した[4]。また、1050年にはローマへの巡礼旅行に出ている[4]

1054年マルカム・カンモースクーンの戦いで大敗し、1057年ランファナンの戦いで戦死した。

1032年頃にケネス3世の孫娘グロッホと結婚している。マクベスの死後、王位は継子ルーラッハ(グロッホと先夫マリ領主ギラコムガンとの間の息子)が継承したが、ルーラッハも即位から4か月後にマルカム・カンモーに殺害され、マルカム・カンモーがマルカム3世として即位した[5]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 森護『スコットランド王室史話』大修館書店、1988年。ISBN 978-4469242560 
  • ナイジェル・トランター『スコットランド物語』杉本優(訳)、大修館書店、1997年。ISBN 978-4469244014 

関連項目 編集