マンディーサ・ハンドレイ(Mandisa Hundley、1976年10月2日[1] - 2024年4月18日)は、アメリカ福音書と現代のキリスト教レコーディングアーティスト。マンディーサはアメリカ合衆国ゴスペル歌手であり、『アメリカン・アイドルシーズン5最終選考で第9位であった。

マンディーサ
基本情報
出生名 Mandisa Lynn Hundley
生誕 (1976-10-02) 1976年10月2日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州シトラスハイツ
死没 (2024-04-18) 2024年4月18日(47歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル
ジャンル R&Bコンテンポラリー・クリスチャンゴスペル
活動期間 2006年 - 2024年
公式サイト http://www.mandisaofficial.com

人物 編集

若年期 編集

マンディーサ・リン・ハンドレイは、カリフォルニア州シトラス・ハイツで生まれ育った。エル・カミーノ高等学校卒業後、サクラメントアメリカン・リバー・カレッジジャズ歌唱を学ぶ。その後、テネシー州フィスク大学声楽演奏を専攻し音楽学士を取得した。[2]

『アメリカン・アイドル』 編集

シカゴでアイドルオーディション番組『アメリカン・アイドル』のオーディションを受けた。その時シンプルに苗字無しでマンディーサとして出場した。ホイットニー・ヒューストンからデフ・レパードまで幅広く影響を受けている、としている。

審査員のサイモン・コーウェルは彼女のオーディション合格後、体型について何度かコメントをしている。最初の皮肉は「今年は大きなステージが必要だ」であった。別の審査員のポーラ・アブドゥルは『フレンチ』が唸ったような声だと評した。コーウェルは『フランス』の方が合っていると言った。[3]これらのコメントにより全米肥満受容協会は憤慨し、のちに2007年の彼女のアルバム『True Beauty 』の元となった。

24人のセミ・ファイナル出場者に落選者が伝えられる前、彼女はコーウェルに「私があなたに言いたいことは、そう、あなたは私を傷つけ、私は本当に傷ついて泣いた。でも私はそれを水に流すし、あなたは謝ることはない。私の全ての罪が許されるためにイエス・キリストが死んだのなら、私もあなたを許す。」と言った。コーウェルは「恐縮」し、すぐに謝った。[4]

2006年3月7日、歌唱前のビデオの中で、24歳まで指しゃぶりをしていたことを明かした。そしてチャカ・カーンの『アイム・エブリ・ウーマン』を歌い、審査員3人全員から賞賛された。2006年3月9日、シーズン5の最終選考出場者12人の中に選ばれた。

2006年4月5日、パリス・ベネットエリオット・ヤミンと共に初めて最下位3名の中に入り、『アメリカン・アイドル』最終9名から敗退。最初にテイラー・ヒックスケリー・ピックラークリス・ドートリーと共に呼ばれ、自分以外の3名がセーフで、エリオットとパリスが舞台の片方におり、エース・ヤングキャサリン・マクフィーバッキー・コヴィントンが反対側におり、シーズン3で3名の歌姫たちが最下位3名に並んだことを思い出し、エース、キャサリン、バッキーが以前に最下位3名に入っていたこともあり、彼女はエリオットとパリスにこの最下位3名のグループが最も魅力的であると言った。翌日『ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ』で自分が一番敗退者にふさわしかったと語った。

歌唱曲 編集

放送回 テーマ 曲名 オリジナル歌手 出場順 結果
オーディション 自由選曲 Fallin' アリシア・キーズ N/A 合格
ハリウッド グループ歌唱 Band Of Gold フリーダ・ペイン N/A 合格
上位24名 (女性12名) 自由選曲 Never ハート 1 合格
上位20名 (女性10名) 自由選曲 Cry フェイス・ヒル 10 合格
上位16名 (女性8名) 自由選曲 I'm Every Woman チャカ・カーン 7 合格
上位12名 スティーヴィー・ワンダーの曲 Don't You Worry 'bout a Thing スティーヴィー・ワンダー 4 合格
上位11名 1950年代のヒット曲 I Don't Hurt Anymore ダイナ・ワシントン 1 合格
上位10名 21世紀のヒット曲 Shackles メアリー・メアリー 5 合格
上位9名 カントリー音楽 Any Man of Mine シャナイア・トゥエイン 2 不合格

経歴 編集

2007年7月27日、『アメリカン・アイドル』敗退後、テレビのトーク番組『ライヴ・ウィズ・レギス・アンド・ケリー』で『I Don't Hurt Anymore 』を歌った。また、グラディス・ナイトや他のアーティストと共にアポロ・シアターで開催されたチャリティ・イベント『Back to Harlem 』に出演した。

トビーマックのアルバム『Portable Sounds 』にトビーマックとカーク・フランクリンとコラボした。[5]

True Beauty 編集

2007年7月31日、1枚目のアルバム『True Beauty 』が発売された。このデビュー・アルバムはクリスチャン・アルバム・チャートで第一位となり、27年のクリスチャン・アルバム・チャートの歴史の中で、デビュー・アルバムが第一位になった女性アーティストの最初の人物となった[6]。またBillboard 200で43位となり、クリスチャン・アーティストのデビューとしては珍しい高順位であった。そしてグラミー賞最優秀ポップ/コンテンポラリー・ゴスペル・アルバム賞にノミネートされた[7]。ショーン・シャンケル、ブラウン・バニスター、クリストファー・スティーヴンス、ドリュー・ラムジー&シャノン・サンダース、ロバート・マーヴィン&ジョサイア・ベル、と5組のプロデューサーが参加している。作曲段階から彼女はプライベートの時間を割いて参加し、意見や曲に対する希望などを共有したりしていた。

