マルチカー(Multicar, ドイツ語での発音は「ムルティカー」)は、ドイツヴァルタースハウゼンドイツ語版のハコ=ヴェルケGmBHマルチカー工場(Hako-werke GmBH Multicar Factory)にて製造されている、多機能の小型トラックである。

また、旧東ドイツIFA(車両製造工業協会)のブランドのうち、唯一生き残っているものである。農作業や資材運搬の他、清掃車除雪車などとしても利用されている[1]

概要 編集

1920年、現在の会社の前身となるADE社が設立された。この会社の名称は、創立者の名、Arthur Ade(アルトゥール・アーデ)にちなんでいる。ADE社は、農業機械、トレーラークラッチなどを生産した。第二次世界大戦後、「ヴァルタースハウゼン製作所」という名称で、1946年に操業を再開した。

1948年には、VEBヴァルタースハウゼン車両工場(VEB Fahrzeugwerk Waltershausen)と改称した。この名称は1991年の民営化(ハコ社への改称)まで使用された。

1956年には、「ディーゼルの働きアリ」という通称で知られる「DK3」型トラックの生産を開始した。DK3型は、ルートヴィヒスフェルデ工場で開発された、ディーゼル・エレクトリック方式の車両であった。

2年後の1958年には、「マルチカー」としての最初のモデルである「M21」型の生産が始まった。1964年までに、14,000台のM21型がヴァルタースハウゼンの工場から納車された。次の10年間には、「M22」型の生産ラインが稼働し、42,500台が生産された。また、1978年までは、M22型の後継である「M24」型が合計して25,600台生産され、そのうちの48%が輸出に回された。

IFAが開発した33kw(45PS)のエンジンを搭載[2]した「M25」型は東ドイツの主要輸出品目となり、生産されたうちの70%がコメコン加入諸国と西側諸国に輸出された。

「マルチカー」シリーズは、1991年までに約10万台が生産された[1]。また、1991年以降はフォルクスワーゲン製のエンジンを搭載した「モデル91」型として生産が継続された。

1991年、旧東ドイツの国営企業が民営化され、”Hans Koch & Son”の略称をとった「ハコ-ヴェルケ社」となった。会社再建の原動力となったのは、「マルチカー」ブランドにおける資材管理の元ディレクターであった、マンフレッド・ヴィンドゥス(Manfred Windus)であり、彼は1993年に社長に就任した。1993年から2009年までは、「M26」型が生産された。1998年、ハコ社はドイツの株式ファンドであるDeutsche Beteiligungsgesellschaftが保有する株式を購入し、筆頭株主となった。また、「TREMO」および「UX100」の生産拠点がヴァルタースハウゼンに移された。2001年には、新シリーズ「FUMO」(Function and Mobilityの略)の生産が開始された。2004年からは、クラウス=マッファイ=ヴェークマン社と協力しドイツ連邦軍用の装甲車ESK ムンゴ」の生産を開始した。2005年、ハコ社社長のWalter Botschatzkiは、ドイツ連邦大統領ホルスト・ケーラーによりプール・ル・メリット勲章を授与された。

現行の「M27」型、「FUMO」および特に小型の「TREMO」は、ユーロ5排出基準を満たすエンジンを搭載している。現在は、一日当たり7台が生産されている。

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脚注 編集

  1. ^ a b 伸井太一 2009, p. 56.
  2. ^ Kennett, Pat, ed (September 1982). “What's New: Mini in from the cold”. TRUCK (London, UK: FF Publishing Ltd): 11. 

参考文献 編集

  • Udo Bols: Multicar. Der Alleskönner. Podszun, Brilon 2003, ISBN 3-86133-325-2
  • 伸井太一『ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品』社会評論社〈共産趣味インターナショナル VOL2〉、2009年。ISBN 978-4784511129 

外部リンク 編集