マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ

マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハドイツ語: Marie von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1808年2月3日 - 1877年1月18日)は、プロイセン王子カールの妃。

マリー
Marie
エルンスト系ヴェッティン家

出生 (1808-02-03) 1808年2月3日
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公国ヴァイマル
死去 (1877-01-18) 1877年1月18日(68歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国ベルリン
埋葬 ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国ベルリン、ヴァンゼー、聖ペテロ・パウロ教会
配偶者 カール・フォン・プロイセン
子女 フリードリヒ・カール
ルイーゼ
マリア・アンナ
父親 カール・フリードリヒ・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ
母親 マリア・パヴロヴナ・フォン・ルスラント
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生涯 編集

ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒとその妃でロシア皇帝パーヴェル1世の皇女であるマリア・パヴロヴナの長女として、ヴァイマルで生まれた。全名はマリー・ルイーゼ・アレクサンドリーナ(Marie Luise Alexandrina)。妹はのちのドイツ皇后アウグスタ

1827年5月26日、シャルロッテンブルク宮殿でカールと結婚した。夫の兄ヴィルヘルム王子(のちのヴィルヘルム1世)は妹アウグスタと結婚することになり、姉妹でホーエンツォレルン家に嫁いだ。夫との間に3子をもうけた。

1877年、マリーはベルリンで死去し、聖ペテロ・パウロ教会に葬られた。

子女 編集

系譜 編集

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