マーク・カンタベリー"Mean" Mark Canterbury1964年3月16日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーウェストバージニア州出身。生年は1967年とされる場合もある[1]

マーク・カンタベリー
マーク・カンタベリーの画像
Henry O. Godwinn in 1995
プロフィール
リングネーム ヘンリー・O・ゴッドウィン
シャンハイ・ピアース
マーク・カンタベリー
ミーン・マーク・カンタベリー
本名 マーク・カンタベリー
ニックネーム ファット・ファーマー
豚小屋の番人
身長 193cm
体重 135kg(全盛時)
誕生日 (1964-03-16) 1964年3月16日(60歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ウェストバージニア州の旗 ウェストバージニア州
トレーナー ジョージ・サウス
イタリアン・スタリオン
デビュー 1989年
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WWFにおけるヘンリー・O・ゴッドウィンHenry O. Godwinn)のリングネームで知られ、ファームボーイギミックの巨漢レスラーとして活躍した[1]

来歴 編集

WCWジョバーだったジョージ・サウスとイタリアン・スタリオンのコーチを受け、1989年にデビュー。ケンタッキー州のOCWなどのインディー団体を転戦後、1992年にWCWにてブッカーダスティ・ローデスのアイデアでシャンハイ・ピアースShanghai Pierce)なる覆面レスラーに変身。テックス・スラシンジャーことデニス・ナイトを相棒に、リッキー・スティムボート&シェーン・ダグラスカクタス・ジャック&ケビン・サリバンWCW世界タッグ王座にも挑戦した[2]

1994年の中盤、養豚場農夫ギミックに、アーカンソー出身のヘンリー・O・ゴッドウィンHenry O. Godwinn)を名乗ってWWFに登場。当初はテッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションの一員だったが、1995年よりベビーフェイスに転向[3]。ドロドロの飼料が入ったバケツを手に入場し、その中身を対戦相手のヒールにぶちまけるなど、コミカルなキャラクターで会場人気を獲得する。貴族ギミックのハンター・ハースト・ヘルムスリーとは「上流階級労働者階級」の抗争を展開し、12月17日のPPVイン・ユア・ハウス5』では、会場内に豚小屋を設置した "Arkansas Hog Pen match" で対戦[4]、試合には敗れたものの、ヘルムスリーを豚の汚物まみれにした[3]

1996年からは旧友デニス・ナイトもフィニアス・I・ゴッドウィンのリングネームでWWFに合流。従兄弟同士という設定のもと、それぞれの名前のイニシャルが豚を意味する "HOG" と "PIG" となるザ・ゴッドウィンズThe Godwinns)を結成、このギミックの先達であるヒルビリー・ジムマネージャーに迎えてタッグ戦線に進出する[5]。同年5月19日にはニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、スキップジップのザ・ボディードナーズからWWF世界タッグ王座を奪取したが、5月26日の『イン・ユア・ハウス8』でスモーキン・ガンズ(ビリー・ガン&バート・ガン)に敗れ、1週間の短命王者となっている[6]

1997年からはアンクル・クレタスを新しいマネージャーにつけてヒールタッグチームに転向。それまでの陽気さを封印し、南部の田舎に住む野卑で排他的なレッドネックへのキャラクターチェンジを図る。10月5日にザ・ヘッドバンガーズを破りWWF世界タッグ王座に返り咲くも、翌々日の10月7日にリージョン・オブ・ドゥームに敗れ、2度目の戴冠も短命に終わった[6]

1998年は単独で "WWF Brawl for All" に出場したが、6月29日の『Raw is War』で行われた1回戦でブラッドショーに敗れている。8月からはそれぞれリングネームを本名に戻し、コスチュームもオーバーオールから黒スーツに変更して、サザン・ジャスティスSouthern Justice)なるバウンサーギミックのチームに変身[7]。マネージャーのテネシー・リージェフ・ジャレットボディーガードを務め、9月27日のPPV『ブレイクダウン』ではジャレットを交えたトリオでD-ジェネレーションXXパック&ニュー・エイジ・アウトローズと対戦した[8]。その後、前年末のリージョン・オブ・ドゥームとの試合で負傷した頸椎が悪化[9]、現役を退いて治療に専念することになった。

2006年2月、当時のWWEの下部団体だったOVWにて久々にリングに復帰。同年9月にWWEとディベロップメント契約を結び、『Raw』や『スマックダウン』のダーク・マッチにも出場した[9]2007年DSWにてレイ・ゴディとタッグを組み、3月16日の『スマックダウン』では彼を「カズン・レイ」と名乗らせてゴッドウィンズを再編、ダーク・マッチでデュース・アンド・ドミノから勝利を収めた[10]。その後は地元のウェストバージニアにてインディー団体のブッキング業務に携わっていた。2012年12月1日にはウィスコンシンのインディー団体GLCW(Great Lakes Championship Wrestling)にて盟友デニス・ナイトと共にWCW時代のギミックを復活させ、シャンハイ・ピアース&テックス・スラシンジャーとしてアックス&スマッシュデモリッションと対戦した[2]

得意技 編集

獲得タイトル 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P228(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b Henry O. Godwinn”. Online World of Wrestling. 2018年3月11日閲覧。
  3. ^ a b WWE Yearly Results 1995”. The History of WWE. 2010年11月29日閲覧。
  4. ^ WWF In Your House V”. pWw-Everything Wrestling. 2010年11月29日閲覧。
  5. ^ The Godwinns”. Online World of Wrestling. 2010年11月29日閲覧。
  6. ^ a b c History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年11月29日閲覧。
  7. ^ Southern Justice”. Online World of Wrestling. 2010年11月29日閲覧。
  8. ^ WWF In Your House: Break Down”. pWw-Everything Wrestling.com. 2010年11月29日閲覧。
  9. ^ a b O Henry! Henry O. Godwinn set to return: September 22, 2006”. WWE.com. 2010年11月29日閲覧。
  10. ^ SmackDown! Results: March 16, 2007”. Online World of Wrestling. 2010年11月29日閲覧。

外部リンク 編集