マティアス・ザマー

ドイツのサッカー選手

マティアス・ザマーMatthias Sammer, 1967年9月5日 - )は、ドイツ(旧東ドイツ)・ドレスデン出身の元サッカー選手。2012年7月から2016年7月までFCバイエルン・ミュンヘンの取締役を務めた。選手時代のポジションはミッドフィールダーディフェンダー

マティアス・ザマー
名前
愛称 Fire-Head
ラテン文字 Matthias SAMMER
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1967-09-05) 1967年9月5日(56歳)
出身地 ドレスデン
身長 181cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF (LIB) /MF (DH)
利き足 右足
ユース
1976-1985 東ドイツの旗 ディナモ・ドレスデン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1990 東ドイツの旗 ディナモ・ドレスデン 102 (39)
1990-1992 ドイツの旗 シュトゥットガルト 63 (20)
1992-1993 イタリアの旗 インテル・ミラノ 11 (4)
1993-1999 ドイツの旗 ドルトムント 115 (21)
代表歴
1986-1990 東ドイツの旗 東ドイツ 23 (6)
1990-1997 ドイツの旗 ドイツ 51 (8)
監督歴
2000-2004 ドイツの旗 ドルトムント
2004-2005 ドイツの旗 シュトゥットガルト
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

選手時代 編集

1985年に地元のクラブであるディナモ・ドレスデンでキャリアをスタート。当時東ドイツの支配下にあったため、強制的にシュタージフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊に所属していた。[1]

1990年VfBシュトゥットガルトへ移籍すると。1992年には攻守にわたる活躍が認められて、セリエAインテルへ移籍、ユヴェントスFC相手にゴールを決めるなど、低調なチーム内にあってシャリモフと共に奮戦し[2]、11試合4ゴールと結果を残すが、イタリアのメンタリティーに合わず、シーズン途中にボルシア・ドルトムントへ移籍[3]、移籍後は2000年の引退までチームの守備の要としてプレーし、1994-95シーズンにはチーム創設後初のリーグ優勝を果たし、1995-96シーズンにもリーグ優勝を果たした。また代表では欧州選手権優勝に貢献した活躍から、欧州最優秀選手賞(バロンドール)を獲得した[4](前年度は第9位[5])。1996-97シーズンにはボルシア・ドルトムントUEFAチャンピオンズリーグ初優勝に貢献した。

ドイツ代表としては東ドイツ出身者として初選出を果たし、UEFA欧州選手権1996ではDFながら、グループステージのロシア戦、準々決勝のクロアチア戦でゴールを決めるなど、攻守にドイツの優勝に貢献、大会最優秀選手に選ばれた[6]

膝の故障に苦しみ、引退直前の2シーズンはほとんど試合に出ることができなかった。

引退後 編集

引退後は指導者としての道を歩み、ボルシア・ドルトムントVfBシュトゥットガルトの監督を務め、2006年のドイツサッカー協会のスポーツディレクター就任を経て、2012年バイエルン・ミュンヘンの取締役に就任。2016年7月に同クラブを退団した。ボルシア・ドルトムントの監督としてはブンデスリーガ優勝も果たした。

2017年以降はテレビ局のゲストコメンテーターとして活動している。

2018年4月、ボルシア・ドルトムントの顧問に就任した。

フォアリベロ 編集

一般にリベロは攻撃の組み立てに参加しつつ試合をコントロールするセンターバックではあるが、ザマーはそれに加えDFラインから前線に顔を出すシャドーストライカーの仕事もこなした。ドルトムントではジュリオ・セザールミヒャエル・ツォルク 、代表ではトーマス・ヘルマーディーター・アイルツ、と能力の高いCBとカバーリングに優れた守備的MFに恵まれ、ザマーは高い身体能力を活かした素早いオーバーラップで、たびたび前線に飛び出し流れの中から得点を挙げた。3バックの中央であるがほとんどDFラインの前でプレーしていたことから、日本では「フォアリベロ」というサッカー用語が一時定着した。

攻撃的な選手が選ばれる傾向があるバロンドールUEFA欧州選手権1996の最優秀選手賞にザマーが選出されたのは、このプレースタイルに依るところが大きい。

所属クラブ 編集

指導歴 編集

獲得タイトル 編集

代表 編集

クラブ 編集

個人タイトル 編集

監督として 編集

脚注 編集

外部リンク 編集