ミネソタ・ツインズ

アメリカのプロ野球チーム

ミネソタ・ツインズ英語: Minnesota Twins, 英語発音: /mìnəsóutə twínz/; 略称: MIN、ツ軍)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)アメリカンリーグ中地区所属のプロ野球球団。本拠地はミネソタ州ミネアポリスにあるターゲット・フィールド

ミネソタ・ツインズ
Minnesota Twins
1901創設
所属リーグ
チーム名
  • ミネソタ・ツインズ (1961年 - )
    • ワシントン・セネタース[注 1][注 2] (1901年 - 1960年)
    • ミネソタ・ツインズ (1961年 - )
本拠地
ミネソタ・ツインズの位置(アメリカ合衆国内)
1961-現在
1961-現在
1901-1960
1901-1960
永久欠番
獲得タイトル(獲得年)
ワールドシリーズ優勝(3回)
リーグ優勝(6回)
地区優勝(13回)
  • 1969
  • 1970
  • 1987
  • 1991
  • 2002
  • 2003
  • 2004
  • 2006
  • 2009
  • 2010
  • 2019
  • 2020
  • 2023
ワイルドカード(1回)
  • 2017
球団組織
オーナー ジム・ポーラッド
GM サド・レバイン
監督 ロッコ・バルデッリ

概要 編集

前身はワシントンD.C.を本拠地として1901年のアメリカンリーグ創設時に発足したワシントン・セネタース。1961年にミネアポリスに本拠地を移し、ミネソタ・ツインズと改称した。セネタース時代には、リーグ優勝3回、1924年にワールドシリーズ優勝を果たし、ツインズ時代にはリーグ優勝3回、1987年と1991年にワールドシリーズ優勝2回を果たしている。

セネタース、ツインズ時代を通じて、慢性的な観客減に悩まされており、2001年オフには球団削減の対象となった。しかし地元市民の熱意によって新球場の建設が決定し、チームの奮起によって2002年から2004年にかけて地区3連覇を果たし、球団消滅は回避されることとなった。

1955年、長期低迷をしていたセネタースを題材として『くたばれ!ヤンキース』というミュージカルが大ヒットし、後に映画化もされた。これはセネタースとは対照的に黄金時代を謳歌していたニューヨーク・ヤンキースを妬んだセネタースファンの主人公が、ヤンキースを倒してセネタースを優勝させるために悪魔に魂を売ってしまうという話だった。

1998年、ツインズを敵役としたコメディ映画「メジャーリーグ3」(正式名 Major League: Back to the Minors)という映画が制作される。これは選手の能力は高いが、その選手一人一人に一癖も二癖もある者が多く、なかなか勝てないツインズ傘下の(架空の)AAA級チームが、主人公の監督就任により快進撃を開始。一度、主人公の発言によってメトロドームでツインズと対戦するも、マイナー相手に追い込まれたツインズの監督がプライドを保つため、係員に指示しメトロドームを停電させノーゲームに。その影響からさらに奮起したマイナーチームが、今度は自分たちの本拠地の球場でツインズを負かしてしまうという話だった。なお、映画のマイナーチーム側には日本人で石橋貴明が出演している。

2009年までの本拠地はドーム球場であるメトロドーム。これは本拠地であるミネアポリスの寒さ対策で建設されたものだったが、老朽化に悩まされていた。2010年からは天然芝の野球専用球場のターゲット・フィールドへ本拠地を移した。

球団の歴史 編集

ワシントン・セネタース 編集

 
当時のアメリカ大統領 カルビン・クーリッジ (左)と握手するセネンターズのウォルター・ジョンソン投手 (右)(1924年)

1901年、アメリカンリーグ創設と同時にワシントン・セネタースとして発足。1902年にフィリーズから移籍したエド・デラハンティが創設間もないセネタースの攻撃陣を引っ張っていたが、翌年ナイアガラ・フォールズからの転落事故で他界する。1904年には球団史上ワーストの38勝113敗を記録するなど、当初は長く低迷していた。1907年、「人間機関車」と呼ばれたウォルター・ジョンソンがメジャーデビューし、リーグ屈指の投手として活躍をするも、打線の援護がほとんどなく、チームも負け越しを続けた。1911年には、シーズン開幕前の3月17日、本拠としていたアメリカン・リーグ・パークが火災により消失。すぐさま新球場ナショナル・パークが着工されたが、当然シーズン開幕に間に合わず、4月12日にほとんど未完成のまま開場することとなった。

