マリア・マンデル(Maria Mandl、1912年1月10日 - 1948年1月24日)は、ナチス・ドイツ親衛隊における女子軍属ドイツ語版(SS-Gefolge)。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の囚人管理長(en:SS-Oberaufseherin)を務めた。

マリア・マンデル

オーストリア・ハンガリー帝国(現在のオーストリア・オーバーエスターライヒ州)のミュンツキルヘン英語版に生まれ、1938年に親衛隊に入隊。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスの指示の下に管理した。一説には、彼女の命令によって50万人を超える女囚(ユダヤ人ロマ政治犯など)が殺されたとされる。

ドイツの敗北後逃亡するも1945年8月に米軍によって拘束され、翌1946年11月にポーランドに引き渡された。1947年11月に死刑判決を受け、翌1948年1月に絞首刑を執行された。