マルギット橋ハンガリー語: Margit híd)は、ハンガリーブダペストにある、ドナウ川にかかる橋。ブダ地区とペシュト地区を結んでいる。この橋はブダペストで2番目に北にあり、また2番目に古い橋である。

マルギット橋
橋の航空写真
地図
マルギット橋の位置(赤色部)
基本情報
 ハンガリー
所在地 ブダペスト
交差物件 ドナウ川
用途 道路橋(2車線)
設計者 エルネスト・ゴウアン
着工 1872年
竣工 1876年
座標 北緯47度30分53秒 東経19度02分37秒 / 北緯47.51472度 東経19.04361度 / 47.51472; 19.04361座標: 北緯47度30分53秒 東経19度02分37秒 / 北緯47.51472度 東経19.04361度 / 47.51472; 19.04361
構造諸元
全長 637.5 m
25 m
地図
マルギット橋の位置(ブダペスト内)
マルギット橋
マルギット橋の位置(ハンガリー内)
マルギット橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

概要 編集

この橋の両端はヤーサイ・マリ広場ナジケルートの北端)とゲルマヌス・ギュラ公園センテンドレ行きのブダペスト郊外電車の停留所)となっている。また、この橋はマルギット島を経ており、マルギット島の両側で橋が165度の角度で曲がっている。全体の長さは637.5m、幅は25mである。

歴史 編集

建設 編集

この橋はフランスの技師エルネスト・ゴウアンによってデザインされ、バティニョール製造会社によってエミーレ・ヌギエの監督の下、1872年から1876年にかけて建設された。現在、マルギット橋はブダペストでは1つ下流側にあるセーチェーニ鎖橋に次いで古い橋である[1]。この橋はマルギット島の両側で165°の角度をなして曲がっているが、この形になった理由は、途中でマルギット島へ下りる部分の建設が当初から予定されていたものの、資金不足により20年後まで建設されなかったことによる。

第二次世界大戦 編集

ブダペストの全ての橋は第二次世界大戦時、ドイツ国防軍の工兵隊が1945年1月ブダ側への退却時に破壊した。ただしマルギット橋は1944年11月4日にすでに偶然の爆発によって橋の東半分が倒壊しており、その際には600人の市民と40人のドイツ兵が死んでいた。再建に際しては、その壊れる前の橋の鋼材が川底から引き揚げられ、材料として用いられた。

2009年–2010年 編集

 
再建後のマルギット橋

マルギット橋はブダペストで最も使い古された橋で、2009年8月21日から精密検査がなされた。2009年内には道路交通を遮断し、トラムのみが橋の上を運行した。

その工事は現在は終了しており、現在では歩行者、道路交通、トラムの全てが橋を再び通行することが出来る。

文化 編集

橋が落成されてすぐに、この橋は人々の個人的及び経済的な問題を引き受ける場所となり、つまり自殺者が多く出た。アラニ・ヤーノシュはこれに感化され、彼らに対するバラッドを作った。それはリーフレットで広く知られるようになり、ジチ・ミハーイの挿絵と共に紹介された。

ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ 『ウィーン プラハ・ブダペスト 2016 まっぷるマガジン 海外』昭文社、2016年、99頁。ISBN 978-4-398-28119-7 

関連項目 編集

外部リンク 編集