2007年5月22日、最初のシングル『Only the World 』が発売された。ビルボードのシングル・チャートで第一週では第二位だったが次の週には第一位になった。また、クリスチャン・ラジオでよくかけられるようになった。この曲はマシュー・ウェスト、サム・ミゼル、クリント・ラガーバーグによって作曲された。(ウェストはこのアルバムで他に2曲共作している。)

メアリー・メアリーのカバー『Shackles 』ではホーン・セクションを特徴としており、トランペットでトミー・ヴォーン、トロンボーンでロドニー・ミルズ、サックスでシェーン・フィレン、ライヴホーンズが演奏している。『ベジ・テイルズ』の映画『The Pirates Who Don't Do Anything 』のサウンドトラックで彼女が歌う『The Right Thing 』にも彼らの演奏が使われている。

2007年10月、2枚目のシングル『God Speaking 』がクリスチャン・ラジオで流された。2008年半ば頃、ウェスト作曲の3枚目のシングル『Voice of a Savior 』がインスピレーション・ラジオで流され、インスピレーション・チャートで最高5位となった。

クリスマス 編集

2007年11月、たびたびコラボしているマシュー・ウェストとのデュエット曲『Christmas Makes Me Cry 』を収録したコンパクト盤Christmas Joy 』が発売された。この年の初頭に録音されたマイケル・W・スミスとのデュエット曲『Christmas Day 』も収録されている。『Christmas Joy 』はビルボードのクリスチャン・チャートで最高2位となり、『Christmas Day 』は1位となった。クリスチャン・シングル・チャートで上位2位を同時に独占した最初の女性ソロ・アーティストとなった。

2008年10月14日、通常盤アルバム『It's Christmas 』を発売。

Freedom 編集

2009年3月24日、『Freedom 』を発売[8]

2009年4月14日、Napsterのボーナス・トラックとして『We Are Family 』が発売されることが発表された。この曲を含めた『Freedom + Bonus Track 』がアマゾンで短期間販売されていた。

What If We Were Real 編集

2011年4月11日、『What If We Were Real 』が発売された。2011年3月、コメディアンのアニタ・レンフロウと共に、プロモーションのため全米ツアーを始めた。このアルバムからの最初のシングルは『Stronger 』で2011年7月18日に第1位となった。7月13日、アルバム売り上げが51,000枚以上となった。

死去 編集

2024年4月18日、ナッシュビルの自宅で遺体が発見された。47歳没[9]

人物 編集

テネシー州ナッシュビル郊外のアンティオーク在住。2006年『アメリカン・アイドル』出演後、健康増進と体重減少の努力をした。2枚目のアルバム『Freedom 』は食べ物への依存を克服した経験にインスパイアされている。2009年3月、75パウンド(約34kg)の減量に成功したこと、これと合計して100パウンド(約45kg)減量を目標にしていることを発表した。2011年2月、ついに100パウンドの減量に成功した。[10]

受賞歴 編集

グラミー賞 編集

タイトル 結果
2008年 最優秀ポップ/コンテンポラリー・ゴスペル・アルバム賞 True Beauty ノミネート
2010年 最優秀ポップ/コンテンポラリー・ゴスペル・アルバム賞 Freedom ノミネート
2012年 最優秀コンテンポラリー・クリスチャン音楽アルバム賞 What If We Were Real ノミネート
2014年 最優秀コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック・ソング賞 "Overcomer" 受賞

GMAダヴ賞 編集

Year Award Nominated work Result
2008年 最優秀新人賞 ノミネート
最優秀女性歌手賞 Herself ノミネート
2009年 最優秀女性歌手賞 ノミネート
2010年 最優秀女性歌手賞 ノミネート
最優秀ポップ/コンテンポラリー・ソング賞 My Deliverer ノミネート
Short Form Video of the Year Lose My Soul
トビーマックfeat. カーク・フランクリン and マンディーサ
ノミネート

ディスコグラフィ 編集

著書ー 編集

  • IdolEyes – (2007年5月9日発売)

脚注 編集

  1. ^ "Gray-haired Hicks brings soul to Idol" by Wade Kwon for the Scripps Howard News Service, 17 March 2006. Retrieved May 25, 2006.
  2. ^ Mandisa – Profile”. About.com. 2009年5月25日閲覧。
  3. ^ gabyvalla (2007年4月19日). “American Idol 5 - Mandisa´s Audition”. YouTube. 2011年12月1日閲覧。
  4. ^ reneejlee. “Mandisa - Never”. YouTube. 2011年12月1日閲覧。
  5. ^ Star Song
  6. ^ Breaking Music News - Music Business Information - Music Industry Sales”. Billboard.com (2011年8月28日). 2012年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月1日閲覧。
  7. ^ 50th Annual Grammy Awards nominations. Grammy.com Archived 2008年8月21日, at the Wayback Machine.
  8. ^ Mandisa - Freedom”. Billboard. 2009年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月22日閲覧。
  9. ^ 'Overcomer' singer Mandisa dead at 47”. CHVN Radio (2024年4月19日). 2024年4月19日閲覧。
  10. ^ Steve Almasy (2009年3月11日). “Whatever happened to 'American Idol's' Mandisa?”. CNN. https://edition.cnn.com/2009/SHOWBIZ/Music/03/11/mandisa/index.html 2009年5月25日閲覧。 

外部リンク 編集