ムバーラク・アリー・ハーン2世

ムバーラク・アリー・ハーン2世(Mubarak Ali Khan II, 1810年9月29日 - 1838年10月3日)は、東インドベンガル太守 (在位:1824年 - 1838年)。イフティシャーム・ウッダウラ(Ihtisham ud-Daula)、フマーユーン・ジャー(Humayun Jah)とも呼ばれる。

ムバーラク・アリー・ハーン2世
Mubarak Ali Khan II
ベンガル太守
ムバーラク・アリー・ハーン2世
在位 1824年 - 1838年
戴冠式 1824年12月23日
別号 ナワーブ

出生 1810年9月29日
ムルシダーバード
死去 1838年10月3日
ムルシダーバードハザールダウリー宮殿
埋葬 ジャアファルガンジ・セメタリー
子女 マンスール・アリー・ハーン
王朝 ナジャフィー朝
父親 アフマド・アリー・ハーン
宗教 イスラーム教
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生涯 編集

1810年9月29日ベンガル太守(このときはまだ太守ではない)アフマド・アリー・ハーンの息子として生まれた[1]

1824年10月30日、父アフマド・アリー・ハーンは死亡し、息子のムバーラク・アリー・ハーン2世が太守位を継承した[1]

1838年10月3日、ムバーラク・アリー・ハーン2世は死亡し、息子のマンスール・アリー・ハーン が太守位を継承した[1]

出典・脚注 編集

関連項目 編集