 
1924年のワールドシリーズ第7戦の4回に本塁打を放ったバッキー・ハリス

1912年、クラーク・グリフィスが監督に就任するとチームは躍進、91勝61敗でリーグ2位となり、球団設立以来、初めて勝ち越した。翌1913年もリーグ2位となったが、その後のシーズンは勝率5割前後が続き、再び中下位で低迷することとなる。1920年、この状況を打開するために、監督であるグリフィス自身が球団を買収し、それと同時に監督を退任した。オーナーとなったグリフィスは、若い選手を中心とした球団運営を目指す。1924年、二塁手として活躍していたバッキー・ハリス選手兼任監督に据え、初のリーグ優勝を果たす。この年のワールドシリーズでは、ニューヨーク・ジャイアンツと対戦し、最終戦までもつれた末、延長12回の劇的なサヨナラ勝ちでワールドチャンピオンに輝いた。1925年にもリーグ連覇を果たし、強豪チームへと成長することとなった。

1927年、現役を引退したジョンソンが監督に就任。チームも好成績を残すが、リーグ優勝は果たせなかった。1933年、ジョー・クローニンが選手兼任監督に就任すると、その年に3度目のリーグ優勝を果たすが、ワールドシリーズではジャイアンツに1勝4敗で敗れた。セネタースとしての優勝はこの年が最後で、1934年にリーグ7位と低迷すると、クローニンをボストン・レッドソックスに放出、再びハリスが監督に就任するがチーム成績の衰退を止めることはできず、負け越しのシーズンが続いた。ハリスは1942年に解任された後、1950年から1954年にかけても監督を務めたが、リーグ優勝は果たせなかった。1954年にはハーモン・キルブルーがメジャーデビュー、持ち前の強打で1959年には本塁打王に輝いている。1955年に長年オーナーを務めたクラーク・グリフィスが亡くなると、養子[注 3]カルヴィン・グリフィス英語版がオーナーに就任した。

ナショナルズの呼称 編集

ワシントンD.C.が首都であることや、以前に存在したチーム名から、セネタース(上院議員)を愛称として1901年に創設されたこのチームは、上述の通り最悪のシーズンとなった1904年のシーズン終了後に、ナショナルズ(国民)と改称した。しかし、ファンやメディアからセネタース、ナショナルズ、ナショナルズを短縮したナッツの愛称を併用されることになった。なお、1905年と1906年の2シーズンはホーム用のユニフォームに"NATIONALS"のロゴが入っている。1956年に正式にセネタースと改称し、1959年と1960年の2シーズンはホーム用・ビジター用のユニフォームに"Senators"のロゴが入った。

ミネソタ・ツインズ 編集

新しいオーナーのカルヴィン・グリフィスは長年に渡る観客減に悩んでいた球団の本拠地移転を画策する。オーナーになる前年の1954年にはセントルイス・ブラウンズ(現・ボルチモア・オリオールズ)がワシントンD.C.の外港にあたるメリーランド州ボルチモアへ移転しており、危機感を増していた。そして1961年、ミネソタ州ミネアポリスに移転、前年の1960年にNBAのミネアポリス・レイカーズ(現・ロサンゼルス・レイカーズ)がミシシッピ川の対岸にある州都セントポールのファンを獲得できずロサンゼルスに移転してしまった教訓から当初は両市を合わせた通称を冠し「ツインシティーズ・ツインズ」と名乗ろうとしたがMLBの許可が下りなかったため、州の名を冠するミネソタ・ツインズに改称した。その代わりツインシティーズの略称TCを用いたロゴの使用は許可されたため帽子に使用され、現在まで使用されることとなる。州の名前を球団名に冠したのはこれが初めてであった。また、このチーム名を象徴するようにチームロゴは前年まで両市に存在していたマイナーリーグAAAのミネアポリス・ミラーズセントポール・セインツ現在AAAに所属する同名球団とは別)のユニフォームをそれぞれ着た二人の男性がミネソタ州をかたどった形状をバックにミシシッピ川を挟んで握手している物が採用された。なお地元ワシントンD.C.でも野球チーム存続の声は大きく、1961年のエクスパンションで新たにワシントン・セネタースが創設されている。しかしこのチームも10年後の1972年にテキサス州アーリントンに本拠地を移し、テキサス・レンジャーズとなっている(その後2005年にモントリオール・エクスポズがワシントンD.C.に移転し、ワシントン・ナショナルズが誕生した)。

1965年には球団記録となる102勝を挙げて移転後初のリーグ優勝。ワールドシリーズではサンディ・コーファックスドン・ドライスデールを擁したロサンゼルス・ドジャースに3勝4敗で敗退した。1967年にはロッド・カルーがメジャーデビュー。ツインズ在籍中に7度の首位打者に輝くなど、ツインズのスター選手として活躍した。東西2地区制となった1969年には初の地区優勝、翌1970年にも連覇を果たした。しかしその後は再び優勝から遠ざかり、観客数も減少、球団も赤字に悩まされることとなる。

