マーティン・ドレスデン

マーティン・ドレスデンMartijn Dresden)は、オランダロックミュージシャン

マーティン・ドレスデン
Martijn Dresden
出身地 オランダの旗Bussum
職業 ロック・ミュージシャン
担当楽器 ベース・ギター、トランペット
活動期間 1966年 - 1970年
共同作業者 トリオ・タイス・ファン・レール
フォーカス

1970年に結成され、国際的に成功したオランダのロック・バンドの最古参の一つであるフォーカスの初代ベーシスト。

来歴 編集

ブスム出身。祖父のセム・ドレスデンは作曲家で1945年から1949年までハーグ王立音楽院の院長を務めた。父親のアントン・ドレスデンは、バイオリ二スト、ピアニスト、指揮者[1]

ドレスデンはバイオリンを習い始めたが、ロック・ミュージシャンの道に進み、ベーシストとして幾つかのバンドを経験した。やがてKatholieke Radio Omroep (KRO)に出演して演奏するようになり、1969年に、同じくKROに出演していたハンス・クルフェール(ドラムス)と、クルフェールが招いたタイス・ファン・レール(キーボード、フルート、ボーカル)の3人で「トリオ・タイス・ファン・レール」を結成した[1]。彼等はオランダの国民的な歌手であるラムゼス・シャフィのショーの伴奏を務めたほか、テレビやラジオのコマーシャル音楽を演奏して収入を得、やがて自分達のコンサートを開くようになった[2]

ドレスデンはファン・レールに、ヤン・アッカーマンという優れたギタリストの事を教え、彼を勧誘して演奏に厚みを持たせてはどうかと提案した[3]'。トリオ・タイス・ファン・レールはアッカーマンと幾つかの演奏活動で一緒になったあと彼を迎えて、4人編成の「フォーカス」になった。彼等は1969年の秋からライブ活動を行なったほか、オランダ人によるブロードウェイ・ミュージカル「ヘアー」のアムステルダム公演の伴奏を担当した[4]

ドレスデンは、ラジオ・ルクセンブルクの支局であるRadio Télé Music Belgique-HollandeのプロデューサーであったHubert Terheggenに、父親のつてで連絡を取った。Terheggenはフォーカスに自分の制作会社と契約を結ばせて、1970年早々にロンドンのスタジオを手配した[5]。フォーカスはTerheggenのプロデュースによってデビュー・アルバムFocus Plays Focusを制作して、1970年9月にオランダで発表した。ドレスデンは数曲の収録曲をファン・レールと共作し、ベース・ギターとトランペットを担当した他、一曲のリード・ボーカルを担当した[6]

フォーカスは続いてアッカーマン作の新曲'House Of The King'を録音した。しかし、アッカーマンはファン・レールとそりが合わずに、フォーカスを脱退しようとした。'House Of The King'のシングルを発表する予定だったレコード会社は、アッカーマンとファン・レールに一緒に活動を続けるように説得した。アッカーマンはフォーカスに留まる条件として、以前在籍していたブレインボックスのメンバーだったピエール・ファン・デル・リンデン(ドラムス)[注釈 1] と、かつてブレインボックスに迎えようとしたシリル・ハフェルマンス〈ベース・ギター、ボーカル)の二人をフォーカスに迎えることをあげた。そこでファン・レールはクルフェールとドレスデンと別れてアッカーマン達と合流して、1970年12月に新しいフォーカスを出発させた[7]

フォーカスを去らざるを得なくなったドレスデンは、失意の内に表舞台から姿を消した[8]

ディスコグラフィ 編集

Met en Zonder 編集

  • Meneertje Pils / Rood En Oranje In De Schemering(1967年)[9] 7"シングル
  • Now I Know / Afterbirth Of A Dream(1968年)[10] 7"シングル

トリオ・タイス・ファン・レール 編集

Neerlands Hoop In Bange Dagen
  • Zeven Ballen En Een Piek / Elektrisch Levenslicht(1969年)[11] 7"シングル
ラムゼス・シャフィ
  • Sunset Sunkiss(1970年)[12]

フォーカス 編集

Ramses Shaffy Met Group Focus
  • The Shrine Of God / Watch All The Ugly(1969年)[13] 7"シングル
Various
  • Hair (Original Amsterdam Cast)[14]
フォーカス

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b Johnson (2015), p. 14.
  2. ^ Johnson (2015), p. 15.
  3. ^ Johnson (2015), pp. 15–16.
  4. ^ Johnson (2015), pp. 20–23.
  5. ^ Johnson (2015), p. 22.
  6. ^ Johnson (2015), pp. 26–32.
  7. ^ Johnson (2015), pp. 40–44.
  8. ^ Johnson (2015), pp. 41–42.
  9. ^ Discogs”. 2022年11月5日閲覧。
  10. ^ Discogs”. 2022年11月5日閲覧。
  11. ^ Discogs”. 2022年11月4日閲覧。
  12. ^ Discogs”. 2022年11月4日閲覧。
  13. ^ Discogs”. 2022年11月4日閲覧。
  14. ^ Discogs”. 2022年11月4日閲覧。
  15. ^ Johnson (2015), pp. 32–33, 207–208.

注釈 編集

  1. ^ ドレスデンが1967年から1968年にかけて在籍していたMet en Zonderのドラマーだった。
  2. ^ 未発表音源の編集アルバム。デビュー・アルバム制作時に録音された未発表曲「創造主は語る」を収録。
  3. ^ 「ハウス・オブ・ザ・キング」はオランダでデビュー・アルバムFocus Plays Focusが発表された後に録音され、1971年1月に発表された。オランダ国外で発表されたデビュー・アルバム『イン・アンド・アウト・オブ・フォーカス』、1972年に発表された3作目のアルバム『フォーカスIII』に収録された。

参考文献 編集

  • Johnson, Peet (2015), Hocus Pocus: The Strife and Times of Rock's Dutch Masters, Tweed Press, ISBN 978-0-646-59727-0 

外部リンク 編集