マトラ・M530 Matra M530 )はフランスの自動車メーカー・マトラが1967年から1972年まで製造、1973まで販売したスポーツカーである。

マトラ・M530
LX
LXリアビュー
概要
販売期間 1967年-1973年
ボディ
乗車定員 4人
ボディタイプ 2ドア・タルガトップ
駆動方式 ミッドシップ
パワートレイン
エンジン V4ガソリンOHV 1,699cc 73-75PS
変速機 4速MT
前:独立 ダブルウィッシュボーン 後:独立 トレーリングアーム・コイル
前:独立 ダブルウィッシュボーン 後:独立 トレーリングアーム・コイル
車両寸法
ホイールベース 2,650mm
全長 4,197mm
全幅 1,620mm
全高 1,200mm
車両重量 860kg-935kg
系譜
先代 マトラ・ジェット
後継 マトラ・シムカ・バゲーラ
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概要 編集

マトラの自動車部門は1965年に自社が傘下に収めていたFRP製造会社、ジェネラル・ダプリカシオン・プラスティクGenerale d'Application Plastiques )が、オトモビル・ルネ・ボネにボディを供給していた関係で買収し自動車製造を始めて以来、オトモビル・ルネ・ボネが開発した世界初(デトマソ・ヴァレルンガとほぼ同時期)の市販ミッドシップGTカー、ジェットのボディや内装など形状を一部改良したマトラジェット(djet)を生産していた。ルノーのゴルディーニ・エンジン搭載モデルもあり、魅力的かつピュアなスポーツカーではあったものの、高コストであり、市場は極めて限られていた。新たな車を開発をするに当たり、マトラの総帥であるジャン・リュック・ラガルデールは、新たな市場の開拓、マーケティングの観点から、戦後生まれの若い家族という新たなターゲット層に受け入れられるための車とすることを決めた。小さな子供が乗せられるよう2+2とし、レース活動と市販車の販売をリンクさせるため、1966年当時初の完全マトラ製のルマンプロトタイプであったマトラMS620のイメージを踏襲し、デザインも似ていること、エンジンはミドシップレイアウト、オーダーをシムカ出身のエンジニア、フィリップ・グェドンに命じ、社内開発チームにより開発されたのが初の100%マトラ市販車であるM530で、1967年のジュネーヴ・モーターショーでデビューした。

M530の特色は、長いホイールベースやサスペンションストローク、2+2座席を持ち若い家族がファミリーカーとしても使える高い実用性、FRP製ボディとフレームへの軽減孔開けやリベット留めの多用やFRP製のシートバックなど航空機技術を生かした軽量設計であり、ジェットやアルピーヌ・A110のような純粋のスポーツカーとは目指す方向性が異なっていた。マトラ自身もM530を、'voiture des copains' (car for friends)と称した。スポーツカーではないため、エンジン・ギアボックスも、1969年までF1活動でエンジン供給を受けていたフォードから、前後長が短く扱いやすく、かつそのまま流用できることから、フォード・タウヌス15M(前輪駆動)の60°V4ユニットが選ばれた。最高出力は73-75馬力に過ぎなかったが、戦後生まれの新しい家族のための車として市場にも受け入れられ、最盛期の1970年には2000台を超え、同じくフランスのアルピーヌ・A110を凌ぐ販売台数を記録した。

一方でM530は、当時としてはユニークなタルガトップと取り外し式アクリル製リアウインドウを採用し、オープンエア・モータリングを容易かつ安全性と両立させて楽しむことができる点でも時流に先んじていた。この方式がポルシェ・914フィアット・X1/9の普及で一般に広まるのは1970年代に入ってからである。

1967年デビュー当初は1,700cc73馬力であったが、1969年にはタウヌス15Mの改良に合わせて75馬力に強化され、1970年にはマイナーチェンジを受け名前も530LXに変更した。1967年からの販売で1968年には後窓のアクリルが跳ね上げ式に、1970にはガラスへの変更、バンパー形状等は1970年まで毎年改良され、特に1970年登場のM530LXではリア周りを中心にジョヴァンニ・ミケロッティによってステンレスの飾りとテール部のブラックアウトなど時代を反映した改良がなされた。

 
M530SX

1971年には廉価版としてM530SXが追加された。固定式ルーフ、クロームメッキなしの黒塗りバンパー、テール部のボディ同色化、シトロエン・2CVのような固定式ヘッドライトとフォグランプ、LXよりも張り出したフェンダーなどを持つ意欲作だったが、個性的な外観も災いしてか約1000台ほどの製造にとどまり、販路拡大には繋がらなかった。


M530は1973年に販売終了となった。理由はマトラがモータースポーツ部門の膨大な赤字を市販車販売(M530の拡販)で補うことを計画していたが芳しくなく苦しんだ末、1970年にクライスラー・フランスに乗用車販売権を譲渡し、フォードV4エンジンの使用が許されなくなり、かつクライスラー系列各社(仏シムカ・英ルーツ・グループ・日本の三菱自動車)にはM530に搭載可能なユニットがなかったためであった。後継者はシムカ製エンジンの使用を前提として開発されたバゲーラである。

M530の生産台数は初期型の530Aが2,062台、LXが4,731台、SXが1,146台の計9,609台であった。日本にも1970年頃、自動車部品輸入会社の極東貿易(のちのFET極東)が輸入代理店となって正規輸入される計画が立てられ、1970年3月晴海で開催され第3回東京レーシングカーショーに展示されたが、日本の保安基準をパスできず展示されたサンプルカー、一台のみの輸入に終わり、計画は中止となった。

その後そのサンプルカーは国内中古車市場に出回り、2000年台前半までは現存が確認されたが、その後行方不明である。

日本国内には1980年代から現在までM530LXとSXが並行輸入業者や好事家によりごく少数輸入されており、稀ではあるが現在はイベント等で見ることもできる。

モータースポーツへの参戦は数少ないながら、クライスラー傘下になる前の1969年1月にモンテカルロ・ラリーの前哨戦である地中海ラリーに3台のM530 rallye napoleonをequipe Matra(マトラ・ワークスチーム)として送り込み、ドライバーもジャンピエールベルトワーズアンリペスカロジャン=ピエール・ジャブイーユというワークスドライバーであったが、3台ともリタイア(DNF)、同年2月のCritérium Neige et Glace にはペスカロロの1台のみの参戦で54位という記録が残っている。

参考文献 編集

二玄社 Car Graphic Library 世界の自動車 11巻「シムカ マートラ アルピーヌ その他」大川悠 編著 ETAI社 LA MATRA 530 三樹書房  M -BASE