マーク・モーズリー(Mark DeWayne Moseley, 1948年3月12日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州レーンビル出身のアメリカンフットボールの元選手。フットボール現役時のポジションはプレースキッカー1970年シーズンから1986年シーズンにかけて、NFL・ワシントン・レッドスキンズ等の4チームで16シーズンプレーした。

マーク・モーズリー
Mark Moseley
基本情報
ポジション プレースキッカー
生年月日 (1948-03-12) 1948年3月12日(76歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州レーンビル
経歴
大学 ステファン・F・オースティン州立大学
NFLドラフト 1970年 / 14巡目全体346位
所属歴
1970 フィラデルフィア・イーグルス
1971-1972 ヒューストン・オイラーズ
1974-1986 ワシントン・レッドスキンズ
1986 クリーブランド・ブラウンズ
受賞歴・記録
スーパーボウル制覇(1回)
第17回(1982)
シーズンMVP(1回)
1982
オールプロ選出(1回)
1982
プロボウル選出(2回)
1979・1982
その他受賞・記録
WAS リング・オブ・フェイム
NFL 通算成績
フィールドゴール 300/457 (65.6%)
得点 1,382
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

ストライキでシーズンが短縮された1982年シーズンにスーパーボウル制覇を経験し、シーズンMVPにも輝いた。スペシャルチームからMVPに選出された唯一の選手である。また、1984年シーズン開幕前に引退したリック・ダンマイヤー英語版と共に、ストレートキックタイプを採用し、レギュラーとして活躍した最後のプレースキッカーの1人として知られている。

プロ入り前 編集

テキサス州リヴィングストンで育ったモーズリーは[1]、リヴィングストン高校でフットボールをプレーした[2]。高校卒業後、1965年から1966年までテキサスA&M大学に在籍し[3]、1967年から1968年までステファン・F・オースティン州立大学に在籍した[4]。 モーズリーは両校でクォーターバックとしてプレーしたが、ステファン・F・オースティン州立大学での4年時にプレースキッカーへと転向した[3][5]。プレースキッカーに転向したこのシーズン、モーズリーは所属カンファレンスのシーズンフィールドゴール記録を樹立した[6]

NFL 編集

キャリア序盤 編集

モーズリーは、1970年のNFLドラフト英語版フィラデルフィア・イーグルスから14巡目全体346位の指名を受け、NFL入りした。プレースキッカーがNFLでドラフト指名されたのは初のことであった[3]。イーグルスを1年で解雇され、移籍したヒューストン・オイラーズもチームでの2シーズン目の序盤で解雇され、ほぼ2年間NFLから離れる生活をした。この2年間は、故郷のリヴィングストンの高校でコーチをして過ごした。その間、キッカーとしての練習を欠かさず、NFLのチームに手紙を送り続けた。その努力が報われ、1974年ワシントン・レッドスキンズとの契約を実現し、NFL復帰を果たした[5][7]

ワシントン・レッドスキンズ 編集

ストライキでレギュラーシーズンが短縮された1982年シーズン、モーズリーはNFL記録となる21回連続フィールドゴールを成功させ[8]、成功率95.2%(20/21)、76得点とリーグトップの記録でシーズンを終えた[9]。この成績により、モーズリーはプレースキッカーとして初めてシーズンMVPに選出された[10]

シーズンMVPに選ばれたモーズリーは、プレーオフに入ると精彩を欠き、2試合で4本のフィールドゴールを外したが、第17回スーパーボウルでは、2本のフィールドゴール、3本のエクストラポイントを決め、チームのスーパーボウル制覇に貢献した。

1983年も、モーズリーは161得点でリーグトップとなる活躍をした。この年のNFCチャンピオンシップでは4本のフィールドゴールをミスしたが、最終的には勝利を決めるフィールドゴールを決めている。

キャリア終盤 編集

1986年、38歳となっていたモーズリーはシーズン中盤でレッドスキンズから放出された。放出後、クリーブランド・ブラウンズと契約したが、このシーズンをもって引退をした。ブラウンズでは、ディビジョナルプレーオフのニューヨーク・ジェッツ戦で第4Qまでにフィールドゴールを2本外した後、延長戦で1本外し、ダブルオーバータイムで処理を決めるフィールドゴールを蹴った。

通算成績は、フィールドゴール300回成功(300/457,65%)、482エクストラポイント成功(482/512,94%)、トータル1,382ポイント、フィールドゴール成功数で4度のリーグトップに輝いた。

