ミシェル・ブジュナー: Michel Boujenah , 1952年11月2日 - )は、フランス俳優コメディアン映画監督脚本家

ミシェル・ブジュナー
Michel Boujenah
Michel Boujenah
ミシェル・ブジュナー(2017年)
生年月日 (1952-11-02) 1952年11月2日(71歳)
出生地 チュニジアの旗 チュニジア チュニス
国籍 フランスの旗 フランス チュニジアの旗 チュニジア
民族 ユダヤ系フランス人
職業 俳優コメディアン映画監督脚本家
ジャンル 映画演劇
活動期間 1980年 - 活動中
 
受賞
セザール賞
助演男優賞
1986年『赤ちゃんに乾杯!
その他の賞
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生い立ち 編集

幼少期をチュニジアで過ごす。1963年、11歳で両親とともにフランスへと渡り、パリ南部の都市バニューで暮らしはじめた。そして1967年、15歳になった彼は幼い頃からの夢であった俳優になることを決意する。当時在学していたパリ6区の学校エコールアルザスフランス語版アンドレ・シュヴァルト=バルトフランス語版の著書『Le Dernier des Justesフランス語版』についての口頭発表を行った際、自分にストーリーテラーの才があると自覚したのがきっかけだった。やがて同校の劇場へ参加したのちバカロレアに合格したミシェルは、ストラスブール国立劇場フランス語版の演劇試験を受けるも不合格となる。チュニジア訛りが原因であった。

キャリア 編集

1972年、友人であるポール・アリオとコリンヌ・アトラスフランス語版二人と劇団「La Grande Cuillère」を旗揚げし、郊外のアマチュア俳優たちとともに作品を上演した。また彼は6年間、子供たちを養うためキャバレーで自作の台本を上演する活動も行った。一人芝居では演出と脚本をすべて自ら手がけるなどし、自分のスタイルを確立させていく。1980年、コリンヌと共同脚本で臨んだ演劇「Albert」をパリのルセルネール劇場フランス語版で上演し、大成功を収める。ミシェルは自身を題材に、フランスに移住したチュニジアのユダヤ人を演じた。その後も移民である出自をユーモラスに表現した演劇を製作・上演するうち、それがメディアや世間に認められて彼のキャリアが本格的にスタートした。
一方、映画界ではジャン・サンタモンフランス語版監督の『Mais qu'est-ce que j'ai fait au bon Dieu pour avoir une femme qui boit dans les cafés avec les hommes ?フランス語版』で映画俳優としてのキャリアをスタートする。1985年には、コリーヌ・セロー監督『赤ちゃんに乾杯!』での演技が認められて第11回セザール賞助演男優賞を受賞するなど、映画俳優として盤石の地位を築く。その後も1992年に公開されたアリエル・ゼトゥンフランス語版監督の『Le Nombril du mondeフランス語版』で第19回セザール賞主演男優賞にノミネートされるなど、着実にキャリアを積んでいく。
1998年ミオパチー神経筋疾患英語版に関する人道援助のため、フランス2の特別番組スポンサーとなる。
2003年フィリップ・ノワレシャルル・ベルラン、甥のマチュー・ブジュナーフランス語版とともに初の監督・脚本映画『Père et Filsフランス語版』を発表し、第29回セザール賞新人監督賞にノミネートされた。同作ではほかにパスカル・エルベフランス語版が有望若手男優賞にノミネートされている。
2007年、死去したジャン=クロード・ブリアリの後任としてラマチュエル・フェスティバルフランス語版の芸術監督に就任した。

フィルモグラフィー 編集

映画 編集

外部リンク 編集