1982年に老朽化したメトロポリタン・スタジアムから、新球場メトロドームに本拠地を移す。1987年カービー・パケットケント・ハーベックら打撃陣の活躍によって、ツインズとして初のワールドシリーズ制覇した。2006年セントルイス・カージナルスが83勝でワールドチャンピオンとなるまでの史上最少記録のシーズン85勝[注 4]での制覇だった。1988年には、球団史上最多の3,030,672人の観客を動員した。1991年にはMLB史上初の前年最下位からワールドシリーズ制覇を達成している。

その後、1993年から8年連続で負け越し、暗黒期に入った。2001年オフにモントリオール・エクスポズと共に球団削減の対象になった。だが、市民の熱意が伝わり、球団存続が決定。翌2002年から地区3連覇を果たし、ア・リーグ屈指の強豪チームとして復活した。2006年には8度目の地区優勝。しかしリーグ優勝決定シリーズまでにいずれも敗退しており、1991年以来のリーグ優勝は果たせなかった。

2007年は地区連覇が期待されたが、主力の故障や不振によって7年ぶりに勝率5割を切ってしまった。その年のオフにはチームの攻守の要であったヨハン・サンタナトリー・ハンターが共に移籍し、チーム再建が急務となったが新戦力の台頭などでカバーし、2009年はデトロイト・タイガースとのワンゲームプレーオフを制し、3年ぶり9度目の地区優勝を果たす。翌2010年は両リーグ最速でポストシーズン出場を決め地区2連覇を達成するが、ポストシーズンではニューヨーク・ヤンキースに3連敗を喫し、5回連続でのディビジョンシリーズ敗退、史上ワースト2位のポストシーズン12連敗となった。

2011年西岡剛ポスティングシステムで獲得し、チーム初の日本人選手となった。救援陣の放出が響くのと同時にジョー・マウアージャスティン・モルノー、西岡剛など故障者が続出し、また、デルモン・ヤングデトロイト・タイガースに、ジム・トーミクリーブランド・インディアンスにトレードするなど、チームの主軸が移籍したために失速。4年振りに勝率5割を切り、11年振りの地区最下位に沈んだ。

2012年は、積極補強で長打力を上げると同時に若手の見本になるベテランを補強。上位再浮上を目指すシーズンになる。

2016年はワシントンセネターズ時代も含めて116年ぶりの開幕9連敗。8月18日から31日にかけて13連敗を記録した。また、ホームでのデトロイト・タイガース戦は1勝もできなかった。

2017年はワイルドカードを獲得したが、ワイルドカードゲームは4対8でヤンキースに敗れポストシーズンの連敗を13に伸ばした。 同年12月には通算300セーブを達成したフェルナンド・ロドニーを獲得した。

2018年は好スタートを切ったが、4月下旬に8連敗を喫して後退。ベテランのジョー・マウアーが4月12日に通算2000本安打を達成したが、11月9日に現役引退を発表し、ひとつの時代が終わった形となった。12月19日にはマウアーの背番号7が永久欠番となった。また昨シーズンワイルドカードに導いたポール・モリター監督がシーズン終了後解任となった。10月25日にロッコ・バルデッリが監督に就任した。

2019年は若手選手の活躍に期待のシーズンとなっていた。 すると、マックス・ケプラーエディ・ロサリオらが次々と打撃開眼。5月23日には1試合に8本塁打を放つなど圧倒的な長打力を武器に躍進。1チームのシーズン最多本塁打記録を更新するペースで打ち続け、FAで加入したネルソン・クルーズの大活躍もあり、8月31日に今季チーム通算268本塁打に到達し、メジャー新記録を樹立した。昨季2018年にニューヨーク・ヤンキースが打ち立てたメジャー記録267本をわずか1年後に更新した[1]。そして、9月25日に敵地コメリカ・パークデトロイト・タイガースに勝利し、9年ぶり11回目のア・リーグ中地区優勝を果たした[2]。更に翌26日には今季の159試合目となったタイガース戦で、シーズン300本塁打に到達。MLB史上初めて、1シーズンに放った本塁打が300本に達したチームとなった[3][注 5]。勇躍ポストシーズンに臨んだ地区シリーズだったが、天敵ニューヨーク・ヤンキースに3連敗を喫し、2004年のヤンキースとの地区シリーズ第1戦に勝ったのを最後にポストシーズン16連敗。NHL(ナショナルホッケーリーグ)のシカゴ・ブラックホークスが1975年から1979年にかけて喫したポストシーズン最多連敗記録に並び、北米4大スポーツのワーストタイ記録になった。16連敗のうち、実に13敗がヤンキース戦。シーズン101勝61敗だったが、負の歴史に終止符を打つことができず。シリーズを後にすることになった[4]