成績 編集

レギュラーシーズン成績
Season Team (record) G FGM FGA % <20 20-29 30-39 40-49 50+ LNG BLK XPM XPA % PTS
1970 PHI (3–10–1) 14 14 25 56.0 7–9 4–6 2–6 1–3 0–1 42 0 25 28 89.3 67
1971 HOU (4–9–1) 12 16 26 61.5 0–0 8–9 2–4 6–10 0–3 44 0 25 27 92.6 73
1972 HOU (1–13) 1 1 2 50.0 0–0 1–1 0–0 0–1 0–0 20 0 2 2 100.0 5
1974 WAS (10–4) 13 18 30 60.0 1–1 2–5 9–13 6–10 0–1 48 0 27 29 93.1 81
1975 WAS (8–6) 14 16 25 64.0 0–0 1–3 9–10 6–9 0–3 48 0 37 39 94.9 85
1976 WAS (10–4) 14 22 34 64.7 1–1 7–8 8–11 6–13 0–1 49 0 31 32 96.9 97
1977 WAS (9–5) 14 21 37 56.8 1–1 3–3 4–5 9–22 4–6 54 0 19 19 100.0 82
1978 WAS (8–8) 16 19 30 63.3 0–0 4–4 5–7 8–13 2–6 52 0 30 31 96.8 87
1979 WAS (10–6) 16 25 33 75.8 2–2 5–5 8–10 9–13 1–3 53 0 39 39 100.0 114
1980 WAS (6–10) 16 18 33 54.5 0–0 3–4 5–6 7–12 3–11 52 0 27 30 90.0 81
1981 WAS (8–8) 16 19 30 63.3 1–1 7–8 6–8 5–12 0–1 49 0 38 42 90.5 95
1982 WAS (8–1) 9 20 21 95.2 1–1 6–6 8–8 5–6 0–0 48 0 16 19 84.2 76
1983 WAS (14–2) 16 33 47 70.2 1–1 10–10 14–19 7–12 1–3 51 0 62 63 98.4 161
1984 WAS (11–5) 16 24 31 77.4 1–1 9–10 12–13 1–5 1–2 51 0 48 51 94.1 120
1985 WAS (10–6) 16 22 34 64.7 0–0 7–8 8–13 7–12 0–1 48 0 31 33 93.9 97
1986 WAS (12–4) 6 6 12 50.0 1–1 3–4 1–2 1–5 0–0 45 0 12 14 85.7 30
1986 CLE (12–4) 4 6 7 85.7 1–1 2–2 3–3 0–1 0–0 39 0 13 14 92.9 31
通算 (16シーズン) 213 300 457 65.6 18–20 82–96 104–138 84–159 12–42 54 0 482 512 94.1 1382

引退後 編集

モーズリーは引退後、バージニア州のレストランチェーンの幹部として働いている[11]

脚注 編集

  1. ^ Steinberg, Dan (2014年8月7日). “Alabama-Coushatta Tribe responds to Mark Moseley, saying it does not support the Redskins name”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/news/dc-sports-bog/wp/2014/08/07/alabama-coushatta-tribe-responds-to-mark-moseley-saying-it-does-not-support-the-redskins-name/ 2017年10月10日閲覧。 
  2. ^ Meredith, Hardy; McDonald, Archie P. (August 31, 2009). Stephen F. Austin State University Jacks (Images of America) (Images of Sports). Arcadia Publishing. ISBN 978-0-7385-7180-5. https://books.google.com/books?id=gfo0ATGuHyMC&q=%22mark+moseley%22+%22livingston%22&pg=PA56 
  3. ^ a b c Moran, Malcolm (1984年1月21日). “PLAYERS; SPLIT-SECOND DECISIONS”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1984/01/21/sports/players-split-second-decisions.html 2017年10月10日閲覧。 
  4. ^ Partsch III, Raymond A. (2014年8月7日). “Grandson of SFA legend looks to make impact at Lamar”. Beaumont Enterprise. http://www.beaumontenterprise.com/sports/lamar/article/Grandson-of-SFA-legend-looks-to-make-impact-at-5675536.php 2017年10月10日閲覧。 
  5. ^ a b Anderson, Dave (1983年1月30日). “SPORTS OF THE TIMES; KICK FINISH OVERDUE”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1983/01/30/sports/sports-of-the-times-kick-finish-overdue.html 2017年10月10日閲覧。 
  6. ^ Gonsalves, Rick (August 31, 2009). Placekicking in the NFL: A History and Analysis. McFarland. ISBN 978-1-4766-0051-2. https://books.google.com/books?id=tfSmAgAAQBAJ&q=%22mark+moseley%22+%22stephen+f.+austin%22&pg=PA300 
  7. ^ Romano, Lois (1982年12月21日). “The Moseleys Get A Kick Out of Life”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/archive/lifestyle/1982/12/21/the-moseleys-get-a-kick-out-of-life/628bb4ca-7dc8-41a1-9b27-1eeea6205502/ 2017年10月11日閲覧。 
  8. ^ 85 Years Of Redskins History: Moseley's Record-Breaking FG”. Washington Football. 2020年12月27日閲覧。
  9. ^ Mark Moseley – Career Stats”. National Football League. 2017年10月10日閲覧。
  10. ^ Martin, Cameron (2013年1月5日). “An M.V.P. Award for One of a Dying Breed”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2013/01/06/sports/football/mark-moseley-remains-only-kicker-to-win-nfl-mvp-award.html 2017年10月10日閲覧。 
  11. ^ Five Guys to multiply as owners roll out franchises”. Washington Business Journal (2002年11月25日). 2021年9月28日閲覧。