ミケーレ・ルッジェーリ

ミケーレ・ルッジェーリ(Michele Ruggieri, 1543年 - 1607年5月11日)は、イタリアイエズス会の修道士。ガスパル・ダ・クルス英語版が短期間滞在したのを別にすれば、代の中国に入った最初のカトリックの宣教師で、マテオ・リッチらとともに中国で宣教活動を行った。中国名は羅明堅(Luó Míngjiān)。

略歴 編集

ルッジェーリはナポリ王国プッリャ州スピナッツォーラで生まれた。はじめフェリペ2世の宮廷で働いていたが、1572年にイエズス会に入会し、コインブラ大学で哲学と神学を修めた後、1578年に司祭に叙階されてゴアに赴任した。アレッサンドロ・ヴァリニャーノの要請によって、1579年にルッジェーリはマカオに派遣され、そこで中国語と中国の習慣を学んだ。マカオには後にマテオ・リッチも加わった。

1583年、ルッジェーリとリッチは広東省肇慶に教会を建設した。代のものを別にすれば、これは中国最初のカトリック伝道所だった。

1588年、ヴァリニャーノはルッジェーリをローマに派遣した。その目的は中国宣教の許可を得るためにローマ教皇の使者を明に派遣するよう要請することにあったが、当時のローマは4人の教皇が次々に死亡する混乱状態にあり、目的を果たすことができなかった。ルッジェーリはそのままイタリアに留まり、1607年にサレルノで没した。

著作 編集

 
葡漢辞典

ルッジェーリは最初の中国語版カテキズム『天主実録』を作った[1]

ルッジェーリはまたリッチとともに『葡漢辞典』を編纂した。この辞典は2001年にマカオから出版された[2]。辞典には「賓主問答私擬」というローマ字書きの官話会話資料が附属する[3]

ルッジェーリは中国の地図を作成した[4]。また、中国人の助けを借りて、はじめて漢詩を書いた西洋人と考えられている[5]

脚注 編集

  1. ^ 天主實錄, The Ricci Institute Library Online Catalog, http://riccilibrary.usfca.edu/view.aspx?catalogID=5351 
  2. ^ Dicionário Português-Chinês, The Ricci Institute Library Online Catalog, http://riccilibrary.usfca.edu/view.aspx?catalogID=459 
  3. ^ 古屋昭弘「明代官話の一資料:リッチ・ルッジェーリの「賓主問答私擬」」『東洋学報』第70巻3・4、1989年、1-25頁。 
  4. ^ Atlante della Cina di Michele Ruggieri, S.I., The Ricci Institute Library Online Catalog, http://riccilibrary.usfca.edu/view.aspx?catalogID=247 
  5. ^ Chan, Albert (1993). “Michele Ruggieri, S.J. (1543-1607) and his Chinese poems”. Monumenta Serica (41): 129-176. JSTOR 40726971. 

参考文献 編集