マザーアースニュース(英名:Mother Earth News)(ISSN: 0027-1535) は、発行部数 500,520 のアメリカの隔月刊の雑誌。拠点はカンザス州トピカ

実践、実用、ハウツーの視点で環境問題にアプローチ。1970年の創刊以来、マザーアースニュースは、再生可能エネルギーリサイクル、家族農場、より良い農業、より良い食習慣、医学的な健康管理、意味ある教育、手頃な住宅の啓発における先駆者。暮らしを味わう為の土台を提供してきました。

歴史 編集

ジョン・シャットルワースとジェーン・シャットルワースは、“すずめの涙ほどの”わずかな予算1,500ドルで雑誌を始め、1970年に自宅から出版[1]。創刊号は同年1月に発行されました[2]

ジョン・シャットルワースは、2009年3月29日に、コロラド州エバーグリーン英語版の自宅にて71歳で逝去。[3]

雑誌は、当初、オハイオ州ノースマディソンで出版され、後にノースカロライナ州ヘンダーソンヴィルに移転しました。

マザーアースニュースは、1970年代を通して、実質本位の方針と外観でした。1970年代初めに蘇った帰農運動を契機として、これにエコロジー運動自給自足を組み合わせました。

環境保全をテーマとする他の雑誌と異なり、マザーアースニュースは、田舎へ転居する人々の増加にあわせて、DIYとハウツーの記事を主力に。その結果、1970年代にわたり広まりました。記事には、家の建築、農業ガーデニング、および起業家精神があり、全てDIYの視点。記事の内容は広く、ジオデシックドーム、狩り、食品貯蔵、そして、アマチュア無線に関する定期コラムさえありました。

代替エネルギーは、頻繁に取り上げられた話題。太陽エネルギー風力エネルギーへの切り替え方、蒸留器を作る方法、そしてエタノールで車を走らせる方法などの記事です。

「農夫インタビュー」シリーズも定期的な特集記事。環境リーダーなどのインタビューもありました。革新的な見方が中心で、帰農者ばかりでなく、ヒッピーから、サバイバリスト、いつか田舎へ引越すことを夢見る郊外の居住者、DIY記事が役に立つと知った長年の地方居住者へと、マザーアースニュースは幅広い読者層を集めました。

1975年3月。第32号の3月/4月号において、ジョン・シャットルワースは第2回目の「農夫インタビュー」で言いました。「少なくともこの20年間、世界の主要な国家すべて(資本主義共産主義)が、ただ、人間のみが、この惑星のどんな権利も有するという狭い妄想に縛られていることに、私はますます違和感を抱いています。さらに言えば、気まぐれに見える人間の欲求、ニーズ、願望は、すぐに満足されなければなりません。しかもこれは、経済至上主義において、常に実現可能なのです。」

「つまり、我々は信じられないくらい素晴らしいエデンの園に住んでいると思います。数え切れないほどの奇跡的な生物形態に囲まれています。神秘的に織り混ざった自己補充支援システムによって私たちは生かされています。これは全ての科学的大発見をもってしても解明不能です。」

本当の富と共にあると言えるのに、私たちは、ある意味ひねくれて、目覚めている時間のほとんど全てを、現実を狭く歪めて解釈する為に費やしたがります。非常に人間中心的なお金の概念で。」[4]

1979年に編集者ブルース・ウッズと他の2人の従業員が、シャットルワースからマザーアースニュースを買収。エコヴィレッジ:600エーカー(2.4km2)の研究センターでは、広大な体験菜園、家とエネルギー・プロジェクトが活況でした。養蜂からコードウッド(薪壁)建築まで、毎年夏に2万人がマザーアースニュースのセミナーを受講。 ラジオ番組では、全国的に何百もの放送局で、雑誌の思想哲学が紹介されました。そして、マザーアースニュースのロゴをつけて、ガソリンを使わない自動車が国中を走りました。

雑誌は帰農運動の人気減退により、1980年代初期に幾分衰退。

結局、1986年にニュー・アメリカ社に売却され、同社は、以前より非常にスマートなイメージで再設計し、「カントリーマガジンの元祖」として位置づけを変化。この時、マザーアースニュースの多くの従業員は「BackHome Magazine」[5]を始める為、去っていきました。同社は出版を止め、1991年にサセックス出版に売却し、雑誌は存続しました。その後1990年代後期から21世紀の最初の5年までを通して成長。ニューヨーク市のサセックス出版は、現在の所有者オグデン出版[6]の手に渡る2001年まで雑誌を所有。

2010年雑誌は40周年を迎えました。2月/3月号は過去40年の掲載記事を特集。[7]

参考リンク 編集

参照 編集

その他参考 編集

外部リンク 編集