チーム名の由来 編集

チーム名は本拠地であるミネアポリス市とミシシッピ川対岸のミネソタ州州都セントポール市が「ツイン・シティーズ(双子都市)」と呼ばれることに由来する。帽子やヘルメットの「TC」はTwin Citiesの頭文字である。

選手名鑑 編集

現役選手・監督・コーチ 編集

ミネソタ・ツインズ ロースター
40人ロースター 監督・コーチ/他

投手

捕手

内野手

外野手


監督

コーチ

60日故障者リスト


* アクティブ・ロースター外
2024年4月22日更新

公式サイト(英語)より:アクティブ・ロースター, 40人ロースター, コーチ, 選手の移籍・故障情報, 予想オーダー

ロースター一覧

アメリカ野球殿堂表彰者 編集

永久欠番 編集

番号 選手 ポジション 備考
3 ハーモン・キルブルー (Harmon Killebrew) 一塁手、三塁手、外野手 1974年指定
6 トニー・オリバ (Tony Oliva) 外野手、指名打者、コーチ 1991年指定
7 ジョー・マウアー (Joe Mauer) 捕手、一塁手 2019年指定
10 トム・ケリー (Tom Kelly) 監督 2012年指定
14 ケント・ハーベック (Kent Hrbek) 一塁手 1995年指定
28 バート・ブライレブン(Bert Blyleven) 投手 2011年指定
29 ロッド・カルー (Rod Carew) 一塁手、二塁手 1987年指定
34 カービー・パケット (Kirby Puckett) 外野手 1997年指定
36 ジム・カート (James Kaat) 投手 2022年指定
42 ジャッキー・ロビンソン (Jackie Robinson) 二塁手 全球団共通の永久欠番

歴代所属日本人選手 編集

ツインズ野球殿堂 編集

2000年に設立され、34人が殿堂入りを果たしている。

殿堂入り表彰者 編集

傘下マイナーチーム 編集

クラス チーム 参加リーグ 提携 本拠地
AAA セントポール・セインツ
St. Paul Saints
インターナショナルリーグ
International League
2021年  ミネソタ州セントポール
CHSフィールド
AA ウィチタ・ウィンドサージ
Wichita Wind Surge
テキサスリーグ
Double-A Central
2021年  カンザス州ウィチタ
リバーフロント・スタジアム
High-A シーダーラピッズ・カーネルズ
Cedar Rapids Kernels
ミッドウェストリーグ
High-A Central
2013年  アイオワ州シーダーラピッズ
ベテランズ・メモリアル・スタジアム
Low-A フォートマイヤーズ・マイティマッスルズ
Fort Myers Mighty Mussels
フロリダ・ステート・リーグ
Low-A Southeast
1992年  フロリダ州フォートマイヤーズ
ハモンド・スタジアム
Rookie フロリダ・コンプレックスリーグ・ツインズ
Florida Complex League Twins
フロリダ・コンプレックスリーグ
Florida Complex League
1989年  フロリダ州フォートマイヤーズ
ハモンド・スタジアム
ドミニカン・サマーリーグ・ツインズ
Dominican Summer League Twins
ドミニカン・サマーリーグ
Dominican Summer League
1998年  ドミニカ共和国
シウダー・デ・ベイスボル

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 1891-1899年にも同名のチームがあるが、こちらはワシントン・セネタース (1891-1899年)を参照。
  2. ^ 1961年-1971年にも同名のチームがあるが、こちらは1972年からテキサス・レンジャーズとなっている。
  3. ^ 甥(妻の兄の子)で、妻の兄が死去した際に引き取って養子とした。
  4. ^ シーズン短縮の影響を受けた1918年1981年を除く。
  5. ^ 最終的に307本塁打。

出典 編集

  1. ^ ツインズ、メジャー新記録のシーズン268本塁打 安打数に対する本塁打率は唯一の20%超”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2019年9月1日閲覧。
  2. ^ ツインズが9年ぶり地区優勝! 新人ドブナックが6回1失点好投、終盤に打線奮起で逆転勝利”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2019年9月29日閲覧。
  3. ^ ツインズ、MLB史上初のシーズン300本塁打到達! 圧倒的破壊力で世界一なるか?”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2019年9月29日閲覧。
  4. ^ ツインズが北米4大スポーツワーストタイのPS16連敗 そのうちヤ軍に13連敗”. Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―. 2019年10月8日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集